第20話 陽衣鳴子

 鳴子は怒っていた。昼休み終了間際に強引に引き摺って、階段の踊り場に叩き付けて、銃を突き付けて、支離滅裂な言葉を吐き出すくらいには怒っていた。


「中庭で話してた子、誰なの?」


 これが多分、彼女が前述の行動を起こした元凶なのだろう。これが、こんな素朴なただ一つの質問が彼女に突飛で突発的な行動をさせていたのだ。


「へ?」


 思わず、無意識に、呆けた。漏れた空気と共に変な感じで、妙な空気が男子トイレその密室で流れていた。


「聞こえなかったなら……もういい」

「いや聞こえていた」


 はっきり全部まるっと聞こえていた。


 これで、こんな理由で、今、俺は、こんな状況に身を置いているのか。呆気なく取り止めのないこんな原因で、彼女は俺に銃を突き付けたのか。


 仲良くなった女の子が怒っていた。それは俺が他の女の子と楽しそうに昼食を共にしていたから。厳密に言えば俺は御伽ちゃんの壮大な妄想をただ聞き流していただけなのだが、それでもこれらの事実を元にして、ある一つの答えを導き出す。


 俺は多分ちょっと頭が悪いし、友達も居ない。だが、愚かでも鈍感でも無いのだ。


「お前まさか」

「やめて……その先を、言葉にしないで」


 鳴子は、多分──嫉妬したのだ。十中八九では無いが、結構高めの確率で。


 照れたように恥じらうように動揺を隠すように、彼女は目を逸らした。


「……昨日連絡したろ。武器を持った少女を見つけたと」

「うん」


 鳴子はすんなりと頷く。直接言ってもこれなのだから、彼女はその件に対して本当に興味が無いらしい──だがそれは何故だ。


 だけどそんなことはどうでもいい。鳴子が嫉妬している、その事実がどうにも堪らなく俺は嬉しく思えた。苦労して躾けた飼い犬がようやく懐いたような──いや、もう誤魔化すのは辞めよう。


 俺はきっと──彼女の思いが、素直に嬉しい。


 理由は無いし、原因も分からないが、俺は──彼女が好きだ。


 出会って話して触れ合って、涙を知り笑顔を知り、失って、知った。俺は鳴子ともっと一緒に居たいのだと、だからこそ、その嫉妬が堪らなく嬉しかったんだ。


 嫉妬しているという事は少なくとも、俺と同じ気持ちでなくとも、悪い感情を抱いていないのと知る事が出来た。


「……何を話してたの」

「正直言って分からない。延々と妄想を聞かされただけ」

「妄想?」

「世界を救うとか、たこ焼き屋とか、そんなんだ」

「は、は?」

「お前の疑問は分かる。自分でも何を言ってるか分からない」

「そ、そうなんだ……」

「スッキリしたか」

「まあ、それなりに?」

「お前はどう思っているんだ?」

「何が?」

「俺とあの子の間には何も特別な事はない。それについてどう思っているんだ」


 ここは、まあ自分の感情を吐き出すには最適な場所だろう。受け止めてくれるし、流す事も出来るのだから。だから今日はもう逃げない、こんなチャンスはやってこないかもしれない。ならば──全部ぶつけよう。全部を吐き出して、彼女にも全部吐き出してもらう──駄目なら流せば良い。


「……それ、どういう意味?」

「俺はお前が好きだ」


 鳴子は硬直した。


 つい勢い余って出てしまった。だがもう引っ込められない。


「明確な理由とかはないけど、俺はお前が好きになったんだ。いろんなお前を見て、俺はお前ともっと一緒に居たいと思った。だから、答えてくれ。お前はどう思ってるんだ──鳴子」

