第5話 現在

 同窓会の会場は地元の居酒屋だった。間仕切りを取り除けて大きく一室を構えたもののどうしてもこじんまりとした印象を拭えず、ホテルのホールを会場にするごくありふれた同窓会より規模が小さく感じられた。体格の良い元男子が往来すると余計に狭く思えた。

 あまり積極的に呼ばれたのではないだろう私は隅っこに座り、人間模様の観察に回った。やはり積極的に話しかけてくる同級生はいなかった。ゲストの立ち位置の先生があまり構われずに同級生が同級生同士で盛り上がっている様は、少し惨いと思った。

 仕事の関係上遅れて参加する人が現れる度、主に主催者が湧いた。会わないのに記憶にこびりついている人、跡形もなく風化した人、変形しすぎて同一人物と気づけなかった人。様々だった。

 梨花ちゃんと一目で分かるだろうか。女性は化粧で変わる分、不安だった。私は目に見える空白を恐れた。

「お! 皆さん、水島有希さん登場でーす! はい拍手ぅー」

 アナウンスと共に現れた有希ちゃんは、主催者に挨拶を済ませると私に手を振りすぐ横の座布団に腰を下ろした。

「元気?」

 お仕事帰りの有希ちゃんはフォーマルな服装だった。

「うん。有希ちゃんは?」

「元気ないよー。うちの上司がマジでアレでさあ。今日は目いっぱい甘やかしてよ乃々ちゃん」

「しょうがないなぁ。あれでいいの?」

「うん、カルーアミルク。疲れてると甘いの飲みたくなるんだよね」

 近況報告をした。有希ちゃんは公私ともに順調らしかった。ある程度連絡を密に取っているので新しい話題もなかった。有希ちゃんはカルーアミルクと相性の悪そうな鶏の唐揚げをせっせと口に運び、間が忙しない咀嚼で埋まった。

 梨花ちゃんがいつ来るのか、訊きたかった。退官される先生には申し訳ないけれど、私は梨花ちゃんに会いたくて来た。あの日伝えられなかった言葉を伝えるためにここに来たのだ。

 私は切り出すタイミングを計った。けれど、有希ちゃんが、飲むか食べるか喋るか、何かしらの行動を漫画の誇張のようにあまりにガツガツするので話しかけづらく、私は時折相槌を打ちながらカルピスサワーをちびちび飲んでその時を待った。

 二杯、三杯と、甘めのカクテルを飲み干す有希ちゃんはすぐに赤ら顔になった。元々お酒には強い質だったけれど、疲れで酔いが回りやすくなっているのかもしれない。大きな声で私と勇雄くんの話を掘り返し始めた。改めて語り直すエピソードはなかった。有希ちゃんはさほど面白くない話でもふふふと笑い声を漏らした。

「え、なになに? 御代田さん付き合ってん人いるのぉ?」

 真正面から誰かが割り込んできた。空席の座布団に座ったやんちゃな顔立ちは、たぶん園部さんではないか。

「うん、一応ね」

 迷ったけれど、正直に答えた。推定園部さんは嬉しそうに笑った。

「おおー、いいねいいねー。いや、御代田さんって儚げだから絶対モテるだろうなって思ってたんだよねー。男ウケ良さそう。あたしなんかこんなだからさー、化粧で誤魔化してもすぐに性根がバレちゃうってかさー」

 自分の言ったことに自分で笑っている。その横に元気な子グループに属していた子が座った。名前はぱっと出て来ないけれど一番落ち着きのあった子だ。となると向かいに座ったのは園部さんで間違いない。

「お前絡むのやめろよ、御代田さんびっくりしちゃってるじゃん、酔っ払いすぎ」

「んなことないしー。ねー?」

 同意を求められたので頷いた。

「ほらー」

「ほらーじゃないだろ、子供か」

 ごめんねー御代田さん、ほら行くよ、と、付き添いの子が園部さんの腕を抱える。あたし酔ってないしー、と園部さんはいやいやをする。

「つか、これでも心配してたんだからね、赤崎のこと。成人式に来なかったじゃん?」

 文法がごちゃごちゃで言いたいことが分からない。

「どういうこと?」

 訊き返すと、きょとんとした顔つきになった。まるで言葉が通じなかったみたいに。

「え? あ、え? 何も聞いてないの? 仲良かったから、てっきり……」

 何を接げばいいのか、園部さんは言葉を見失ってしまった様子だった。

 付き添いの子が園部さんを睨みつけている。園部さんの顔から酔いが抜けていく。

 私は有希ちゃんに顔を振り向けた。

 有希ちゃんはあからさまに関係のない方向へ顔を逃がした。

 訳が分からなかった。けれど、良くない話だというのは知れた。

 私は腕時計を確認した。一次会が終わる時間が迫っていた。

「ね、ねえ、梨花ちゃんまだかな?」

 私は顔を背ける有希ちゃんに訊くに訊けず、前方に座る二人に尋ねた。二人とも視線を逸らした。

「梨花ちゃん、今日来る気ないのかな?」

 三人とも何も言わなかった。そう言えば、有希ちゃんと連絡を取り合った時、この同窓会への出席は取り止めたほうがいい、というような忠告をそれとなくされていた。今気づくような、遠回しの忠告。梨花ちゃんの名前を出せないがための苦肉の策、だったのではないか。

