第24話 彼女はずっと、待っていた
朝、何となく教室に入るのが億劫だった。校内放送で呼び出された件や、鳴子の事や、そもそも友達がいないので寂しいやら、色々と理由はあるが、まあ嫌だった。
扉を開けると、案の定クラスがざわつく。
「……」
しかし、不思議な事に誰一人としてこちらを見ている者はいない。
お前なんかアウトオブ眼中だ、と言わんばかりに、今はそれどころじゃないかのように、楽しげではない感じで──ざわついていた。
一体何があった、そう聞ければどんなに楽だろう。しかしながらそれを聞く相手もいないので、大人しく席に着く事にした。寧ろこのままずっと立っている方が注目を浴びそうだし。
扉から最も近い席に座り、扉から最も遠い座席に目をやった。どうやら鳴子はまだ登校していないらしい。あの可愛らしいカバンも、彼女を取り囲むクラスメイトもそこには無かった。そこだけ、ポッカリと穴が空いているように。
ならばいい、いつものように先生が来るまで寝たふりをしよう。実際問題、ここ最近全然眠れていない。朝、歯を磨いている時に鏡を見て自分の顔にゾッとしたほどだ。もっともそれに触れてくれる人物がいないのだが。
机に突っ伏していると、本当に眠くなってくる。
ガラガラと扉が開き、担任が入室して、クラス中が静まり返って、余計に意識が朦朧としていた。
「……皆さん、おはようございます」
やたらと沈んだ声だった。表情は見ていないが、声だけで、きっとクラスがざわついた理由を説明してくれるのだと、そう理解するのには充分過ぎているくらいに。
「もう皆の耳に届いていると思いますが」
いや、俺は聞いていないぞ。
「陽衣さんの行方が分からなくなっています。ご家族から、昨晩から帰宅しておらず、連絡が取れないと」
微睡が、吹き飛んだ。
「これから、陽衣さんと親交のある人に心当たりを聞くので、一時間目は中止になります。他の生徒は自習をするように。またSNSで不確定の情報を流したりしないで下さい。これは、とても繊細で重要な問題です。皆、心して下さい」
景色が歪んでいく感覚、静寂の中、理路整然な担任の言葉など耳に入れる気にも、入りそうも無かった。何を意味しているかは分かっている。それでも何故、どうしてと、そう思う。
いや間違いなくきっかけはある、知っている。思い上がりでも、自惚れでもなく、それは俺が関わっている。
行方不明、それは俺をフったから? 違う。
連絡が取れない、それは関係が終了したショックで? 違う。
学校に来ないだけなら、家に居てくれれば、それは多分そんな理由だろう。だが違う。
彼女が、どこにも居ないのは、そんな普通の理由じゃない。何かは分かっている、間違いない、
──化け物だ。
そう思うと、俺は座席を──立ちかけた。立つまでには至らない。
だってどこを探す、どこにいる。手掛かりは何もない。それを得る為の人脈さえ、何もない。
何人かのクラスメイト、多くのクラスメイトが別室へと連れて行かれた。
しかしそのメンツに俺は居ない。当然だ、だって俺と彼女の関係は秘密では無かったが、教室で『おはよう』とか『昨日のテレビ見た?』とか、そんな間柄じゃない。放課後とか、昼休みとか空いた時間限定の──特別な関係。
そんな関係など、他の誰も知る由もない。
「──鳴子」
それでも、俺はもう、何も知らないなどと言うつもりはない。俺は鳴子を知っている、誕生日も血液型も好きな食べ物も趣味も、笑顔も泣き顔も──苦悩も知っている。俺は彼女の殆ど全部を知っている。
教室で銃をブッ放すヤベエ女の事を、俺は沢山知っている。
俺が好きな女の子のことを、俺は知っている。
気が付くと、廊下へと出ていた。
当てなどない、後先も考えていない、それでもそれが立ち止まって良い理由にはならない。まさか自分にこんな熱血が宿っていたとは衝撃だったが、とりあえず教室は飛び出していた。
