第22話 ヴィル星やつら 前編

 インフェルは優しい両親の元に生まれ、それなりに裕福な家庭で育ち、気の合う友人たちにも恵まれ健やかに育った。しかし、そんな生活も未曾有の大災害、後に『悪魔の雷イビルフラッシュ』と呼ばれる出来事によってもろくも崩れ去った。


 インフェルの通う学園に存在するネコぐるま部が合宿を行っていた場所が被災し、部に所属するインフェルを含むすべての生徒がウイルスに感染したのだ。彼女が学園の7回生を迎えてすぐの出来事だった。


 18歳以下の少女という条件に当てはまらない者は例外なく死に絶え、また生き残った少女たちにも様々な障害をもたらした。

 例外なく発症したのは体の成長が著しく低下することだった。そのほかにも極端に力が強くなったり、走るのが速くなったり、突如として叡智に覚醒めざめたり、手を触れずにものを動かす事ができるようになったり、空を飛べるようになったり、記憶を操作したり……

 だがそれらの能力はある意味では秀でた才と言い換えることもでき、それを生活に活かすことができる者もいた。問題は、感染者の中には取るに足らない変化あるいは奇異な変化を受けた者もいたということだった。


 インフェルの身体に起きた変化は強く念じることで物を切断する力。ただそれだけならよかったのだが彼女はもうひとつ男性的特徴を発症した。彼女の体はいわゆる両性具有になってしまったのだ。その体を見た両親は嘆き悲しみ口汚い言葉を彼女に浴びせた。友人たちも気持ち悪がって彼女に近づかなくなった。中にはインフェルの体を面白がってイタズラを働く者もいた。元々一人称が“ボク”だったことがそれに拍車をかける形となった。


 そんな環境に晒され続けたインフェルは精神を擦り減らしていき……頑張っていたネコ車部も辞め、いつしか孤独を愛するようになっていった。

 そして、両親に半ば家を追い出される形で一人暮らしをするはめになったインフェル。幸い両親には教育の義務があるので学校卒業まではお金を出してもらえることになったが、学園に行くのは憂鬱だった。それでも学園に通い続けたのはヴィル星では学歴のないものは仕事にありつけないという社会情勢的にそうせざるを得ない状況だったからだ。


 そんな彼女に2度目の転機が訪れる――


 …………


 広い学園の敷地内には広すぎるがゆえに人があまり寄り付かない場所がいくつかあった。ほんの少し傾斜の掛かった青い芝の中央に一本の楡の木が生えている場所もそのひとつだった。

 家に帰っても特にやることがないインフェルは放課後になると、その木の根本でぼーっとして時間が過ぎるのを待つのが日課になっていた。そしてその日も彼女はいつものようにその場所にやってきて、芝の上に寝転んで空を仰いだ。


「はぁ……静かだ……」


 ウイルスに感染する前は賑やかな環境の中にいることがとても楽しく感じていたのに――と思う。


「今日はここで寝ちゃおうかな……」


 ウトウトし始めた彼女の耳にキャッキャとじゃれ合う騒がしい声が聞こえてくる。その音が彼女の傍で止まると、


「うわっ!? 大変だぞ!? 人が死んでるんだぞ!?」


 何事かとインフェルが身を起こすと、


「うわっ!? 生き返ったんだぞ!? ゾンビなんだぞ!?」


 そこにはわけのわからないことを叫びながらファイティングポーズを取る小さな女の子がいた。ピンク色の服に身を包んだ桃色の髪の少女――コビドだった。


 これがインフェルとコビドの初めての出会い……彼女たちが地球で再会を果たす12年前の出来事。


 インフェルはコビドのことは当然知っていた。女王の娘であるということだけでもそれなりに有名だったが、特徴的な桃色の髪とピンクの服はどこにいても目立ち、王女らしくないその振る舞いも注目されるひとつの理由だった。そしてコビドが最も有名になった理由は、彼女もまた『悪魔の雷イビルフラッシュ』の被害者だったからだ。


