第十七話 抗争の火種

 ドゥニル川の氷は跡形も無くなり、いつしか冬は完全に終わりを告げた。少しばかり変化のない日が過ぎた。

 そして5月9日、珍しくボス、ノア、ヤコフの三者が揃って外出する日が訪れた。首都で開かれる戦勝記念日の式典にボスが招待されたのである。

 今や組織の実働はほとんどアンダーボス二人が担っているので、ボスが外出すること自体珍しい。ましてや三人が揃ってなどは、年に一度あるかどうかだ。


 セキュリテイの厳しい会場のホテルに、武器は一切持ち込まない。

 式典には首相を始め、政界の有力者が参列し、挨拶をした。その後楽団の演奏や伝統のパフォーマンスを観賞し、歓談の時間に入る。政財界の大物が集まるこの式典に毎年招待されていることからも、ボスの影響力の及ぶ範囲が窺える。

 威圧感のある大柄の男とその後ろに付き従う青年二人を、他の出席者達は畏敬の眼差しで見つめた。

 ボスのゼフィルは次々に参列者達に挨拶し、二人を紹介した。いずれ組織の後を継ぐ若い二人の顔見せも兼ねていた。


「こっちは私の息子、ニキータにヤコフ」

「初めまして」

 環境大臣を紹介された二人は交互に挨拶した。ニキータとはノアの公的書類上の、つまり表の名前だ。ルーベンノファミリーは表向きは実業家の一家である。


「この間銃撃されたメルニチュク氏は、貴方の部下でしたね。誠にお見舞い申し上げます」

「ありがとう」

 環境大臣は複雑そうな顔をする。

「犯人もまだ捕まっていないようですし、全く物騒だ。力になれることがあれば、仰ってくださいね」

「……実はここだけの話、彼女はこの所単独で動いていまして、快く思わない連中もいました。それが何者かの逆鱗に触れたのでしょう。身勝手な行動が招いた結果ですよ」


 以前セミノヴィチを尾行した時に耳に入った会話の中でも、彼女が上や他部署に知られたくない何かをしていることが読み取れた。環境大臣の言動からは、あまり彼女の行動をよく思っていないことが窺えた。


「狙われるような行動とは、メルニチュク氏は一体どんなことをしていたのですか?」

 ノアは会話に割って入った。調査の手掛かりになるかもしれない。聞かずにはいられなかった。

「さあ、詳しくは把握していないもので」

 見え見えの嘘に、ノアは無意識に目を細める。

「少なくとも彼女はBECの子会社と組んで、うちのグループが保有する鉱山の周りを調べていました。それが関係あるとか? 俺達も心配しているもので」

「いえ、その調査のこと自体把握していませんでして。省内の各部署のことは任せていますから」

 すると、ゼフィルに背中を小突かれるのを感じた。出過ぎてしまったようだ。

 そこへ、別の男が会話に割り込んできた。ノアは再び一歩引いて、ゼフィルに主導権を譲った。

「きっと今後は彼女も無謀な主張を謹んでくれるでしょう。あなた方にとっても良い結果では?」

 男は自信に溢れた顔をしてどこか嬉しそうに言う。

「申し遅れました、自由連合党首のヴォロディミルです」

「どうも。ゼフィルです」


 会話に入ってきた男は右派政党、自由連合の党首ヴォロディミル・クズメンコ。自由連合の前身である極右政党の党首は数年前に暗殺されたが、ヴォロディミルはいわばその後任だ。民族主義、反露派で、核武装を訴える。過激派としても知られる。

 政府関係者を観察していて気づいたことがある。メルニチュクが撃たれたことに関して憤りを感じている様子がなく、あの共同調査のことを疎ましくすら思っている節がある。環境大臣に至っては同じ省内にも関わらずだ。政府の中での彼女の立ち位置が窺い知れただけでも、思いがけない収穫だった。