「……そ、っか……そう、なんだ」


 彼女は俯き、すぐに返答は返って来なかった。


 思えばこれは人生初めての──告白。


 正直もう少し、鼓動が早まるとか、体が熱くなるとか、ヤキモキするとか、待っている時間が永遠に思えるとか、そんな事があるかもしれないと思っていたのだが、意外にも自分でもびっくりする程、俺は落ち着いていた。返答に対して確信があったわけじゃない、同じ気持ちである保証もない。それでも平静を保っていたのは、多分俺自身もスッキリしたからなのだろう。鳴子と出会ってから、今現在に至るまで、ずっと抱いていたものを吐き出す事が出来たのだから。


 支えていたものが崩れたのだから。


 そうして、遂に彼女は語り始める。しかしそれは、恐らく──拒絶の理由だった。


「アタシのお父さんとお母さんはね、離婚してるの」

「……そうだったのか」

「ずっとずっと小さかった時のこと。記憶も曖昧で、朧げだったそんな時には、もう、家に二人が揃うことは無かった。アタシはお母さんに引き取られて、今もそのまま」


 拒絶の理由であり、嫌悪の理由であり、きっと全ての根幹。


「いつか二人が、また──なんてそんな風に考えていた頃もあったけどさ、それは無理だって気が付いたの。だって──家には知らない男の人が居たし、お父さんには──名字を変えて、なんて言われたりもしたよ。でも別に恨んでいるとかじゃなくて、傷付いたとかでもないんだ。ただ──信じられなくなっただけ」


 多分、鳴子はこの話を初めて口にしている。自分の気持ちを整理するように、抱えていたものを引っ張り出すように、おっかなびっくりに、辿々しく、震え、語っていた。


「だってさ、結婚て、そんな簡単に捨てられる契約じゃないよね。お互いがお互いに、この人しかいないんだって、そう思ってするものだよね……ううん、違う。そりゃお金とか色々、あるとは思うけどさ」


 現実と彼女の大事な何か、その間で揺れているように見えた。


「付き合うとか、好きとか、愛とか、恋とか、全部全部全部──嘘に思えた。分かってる、こんな考えはただの逃げだし、アタシは前に進めない理由は──アタシ自身のせい。世の中の全部の特別を否定しない。だけど、だけどさ……一番信じてた、身近な存在がそうなっちゃった時、歳平だったら、信じられる? それだけじゃない。アタシはこれまでいろんな人を見てきたよ。友達が付き合って、最初はそりゃもう見てるこっちが恥ずかしくなるくらいで、でも結局浮気が原因で別れた、そんで一ヶ月後にはお互い別の人と付き合って、別れて、付き合って──ねえ、何を信じればいいの?」


 何も言えなかった。


 言える筈がなかった。


「アタシは、アンタの何を──信じていいの?」


 黒い、真っ黒な、沈んだ瞳を向けられて、今はまだ何も言えない。今の彼女を救う方法など、俺は何も手に出来ていない。


「ごめん……でも、これがアタシなんだ。アタシの全部なんだよ。信じたいよ、信じさせてよ、誰かと触れ合いたいよ、デートして、夜通し電話してさ──アタシは、普通になりたかっただけなのに──どうして」

「……ありがとう」


 今は、だ。


「……なにが?」


 俺さえも写っていなかった瞳に、色が灯った。明確な苛立ちの赤が。


「話してくれて、ありがとう。俺はお前が好きだから、知れて嬉しかった」

「……そっか」


 俺は扉を背から外し、鍵を開けて、鳴子に道を譲った。


「結構重い話になっちゃった……こんなつもり、なかったのに──アンタのせいで」

「そうだな」

「でも、アタシも話せて良かったかもしれない。これで、アタシ達は終わりだね」

「……」

「なにも言わないんだ。引き留めないんだ」

「……ああ」

「そ、まあ別にいいけど……次、誰かに告るなら、もっと良い場所選んだ方が良いよ」


 扉を開けると、


「じゃあね──今までありがと」


 ハッキリと終わりを告げる言葉を口にし、鳴子は、何処かへ消えた。

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