 コビドが被災した当時は女王マラリアはまだ女王と呼ばれるような存在ではなかった。当時官僚的立場だったマラリアの活躍により諍いを続けていた各国が和睦を結び地球に報復するという目的のために心をひとつにしていった。彼女のその活躍ぶりは広くメディアで取り上げられ多くの民から称賛を得た。そして彼女の行動原理が自分の娘もまた被災者であるという理由からだとわかれば娘のコビドにも同然注目が集まった。


 コビドの存在は『悪魔の雷イビルフラッシュ』の被害者たちの境遇を大きく変えた。当時はインフェルだけでなく多くの被害者が差別的な行為にさらされていた。普通ではないということはどこに行っても忌避の対象であった。


 女王マラリアと娘のコビドの存在は『悪魔の雷イビルフラッシュ』の被害者に対する言動を改めさせるきっかけとなった。


 それがインフェルに少しの勇気と安らぎを与えていた。


「えっと、ボクはゾンビじゃないよ。横になってただけだよ」


「ん。そうだったんだぞ? 勘違いだったんだぞ? じゃあ死んでなくてよかったんだぞ」


 コビドはニコっと笑った。


 太陽みたいな無垢な笑顔につられて、インフェルの顔にも自然と笑みが浮かぶ。


「あ~! コビドちゃーみつけた~!」


 コビドの後ろから彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。そちらに視線を向けると頭に緑のベレー帽を乗せた金色のツインテールの女の子が走ってくるのが見えた。女のが走る度にたぷんたぷんと揺れる大きな胸に嫌でもインフェルの目が釘付けになった。

 体格に見合わない大きな胸。明らかな奇形。そのアンバランスな身体的特徴を見てインフェルは察した。彼女もまた“自分と同じ“なのだと。


「あ、マズちゃんと遊んでたのすっかり忘れてたんだぞ」


「え~。ひどいよ~」


 下がり眉をさらに下げてマズが悲しそうな顔をする。


「うん? このひとだ~れ~?」


 インフェルの存在に気がついたマズが訊ねた。


「えっと……えっと……、ゾンビちゃんだぞ!」


「え!? ゾンビ~!? かまれるよ~!?」


「ち、違うよ!」インフェルが慌てて否定する。「ボクの名前はインフェルだよ」


「インフェルちゃんだそうだぞ」


「インフェルちゃー♪」


 するとマズはインフェルの周りをくるくると回りだした。それに乗せられるようにコビドもくるくると回りだす。


 コビドとマズの独特な空気についていけずあたふたするインフェル。そんなインフェルを余所にコビドはピタリと動きを止めた。


「そう言えば今日は早く帰ってこいってママに言われてたんだぞ! マズちゃんも一緒に帰るんだぞ!」


「え~。まだあそびたいよ~?」


「ダメだぞ。遅くなるとあたしがサズちゃんに殴られるんだぞ」


「マズちゃんはなぐられないからへーきだよ~♪」


「ダメなんだぞ! アタシが痛いからヤなんだぞ!」


「そっか~。ならしかたないね~」


 コビドとマズは連れ立ってインフェルの元を去っていく。不思議な時間は唐突に終わりを迎えた。


 去っていく2人を見送る形となったインフェル。彼女の思考回路ははてなマークが大渋滞していた。


 その日を境にインフェルはその場所でコビドとマズの2人と時々顔を合わせるようになった。歳の離れた妹たちと遊ぶような感覚でコビドやマズと一緒になって追いかけっ子をしたり、だるまさんが転んだをしたりした。そのことがいい薬となってインフェルの顔には徐々に笑顔が戻りつつあった。


 しかし、それを面白く思わない者もいた。


 ……………………


 …………


 インフェルのクラスメイトにエボラという名前の女子がいた。茶髪の巻毛の少女で常に多くの取り巻きを従えていていた。彼女の父親は首領ドンコレラの異名で知られる豪族で誰も彼女に逆らえないでいた。そんな境遇に置かれていた彼女だからこそ、学園内でも相当に幅を利かせていた。また、このエボラもまた『悪魔の雷イビルフラッシュ』の被害者だった。