廊下を駆けて、階段を駆け下りて、靴に履き替えて──校門で立ち止まった。
立ち止まらずにはいられない、素知らぬ顔で通り過ぎることが出来ない。何故なら、そこには彼女が立っていたから。
この状況で、このタイミングで、待ち受けていたように、待ち伏せていたように──姫沼まくりが、そこに立っていたのだ。
「……どうして」
踏み出すと、彼女は立ち塞がる。
「行方不明の話を聞いて、一発でピンときたよ。きっとトシくんの知り合いの──好きな女の子が、そうなっちゃったんだろうなって」
二度目の問いは口から出て来なかった。
「分かるよ。だって幼馴染みだもん」
分かる筈がない。
「そう思える、よね」
「……そこを退いてくれ」
「それは出来ないよ」
「どうして」
「彼女は多分、街を彷徨ってる。逃げ場なんてどこにもないのに。それでトシくんは、どこに探しに行こうって言うの? こんなこと言いたくないけど、それは時間の無駄」
「お前は何を知ってる」
「私が知ってるのは、トシくんの事」
「……鳴子の行き先を知っているのか」
「それは知らないって。だから行かせない。たとえ知っていたとしても、今の貴方を行かせない」
見たことのない程、真剣な表情で、
「だったら話してくれよ──お前は俺の何を知ってるんだ」
「全部」
フッと笑うと、そう言い切った。
俺でさえ知らない、俺の事を彼女は全部知っていると、そう言うのだ。
「いや全部は言い過ぎたかも。ごめんね」
そしてそんな、彼女のあっけらかんとした態度が、煮たっていた頭を冷やしてくれたらしい。確かに、俺は少し冷静になるべきかもしれない。闇雲に鳴子を探したところで見つけられる保証はどこにもないのだから。それでもただ何もせず、じっと待つ事は出来ない。今出来るのは、頭を冷やして、熱く考える事。
「落ち着いた?」
「ああ……ありがとう」
本当に、お姉ちゃんにしたいよまったく。
「フフッ、どういたしまして。本当怖い顔だったよ、殺されちゃうかと思うくらい」
「……そんな顔してたか?」
「うん。大事な人なんだね」
「そうだ」
「おー、かっこいい」
「やめろ」
お姉ちゃん候補第一位の彼女のおかげで、どうにかこうにかどうにもこうにも落ち着いた。滞っていた脳内が徐々に流れていき、すると考えつくのは幾つかの疑問だった。
「それで、どうしてまくりはピンと来たんだ?」
「うーんと、まあ、勘、かな」
やたらと歯切れ悪く、首を傾げて言う。
「だってピンと、ってそういうものじゃない?」
まあ、確かにそうかもしれんが。
「街を彷徨ってると言ってたな、どうしてそんな事が分かる?」
「私も思春期の頃に同じような経験があったから、何となく分かるの。トシくんが言っていたように、きっと人には言えない事情を抱えてしまって、逃げ回ってる」
「? そんな事あったか?」
というか、高3てまだ思春期じゃないのか。
「まあね。トシくんが知らないだけで、女の子には色々あるんだよ」
「そんな事、一言も……」
「心配かけたくなかった。でも、トシくんは私を救ってくれた。きっと何気ない日常の一つだったかもしれないけど、それでも貴方が私を救ってくれたんだよ」
俺が──お前を?
「って、私の話はもういいの! 今はもっと大事な事があるでしょ?」
「全部終わったら、お前の話も聞きたい」
彼女は言葉を詰まらせた。
だってお前は俺を何度も助けてくれたろ。それに幼馴染みだし、何か悩みがあったのなら、それを俺が知らなかったのなら、聞きたいと思うのは当然じゃないか。
「……そう、だね。全部終わったら。話そっかな」
「もし言いたくないなら、それでも良い」
「うん」
思考を止めず、しかし足は止めた。
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