ハプニング発生 ⑥

 ユウは売店で買ってきたジュースのペットボトルのキャップを開けてストローを挿し、レナに差し出した。


「ほい」

「ありがと」


 どんな時も、ユウは優しい。

 いつでもレナの事を一番に考えてくれる。


(ユウ、優しいな……。昔も優しかったけど、どんどん優しくなってく気がする……。ホント、いい旦那様……)


 レナは、ユウと結婚して良かったとしみじみ思いながら、ストローに口をつけてジュースを飲んだ。


「美味しい!」

「それなら良かった」


 ユウも缶コーヒーのタブを開けてコーヒーを飲んだ。

 それから、忘れないうちに冷蔵庫の食材の話をして、ユウが買ってきたパズル雑誌が意外と面白かった事や、病院の食事の時間の事など、他愛もない話をした。


「ユウ、私がいない間の食事、大丈夫?」

「あぁ……。昨日は遅かったから冷蔵庫にあるもの適当に食べたけど……。時間ある時はちゃんとするよ」


 ユウはレナの手を握って優しく笑う。


「心配性なんだな、レナは。こんな時まで、オレの心配しなくていいんだよ」

「だって……」

「大丈夫だから。まぁ……寂しいけどな」

「私も……。早く帰りたい……」


 レナはユウの手をギュッと握り返した。


「まだ2日目なのにな。一緒にいるのが当たり前になってたから、一晩離れただけで、いろいろ考えたよ」

「どんな事?」

「レナがいないと、この部屋こんなに広くて静かなんだなーとか……。よく10年も離れてられたなーとか……いろいろ」

「ホントだね。もう、あんなに長い間離ればなれになるのはイヤだよ」

「オレも。……もう二度と離さないけどな」


 ユウは笑ってイスから身を乗り出し、ベッドに横になっているレナの唇にキスをした。

 唇が離れると、レナは小さく笑う。


「ふふっ……」

「ん?」

「夕べの歌番組……思い出しちゃった。ユウはどこにいてもユウだね」

「ちゃんと伝わった?」

「うん、伝わったよ。私も大好き」

「じゃあ……改めて、ちゃんと声に出して言おうかな……。オレもレナが大好きだよ」


 ユウは嬉しそうに笑って、また優しくキスをした。


「お互い、しばらくは寂しいけどさ。少しでも寂しくないように、できるだけ一緒にいられるようにするから、なんとか頑張ろ」

「うん」

「個室で良かったなぁ……。他の患者さんの事とか気にせずに話せるし……キスもできる」


 そう言ってユウは、またレナに口付けた。


「ユウったら……」

「だってさ、夜は離ればなれになるんだし……。仕事で顔出せない日もあるだろうからさ。一緒にいられるうちに、いっぱいキスしとこうと思って」

「うん」

「子供が生まれても、歳とっても、オレはずっとレナにキスするから」

「私だけにしてね」

「当たり前だろ。だから、もっとしよ」


 ユウはベッドの縁に浅く腰掛けて、レナの点滴をしていない右手を握り、もう片方の手で髪を優しく撫でながら、何度も何度もキスをした。


「これで明日も仕事頑張れる」

「来てくれるのはものすごく嬉しいけど……無理だけはしないでね。ユウもちゃんと休んで」

「大丈夫だから。それに、一人で家にいるより、ここでレナの顔見る方が元気出るよ」

「赤ちゃんも喜んでるのかな。さっきからすごく動いてる」

「ヤキモチ妬いてたりしてな」

「まだ性別聞いてないけど、どっちかなぁ」

「名前も考えないとな」

「うん。一緒に考えようね」

「そう言えば、さっきのマタニティー雑誌の付録、名付けの本だった」

「ちょうどいいね。見てみようよ」


 それから二人は、付録の名付け本を広げ、男の子だったらこんな名前がいいとか、女の子だったらこんな字を使いたいと言いながら、楽しそうに相談した。

 まだ見ぬ我が子への愛しさは日毎に募る。


「退院したら、出産の準備もしないとね」

「そうだな。必要な物、いろいろあるもんな。一緒に買いに行こうな」


 ユウはそっとレナのお腹を撫でた。


「やっぱり、パパとママって呼ぶのかな?」

「子供が?」

「うん」