 エボラは事あるごとにインフェルを目の敵にしていた。これは2人がウイルスに感染する前からそうだった。同じネコ車部に所属する者同士で切磋琢磨し合って良いライバル関係に合った……と思っていたのはインフェルの方だけで、エボラは完全に彼女を敵視していた。ウイルス感染後はそれが顕著になりエボラは他の部員と一緒になってインフェルを追い立てた。エボラはインフェルが孤独になってゆく様を見て心の底からほくそ笑んでいた。


 だがある時彼女は偶然目にしてしまったのだ。インフェルが楽しそうにコビドと遊んでいる姿を……


 それを面白く思わなかったエボラは、いつものように取り巻きを引き連れ楡の木のある芝へ赴いた。そこにはいつものように芝の上に寝転がるインフェルだけがいてコビドとマズの姿はなかった。


「オーッホッホッホッホッホ!! 今日はおひとりみたいですわね!!」


 エボラは口元に手を当てインフェルを高笑う。


 インフェルは露骨に嫌な顔をした。


「なんですのその顔は……奇人のくせに調子に乗るんじゃありませんわよ!!」


「ボクは別に――」


「言い訳は無用ですわ!! ――最近なにやらコビド様に取り入ろうとしているらしいですが、それこそが調子に乗っている証ですわ!!」


「!? ボクは別にコビドちゃんに取り入ろうだなんて――」


「まあ!!! 皆さん聞きました!? あろうことか女王の娘をちゃん付けで呼ぶなど不敬もいいとこですわ!!」


 わざとらしげに大げさに言うと取り巻きたちがそれに賛同する。そしてエボラがパチンと指を鳴らす。その音に反応するように取り巻きの内の4人が寝ているインフェルの動きを封じるように体を押さえつけた。


「実は面白いことを考えたんですの。不敬を働くアナタには丁度いい罰にもなりますわ!!」


「ちょっと、何を……」


 さらに別の取り巻きがインフェルが着ていたワンピースを捲くり上げ下着をずり下ろす。


「きゃああっ!!」


 いきなりのことにインフェルが悲鳴を上げる。 


「何ですの? 女の子みたいな悲鳴を上げて」


「何を言ってるの? ボクは女だよ」


「おやおや、まあまあ……こんな物をぶら下げておいて自分は女などと……ワタクシでしたら口が裂けても言えませんわね。そんなこと――!!!!!」


 エボラはインフェルの股ぐらを思いっきり踏みつけた。


「うぐ――ッん!?」


 形容しがたい激痛がインフェルを襲う。今すぐ痛部を押さえて体を折り曲げたい衝動に駆られるが、体を押さえつけられていてはそれもままならない。


 そして、エボラが「あれを」と言って手を出すと、さらに別の取り巻きがハサミを取り出し彼女の手の上に置いた。


「先程の続きですが、アナタのソレを切ったらどうなるかと思いましてね」


「なに言ってるの……冗談、だよね?」


 エボラの正気を疑うような発言にインフェルの顔が青ざめていく。


「正気も正気ですわ。それにアナタは自分が女だと言いましたよね? だったら丁度いいんじゃないですの? ――それに、ワタクシたちはウイルスに感染したことにより他人よりも遥かに優れた再生力を持っているのですから例えソレを切除しても怪我はすぐに治りますわよ?」