「私、成人式は雪が凄くて飛行機が飛ばなかったから行けなかったんだけど、梨花ちゃんも来なかったの? それとも私がいない中で何かあったの?」

 誰も答えない。そんなに悪い話なのか。汗が滲み始めたのはアルコールでも暖房でも人いきれのせいでもなかった。

 主催者がそろそろ時間なんでーと集金を始めた。私ははっとした。主催者なら梨花ちゃんが今日来るのか来ないのか知っている。そしてたぶん、皆が口を閉じている事情についても。

「待って!」

 立ち上がった私に、同じく立ち上がった斜向かいの付き添いの子が、突き出した右手で制止を求めた。しかめ面だった。あ、たしか雨宮さんだ、と私は思い出した。もしかしたら天宮さんだったかもしれない。いつも柔和に微笑んでいた。

「たぶん今、加奈たちに訊こうと思ったよね?」

 その通りだった。

 雨宮さんは痛みに耐えるように眉を寄せて、手前を睨み、やがて有希ちゃんに目を向けた。

「これは、私たち外野が軽々しく喋ることじゃないから。唯一水島さんだけが答えられる質問だと思う。もし水島さんが答えないなら……私には分かんないけど、それが赤崎さんの望みなんじゃないかな」

 こいつバカでごめんね。園部さんを見下ろし、行くよほら、と腕を引き上げた。園部さんは今度は抵抗せずに立ち去った。

 私は説明を求めて有希ちゃんを見た。有希ちゃんは顔を背けたままだった。

 私は待った。けれどこちらに向き合う様子がない。

「有希ちゃん」

 声を掛けたが振り向かない。

 皆が二次会へと移動を始めた。少しずつ場の熱気が冷めていく。

「ねえ有希ちゃん、私平気だから、梨花ちゃんに何があったか教えて。ね?」

 有希ちゃんは正座で回転すると、私に背中を向けた。私は焦りに少しの憤りを載せた。

「私、今日は梨花ちゃんに会いたくて、会って伝えたいことがあるから来たの! ……有希ちゃんがあの日、梨花ちゃんと一緒に家に来たからには、あれから梨花ちゃんの話が私たちの間でタブーになったからには、『知ってる』と思うんだけど、だから、だからこそ梨花ちゃんに直接会って、答えを伝えなくちゃっていう思いは、分かってくれるでしょう? なら、何があったかくらい教えてくれてもいいんじゃない?」

 有希ちゃんは背を向けて頑として何も言わない。ならば、と前方に回り込んだ時に。

「あ、お二人さん、会費三千五百円になりまーす! って、え? どうしたの?」

 徴収に来た主催者が絶句した。すぐに酔いのせいだろうと判断した様子で、

「めっちゃ泣いてるじゃーん。はいはい、積もる話は二次会で! とりあえず会費いただいていいかな?」

 極めて明るい声で言った。

 真正面に見た有希ちゃんは、声を押し殺して泣いていた。

 泣いていた。

 私は事の深刻さに初めて思い至った。何があったか『くらい』、なんて軽いものではなかったのだ。今見れば、私に向けられた背に乗る肩が、小刻みに震えていたのが分かる。思い返せばさほど面白くもない話でふふふと笑ったり過剰なエネルギーで飲み食いしたり、有希ちゃんの様子は明らかにおかしかった。私はそこで察しなければならなかった。梨花ちゃんについて語る苦しさに。何があったかを知っていながらずっと隠し続けてきた有希ちゃんの、荷物の重さに。

 有希ちゃんも、辛かったのだ。

 私は財布から二人分のお金を取り出し、主催者に渡した。主催者は受け取り、有希ちゃんの様子に少し困惑を見せながらも、二次会も来てね!と楽しげなピースサインで去った。泣き上戸にでも見えたのかもしれない。

 私は片膝をついて座り、斜め前から苦しみの有希ちゃんを抱き締めた。頭に手を添えて、ぎゅっと。

「責めてごめん。自分のことばっかりで、ごめん。それからたぶん、今まで私を守ってくれて、ありがとう」

 有希ちゃんが私の服の布地を、ぎゅっと握り締めた。


 二次会には行かず、私の実家で二人泊まることにした。急な来訪に母は怒ったけれど押し切った。もしかすると母の中で有希ちゃんの評価が下がったかもしれなかった。

 寒い部屋を暖房で温め、インスタントコーヒーを淹れ、それからじっくり聞いた。

 梨花ちゃんが既に亡くなっていること。

 一部の噂として燻ぶっていたその情報が成人式で暴かれ出席者の大半に共有されたこと。

 詳しくは梨花ちゃんの両親に訊いて欲しいこと。

「家に来て欲しいって言ってた。乃々ちゃんの顔見たいし、渡したい物もあるって言ってた。住所は変わってないから」

 最悪の中でも最悪の事情に、私は眩暈を覚えた。けれど有希ちゃんの今までの頑張りを無にしたくないので落ち着きを装って現実を呑み込んだ。現実は腹の中に居座ってきた逃げた過去と結びついて、強い罪悪感として私を責めた。私が伝えたかった言葉は、梨花ちゃんにはもう絶対に届かなくなってしまった。

 有希ちゃんが背中をさすってくれた。涙は出なかった。そういう感情の動きはなかった。

 たぶん、私でも梨花ちゃんの想いに向き合えなかったよ。

 有希ちゃんがそう言った瞬間、楽になるかと思ったら苦しくなって、喪失と後悔の混ざった涙が絞った布巾をさらに絞りあげたようにぽつぽつと床に落ちた。有希ちゃんは雛鳥を温める親鳥のように身を寄せて私を温めてくれた。

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