第4話 朝ルーティン

 ピピピピピピピピッ。ピピピピピッ。ピピ──。


 柔らかな朝日に頬を撫でられて目を覚ました──ではなく、煩わしい騒音で目を覚ました。掛けていたスヌーズ機能を発揮する前に急いで目覚ましをオフにし、上半身を起こす。


「……」


 ──最悪の寝覚だった。昨日の夜は殆ど眠れずに過ごしてしまったからだ。


 スマホで『眠れない』と検索し、出て来た記事を信用した俺が馬鹿だったのだ。眠りたいと思えば思う程人は眠れないらしく、だったら眠くなるまで別のことで気を紛らわせろ──そう書いてあった。だから俺はそれを忠実に実行した。


 ひたすらに動物の動画を見て癒され、お菓子を食べに食べ、ゲームをやりまくった。その結果は──残念ながら最悪の気分での起床に繋がった。


 ともあれ遅刻する訳にもいかず、結局いつも通り起きる。


 洗面所で顔を洗い、歯を磨くのもいつも通り。リビングに行って朝食に手を付けるのもいつも通り。


 テレビでは今話題のバンドやらドラマやらの宣伝をニュース番組の中にぶち込んで来ており、それなりに楽しそうな内容だったが──そんな内容が全く頭に入って来なかった。


 僅かな睡眠だったが記憶はしっかりと整理されており、嫌でも昨日の出来事を思い出してしまう。


「……トシ、アンタどうしたの? 酷い顔して、せっかくの良い男が台無しじゃない」


 母さんにもそんな事を言われてしまう始末だ。少し気合を入れなければならないだろう。


「ああ」


 今は別の事を考えよう。どうせ学校に行けば、あの女に会うのだから。


 食卓に並べられた食器が一つ伏せられていた。父さんはもう仕事に行った──とすると姉さんはまだ起きていないらしい。大学生は悠長で羨ましい限りだ。


 やれサークルだコンパだ飲み会だ打ち上げだと、そんな華々しいキャンパスライフをエンジョイしているに違いない。悪の道に引き摺り込まれてなければ良いが……少しだけ心配だ。


 ──姉さんの友達が。


「ごちそうさま」


 そろそろ俺も彼女の一人でも欲しいものだ。このままだと青春どころか──春を過ぎ冬になってしまう。青くなる前に草木が枯れ落ちる。


 身支度を整えると、母さんに声を掛け家を出た。


 玄関を開けると肌寒さが無くなり掛けている事に気が付く。輝く朝日のせいもあるだろうが、気温そのものが上昇して来ているのだろう。本当に春が終わってしまう。


「……あ」


 そこで家の前に立つ──彼女と目が合う。


 艶のある長い黒髪を綺麗に切り揃え、白く透き通る肌は──まるで日本人形のよう。そんな感想を引き立たせるのはすっと通った鼻筋、大きな瞳を彩る睫毛。そこから繰り出される笑みは、本当に失礼極まりないとは思うが──まさに作り物のよう綺麗だと思う。


 小学校と中学校そして高校でも、俺は彼女と共に登校している。去年までは姉も居たのだが、今年から二人になってしまった。


 自分は少し口下手なので、彼女に退屈な思いさせていないだろうか。それだけが心配でならない。


「おはよう。トシ君」

「……おはよう」

 

 こんな自分でも、彼女は笑って迎えてくれる。


「ここ、寝癖ついてるよ?」

「ん……ありがとう」


 他者を安心させる為に存在するような微笑み。輝く朝日が眩い後光なのではと錯覚させる──そんな雰囲気を纏っていた。


 彼女は──姫沼ひめぬままくりは、幼馴染みのような存在だ。ようなというのは正確に言うと──元々彼女は姉さんの友達だから。


「今日は少し遅かったね」

「ちょっと寝ぼけて手間取った」

「もしかして夜更かししてたの? だめだよ、ちゃんと寝ないと」

「分かってる」


 近所に住んでいる彼女と、歳の近い姉さんが仲良くなるのはそう時間が掛からなかったと思う。それからはトントン拍子に事が進んで行き──気が付いた頃にはお互いの家を行き来するような間柄になっていた。