 すると、取り巻きたちの拍手が巻き起こる。そんな中インフェルだけが恐怖に怯えながらエボラの手の内にあるハサミを見つめる。

 エボラはこれみよがしにインフェルの前でハサミを開いたり閉じたりしてチョキチョキと音を立てた。


「い、嫌だ!! やめてよ!!」


 なんとか逃れようとするも大勢に体を押さえつけられては梨の礫だった。


「安心しなさい。またえてきてもその都度その都度切り落としてさし上げますわ! そうすればあなたも立派な女性になれますわよ」


「そんなこと心配してないよ!! 痛いのが嫌なの!! やめて!! 誰か助けて!!!」


 今まさにエボラのハサミがインフェルの股座またぐらに襲い掛かるタイミングで、


「こらぁ! 何やってるんだぞ!」


 コビドが駆けつけた。その後ろからマズもやってきた。


 万事休す――エボラは手を止めた。


「さっきインフェルちゃんの悲鳴が聞こえたんだぞ! そのハサミは何なんだぞ? 酷いことしちゃダメなんだぞ」


「これはこれはコビド様。酷いことなどございません。ワタクシはこの者が女になりたいと言うので手伝ってあげようとしただけですわ」


 コビドとマズが同時に首を傾げた。


「何言ってるんだぞ? インフェルちゃんは女の子なんだぞ」


「そうだよ~。ちゃんとおっぱいあるよ~」


 するとエボラはわざとらしく驚いてみせた。


「まあ!! ご存じないのですか!? ではこの者はずっとコビド様を騙していたということですのね!!」


「騙す? あたしはべつに騙されてないんだぞ」


「そんな事はありませんわ!! お見苦しいかもしれませんがあれをご覧になってくださいまし!!」


 エボラはインフェルを押さえる取り巻きたちに間隔を開けるよう指示してその局部をコビドたちに披露した。


「ダメ!! 見ないでコビドちゃん!!」


 インフェルの言葉もむなしく、コビドとマズはそれを見てしまった。恥ずかしさのあまり泣き出してしまったインフェルを取り巻きたちがクスクスとせせら笑う。


「どうですか? おわかりいただけましたか? この者はこういう存在なのです。ですのでコビド様もこれ以上この者と付き合うのはおよしになったほうがよろしいかと」


 コビドはただじっと黙ってそれを見ていた。しばらくしてこう言った。


「関係ないんだぞ。それはあたしのパパにも付いてるのい見たことあるんだぞ。だから珍しくもなんともないぞ。重要なのは一緒に遊んでて楽しいかどうかなんだぞ!」


 コビドの擁護の内容はだいぶズレていたが、それでもその言葉を耳にしたインフェルの心に届いていた。


 これまでインフェルの正体を見た者は例外なくエボラのように心の底から不快感を示した。中には大衆に迎合することで自分の身を守ろうした者もいるだろう。エボラはそれが当たり前だと思っていた。

 だがコビドはその他大勢と違う意見を臆せず述べた。


「正気ですの!? この者は奇人ですのよ!?」


「それでもいいんだぞ。インフェルちゃんといると楽しいからそれで十分だぞ」


 エボラがどんなに言ってもコビドは引き下がらなかった。しかし、どうしてもインフェルの局部をチョキチョキしたい衝動に駆られていたエボラは終いにはコビドにこんな提案をした。


「わかりましたわ。ではコビド様こうしましょう。ワタクシとネコ車レースで勝負しましょう! それでワタクシが勝ったら、ワタクシがその奇人をどうしようと口出し無用でお願いしますわ。逆にワタクシが負けたらワタクシはその者に一切関わらないことをお約束しますわ」


「ネコ車レース? わかったんだぞ。その勝負受けるんだぞ!」


 コビドはよく考えもせずエボラの提案に乗ってしまった。その時エボラはまだ勝負をしてもいないのに勝ちを確信したようなしたり顔を見せた。


「約束ですわよ。レースの日取りは追って報告しますわ。――それでは皆さん引き上げますわよ!」


 エボラは号令をかけ、取り巻きたちをぞろぞろ引き連れ帰っていった。


「インフェルちゃん。意地悪な人はいなくなったんだぞ。風邪引くから早くパンツ履いたほうがいいんだぞ」


 コビドはいつになく真剣な表情でインフェルを心配していた。


 インフェルはいそいそと服を直して立ち上がる。


「ボクの身体……気持ち悪くないの?」


「大丈夫だぞ。何があってもインフェルちゃんはインフェルちゃんなんだぞ」


 コビドの言葉にマズもウンウンとうなずく。コビドのストレートな言葉は再度インフェルの心を打った。たまらなくなってインフェルは起き上がると同時に膝を折ってコビドに抱きついてうわんうわんと泣き出した。


「あ~、コビドちゃーなかせた~!」


「え!? 違うんだぞ、あたしは別に変なこと言ってないんだぞ!」


 コビドはどうしていいかわからずあたふたするばかりだった。

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