第33話 決戦前朝
ここからは、本当の意味で自分の為だけの蛇足になる。彼女を失いたくない、もう一度、あの放課後のように笑い合い、思いの丈を語り合いたい。そんな意地汚くもみっともない、泥の中でもがき這い蹲るような無駄足だ。鳴子を思うなら、俺はもう身を引くべきなのだろう。期待するべきじゃないんだろう。
でも、それでも──諦めたくない。それはやっぱり、俺は彼女のことを本当に大好きだから。
早朝、気合の入りまくっている何かしらの部活の朝練、それと同じく朝の早い教師連中、そういう奴ら以外はまだ学校に来ていないような、そんな早めの朝に俺は登校した。頭は寝ぼけるどころかギンギンに冴え渡っている。徹夜で物書きをしていた為、ギンギンにズンズンと痛んでいた。
まさか自分がこんな──ラブレターを書くことになるとは思いもしなかった。内容に文体に字の綺麗さに四苦八苦しながら、勉強机に齧り付くような、そんなことをするとは本当に夢にも思っていなかった。
鳴子の下駄箱を見つけると、上履きの下にそっと忍び込ませる。取り出した際にうっかり、ポロリと落ちて朝の話題にならないようにと願いを掛けて、差し入れた。まあラブレターと言っても、別に『貴方のことが好きです』とか『緊張しながら筆を取っています』とかを書いたわけじゃない。
放課後、最終下校時刻手前に来てくれ。と呼び出すだけの一文。宛名もない、そもそも書いたところで、今の鳴子は首を傾げるだけだろう。
目的は果たした。あとは教室に行って──いや、すぐに行くのはやめておこう。クラスの空気にすら成れていない俺だが、それでも1番乗りで教室で寝たフリでもしようものなら、まず間違いなく変な目で見られる。
変な目で見られるのは、嫌だ。
「……よし」
校舎を歩くか。最後に、彼女と過ごした思い出の場所でも巡ろう。
閑静な、薄暗い通路。自分以外誰もいないのではないかと錯覚さえ起こしそうな、冷えた道。こうして渡り廊下を歩いているだけでも、色々な思い出が込み上げて来るようだった。どこかへ遊びに行ったこともない俺達なのだから、それは当然のこと。思い出も関係もその殆どがこの学校。出会ったのも恋をしたのも、失恋したのも忘れられたのも、何もかもがこの学校での出来事だった。
一階、グラウンド側、並べられた自動販売機と1組くらいが腰掛けられる、錆びたベンチ。雨に打たれたあの日に、友達になった場所。目を細めればあの時の映像が重なる。
『……血液型はさっき言ったっしょ……好きな食べ物、だっけ……焼肉、かな』
涙を流して語っていた彼女が、思い起こされる。
思い起こして、そして俺の手には──拳銃が握られていた。
纏わり付くように、こびり付くようにベンチへ──クラヤミが腰掛けていたからだ。
身を低くして、首を傾げてじいっと顔を覗き込む、化け物。
地面を伝う液体みたいに徐々に、這い寄る。クネクネと身を捩り、顔面部分の白い的が右往左往して揺らいでいた。
「……放課後まで待ってろ」
それでも、その的を外したりはしない。捉えられない程早く動いているわけでも無かったし、何より俺が銃を向けると──ピタリと動きを止めたのだ。
躊躇する必要もなく、指を掛けた引き金を引く。
短い発砲音は鳴子の散弾銃に比べて、随分と矮小で──臆病な俺らしい。
発射された弾丸が丁度的の中心を貫いて、クラヤミは消滅した。最初からそこには何も無かったかのように、徐々に消えていったとかそういうわけでもなく、跡形も無く、消え去った。そしてそれは俺の銃も同じ。
この場所での目的を終えたと感じた俺が、次に向かったのは勿論あそこ。
柑橘系の芳香剤の、強すぎる香り。平日は毎日磨かれているであろうピカピカなタイル。本当にどうしてこんな場所が、思い出となってしまったのか悔やまれるが、なってしまっているのだから仕方が無い。
──男子トイレ。あろうことか、ここで俺は彼女に告白をした。いやもう結構悔やんでいる。まだメールで好きだと伝える方が淡白だが幾らかマシだろう。本音を言えば俺だってもっとロマンチックに告白したかった。
どこかへ出掛けた帰りのふらっと寄った公園のベンチとか、夜景が綺麗な高台とか、お祭りで花火を見ながらとか、そんな感じが良かった。しかもただの男子トイレじゃない、個室の中で告ってしまったのだからもう手に負えない。
そんな個室に、鍵を掛けて入る。
微塵も暖かみを感じさせない狭い密室。逃避の果てに、二人きりになったと言えば、少しは聞こえが良いだろうか。
鳴子はこの場所で、こんな場所で、自らを語ってくれた。彼女が彼女として存在しているそのルーツを、隠す事なく吐き出してくれたのだ。思えばあの瞬間、俺の思いに同調しなくとも応えてくれたのは間違いない。
何気なく、何となく、入ったからにはと水を流した。
流したからにはと、個室を出た。
ただでさえ冷たい印象を受けているのに、それ以上に実際に気温が下がった気がしていた。それは多分、俺が鉄の塊を手にしていたからだろう。人肌よりもずっと温度の低い、こんなものを握っていたからだろう。
振り返ると個室の中で──クラヤミは蹲っていた。
彼女が残した想いが今でもそこにあるかのように、膝を抱えて、座っているようにも見えた。
ゆっくりと、頭部が向きを変えて視線が合う。
瞳なんてものは無い筈なのに、何故だかそう感じてしまった。撃ち殺しやすいように、撃って欲しいと懇願しているように、クラヤミは真っ直ぐ向かって来る。
撃ち抜くのは簡単だった。俺はそれに向けるだけで良かったからだ。
目の前に化け物が居て、それに対抗する手段を手にしている時。人は迷わない、躊躇しない。恐らく反射的に恐怖に支配され、いとも簡単に引き金を引いてしまうだろう。実際、鳴子も御伽ちゃんもそうして来た筈だ。
「後でな」
だから俺は、俺の意思で、明確な目的を持って撃ち殺す。それは多分──この武器と用法としては大きく間違っているものだろう。化け物が歪みから生じたとすれば、武器とは意思から生まれたものだと思う。
受け入れたくない──拒絶。
男子トイレを出ると、それからは幾つかの場所を巡っていった。そろそろ誰か登校して来るだろうと、そんな時間までの暇潰し。これこそが俺の青春だ。この無駄、無意味な記憶が──思い出が青春の一ページなのだ。
放課後、恐らく今後の人生を左右しかねない、そんな余計をするのだから、今くらいはそんな無駄を許して欲しい。時間を殺すだけの無意味に目を瞑って欲しい。
誰に懇願しているのやらそんな独白をしながら、校舎を歩いて回っていた。
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