 負けん気と──あくの強い姉さんとは違い、彼女は優しく穏やかであり、誰に対しても平等だ。取り替えても良いのなら2、3週間は姉さんと取り替えたい──本気でそう思えるくらいには、彼女は俺にとって平穏の象徴なのだ。


「新しいクラスは馴染めそう?」

「大丈夫」


 成績優秀、容姿端麗、才色兼備、圧倒的聖母な彼女はウチの学校の生徒会長を務めている。1つ上の先輩であり、姉はその更に1つ上。年齢は疎らだが子供の頃からの付き合いだ。今更敬語だなんだと気にすることも無いだろう。


「知り合いも出来た」

「? 知り合い? 友達じゃなくて?」

「知り合いになろうと言われた。だから知り合い」

「そ、そうなんだ。それはまたエキセントリックだね」

「エキセントリック?」

「奇人変人ってこと」

「……意味は分かる」


 そんな彼女はほぼ完璧であり、たまに引っ掛かる言葉遣いと、圧倒的に壊滅した私服のセンスが欠点といえばそうなのかもしれない。


 そしてこれは欠点では無く長所で──おっぱいがない。以前は気にも留めていなかったが、改めてあの女と比較するとその差は大きい。平地とエベレストくらいだろうか。


 大和撫子を体現するまくりとは──正反対の存在だ。


「トシくん……それってどんな人か聞いても良い?」


 ……どんな人、か。強烈な知り合い方をした知り合いではあるが、付き合いで言えば話したのは昨日が初めてだ。端的に表すとするなら──胸のデカい失礼な女だろう。しかしそんな事を言ってしまっては、まくりを心配させてしまう。


 かと言って持ち上げて褒めるのも癪だったので、


「ギャル」


 とりあえず第一印象を答える事にした。


「ふーん……そっか──女の子なんだ──その子は」


 だがそれは失敗だったかもしれない。


「ま、まくり?」

「その子、可愛い?」

「……おう」

「そっか。可愛いんだ。その子」


 何故だろう、先程まで確かに暖かった気温に妙な肌寒さを感じてしまう。それに隣を歩く彼女から凄まじい視線を向けられているようだ。優しく穏やかな彼女がどんな表情をしているのか──確かめようにもどうにも見る事が出来ない。


「ふふ──仲良くなれると良いね。ギャル、だっけ?」

「……あ、ああ……」


 話題を変えよう。このままだと溺死しそうだ。


「……まくりは馴染めたか?」

「うん。流石に最上級生だからね。みんな顔くらいは知ってる人ばっかりだったよ」


 話題は変わった空気も変わった。


 だが彼女の言葉に、ふと自分の状況を省みてしまう。果たして自分が3年生になった時──同じ事を言えるだろうか。悔いの無い3年間だったと胸を張って言えるだろうか、と。


 そんな漠然とした不安に思わず視線を落とした。


「……」

「どうしたの?」

「……何でもない」


 そう言った意味でも──陽衣鳴子との出会いは、喜んで迎え入れるべきなのではないだろうか。貴重な人間関係の一つなのではないだろうか。


 昨日は投げやりに終わってしまったが、もう少し腰を据えて──彼女の向き合うべきなのかもしれない。心を開いてもらうにはまずこちらから、そんな言葉に肖(あやか)ろう。


 真摯に向き合い、紳士な対応で、誠実な関係を築こう。より良い知り合いになる為に。


「何か悩んでいるなら、私が相談に乗るよ?」

「大丈夫。まずは自分でやってみる」

「ふふっ、そう? 偉い偉い」


 彼女は何の気無しに、手を伸ばして頭を撫でる。年齢が一つしか違わないくせに、彼女はいつまでもずっと、俺の事を子供扱いするのだ。人の気も知らないで。


「撫でるな」

「いやいや、照れなくて良いんだよ」

「照れているのでやめてくれ」


 彼女の手を振り払い、決意新たに顔を上げた時、清々しい朝の景色とは裏腹な──ある事を思い出した。


「あ」


 本当に自分は愚かな人間だと思う──しかしこれは癖なのだ。どうしようもなく拭い難い程に染み付いてしまった悪癖。普段であれば何の憂いも無いが──今日は違う。昨日までは覚えていたはずなのに、どうしてだろうと自分を責めた。


「スマホ忘れた」

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