「どうかな。レナはお母さんの事『リサ』って呼ぶだろ。オレは小さい頃は『かーちゃん』だったかな……」

「そうだったね。いつの間にか『おふくろ』になってたけど……いつから?」


 ユウは少し首をかしげて考える。


「うーん……中3の途中かな……。ほら、ホントの親じゃないってわかってからだと思う」

「そっか。なんとなく遠慮したのかな?」

「どうかな……」


 ユウは、母親の直子ナオコが本当の親ではないと知った時の事を、ぼんやりと思い出した。


「本当の母親は今頃どこでどうしてるのかなとか、なんで赤ん坊だったオレを置いて出てったのかなとか……いろいろ考えたな。しかも離婚したって聞かされてた親父が、じつは死んでたとか……衝撃の事実ばっかりだった」

「直子さんは、血の繋がってないユウを女手ひとつで育ててくれたんだもんね」

「だから余計に、隠されてたのはショックだったけど、何も言えなかったんだ。おふくろが苦労して育ててくれたのはわかってたしな」


 レナは、以前週刊誌に酷い記事を掲載されてユウと別れた時に、何年ぶりかに会った直子が言っていた事を思い出した。


「事実を知ってもユウが何も言わなかった事……直子さんは少し寂しかったみたいだけどね」

「そうなのか?」

「うん……。ユウ、週刊誌にいろいろ書かれたでしょ?あの時、私は初めてユウの本当の両親の話を聞いたんだけど……。直子さん、ユウの記事を読んだって。ユウは愛情に飢えてたのかなとか……もっと分かりやすくユウを愛してあげれば良かった、って言ってた」


 いつもは明るくサバサバしていて、あっけらかんと笑っている直子の本心を初めて知り、ユウは少し胸が痛んだ。


「そんな事言ってたんだ……。あれはオレが弱かっただけで……全然おふくろのせいじゃないのにな……」

「母親だからでしょ。血は繋がってなくても、直子さんはちゃんとユウの本当の母親なんだって事だと思う。どんなに愛情注いで頑張って育ててきても、もっとああしてあげれば良かったとか、こうしてあげたかったとか……自分の子育てに満点をつける事はないんだと思うよ」


 穏やかに笑みを浮かべながら話すレナの表情に、いつもとはまた違う優しさと温かさを感じて、ユウはじっとレナの顔を見つめた。


(今日のレナ、いつもと違うような……。なんか……すごくキレイだ……)


「レナ……母親目線になった?」


 ユウが母親の顔を覗き込む子供のように、レナの目を見つめて尋ねた。

 レナは小さく首をかしげ、右手を伸ばしてユウの頬を撫でる。


「そうかな……。たしかにあの時は、こんな事まで考えなかったかも」

「レナもだんだん母親になってくんだな……」


 ユウは頬に触れるレナの手を握って笑う。


「でもさ……レナはオレの世界一かわいい奥さんだから。子供に対しては『ママ』とか『お母さん』って言っても、これからもオレはずっと『レナ』って呼ぶよ。だからレナもオレの事、今と同じように『ユウ』って呼んで」

「ユウは小さい頃から特別で……今は私の大切な旦那様だもんね」


 ユウはレナの手を両手で握ってうなずいた。


「これからも、ずっと一緒だから」



 レナが夕食を終えると、ユウは食器をコンテナに返却して、病室内のシンクで箸とコップを洗い、わずかな洗濯物を持って、レナの唇におやすみのキスをして病室を出た。

 ユウは自宅に向かって車を走らせながら、穏やかに優しく微笑むレナを思い出していた。

 レナがじっとしていないといけない分、普段家にいる時よりたくさん話した気がする。

 これから生まれてくる子供の事はもちろん、幼なじみだった頃の遠い昔の事や、恋人同士になり一緒に暮らし始めてからの事。

 結婚前のつらかった出来事も、結婚してからの苦しかった経験も、二人で一緒に乗り越えたからこそ、今は穏やかに話す事ができるのだとユウは思った。


(レナには随分つらい思いさせちゃったからな……。これからはレナの事も、子供の事も、ちゃんとオレが守るからな……)



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