 式典が終わると、一行はその日のうちに空路で首都からキベルジア共和国へ戻った。空港からアジトへ向かう帰りの車の中、ゼフィルがノアに向かって静かに口を開いた。


「気を付けろと言ったはずだぞ、ノア。お前がAXを追っていることを勘付かれてはならないと」


 隣に座っていたノアは恐る恐る彼の顔を見上げた。政府関係者に踏み込んだ質問をしたことを言っているのだろう。


「お言葉ですが、政府にAX開発は不可能というのが我々の共通見解ですよね。政府に情報を秘匿できる能力はないし、化学兵器を他国が放っておくはずもない。それに俺は、メルニチュクがAXに関わっているかどうかも半信半疑です」


 ノアは緊張を感じながらも意見を述べた。


「政府が開発を主導することはできなくても、政府の何者かが開発を援助することはできる。開発自体は外部に委託し、非公式に指示を送る」

「その可能性もあると?」

「全ての可能性を想定しろ。誰も信用するな」


 彼の言うことはもっともだった。あの質問が行き過ぎであったことを理解し、ボスの言葉を噛み締めた。


 トンネルに差し掛かったとき、不意に車が止まった。

「警察が……」

 運転手が呟く。二人の警官が止まるよう合図をしていた。警官が車の窓へ近づいてくる。運転手が窓を開けようとすると、ゼフィルの低い一声が飛んだ。


「開けるな! 偽物だ」


 その言葉に乗っている全員が息を飲む。

「車を出せ」

 運転手は勢いよくアクセルを入れた。

 警官の格好をした二人の男は拳銃をこちらに向け、走り去る車に向かって発砲してきた。この連中が何者かを考えるのは後だ。この場を打開することに頭を全集中させる。最優先に守るべきはボスであるゼフィルだ。車は防弾仕様のベンツ。降りなければ撃たれることはない。

 車はトンネルの出口を目指して猛スピードで進む—かと思うと、突然目の前に障害物が現れ、急ブレーキをかけた。

 片側一車線の狭い道路を塞ぐかのように、白い乗用車が止まっている。トンネルの幅に余裕はなく、こうして車が道路に水平に止まっていると、他の車が通る隙間がない。

 あっという間にその車から別の二人組が降りてきて、自動拳銃を打ち始めた。


「止まるな、右から突っ込め」


 ゼフィルが指示する。右端の僅かな隙間に突っ込み、力づくで妨害車両を押し退けようという魂胆だ。

 運転手は指示通りに右へハンドルを切り、車と壁の隙間目掛けてアクセルを入れた。

 敵の一人は撃つのを止め、慌てて車に乗り込んだ。ファミリーのベンツが敵のトヨタ車の尻に体当たりする。敵はギアをバックに入れ、隙間を塞いで遠させんと踏ん張る。

 敵の古いトヨタ車よりもこのベンツの方が馬力があるはずだが、一向に車を押し退けることができない。運転手がエンジンの回転数を上げると、キュルルルとタイヤの空回りする音が聞こえた。


「くそ! パンクしてるんだ」


 パンクしていても走行は可能だが、車を退かすほどの馬力は発揮できないらしい。

 その間に窓ガラスには、銃弾によるヒビが増えて行く。例え防弾ガラスでも、同じ場所を数回撃てば貫通する。一刻も早くこの場を離れなくてはならない。


「なら後ろへ!」


 ヤコフが言ったが、同時に後ろを塞ぐもう一台の車が迫っていることに気付いた。前後を挟まれ、退路を断たれた形だ。後ろからやってきた車から降りてきたのは、先ほどの偽警官二人だった。


 —車両の外に出ているのが前に一人、後ろに二人。他に運転手が前に一人。合計四人。


 状況を確認し、すべきことは決まった。ファミリー側は運転手含め四人。必ず守り切らなくてはならないのはボス。運転手にはハンドルを握っていてもらう必要がある。ならば、動くのは自分。ボスさえ逃せば、最悪自分はどうなっても構わない。

 この日は式典があったため武器を持っていなかったが、先ほどトヨタ車と押し問答をしている間に既に、身を乗り出してダッシュボードから予備の拳銃を取り出して置いた。


「腰の拳銃ちょうだい!」

 ヤコフが運転手に声を掛ける。どうやら彼も考えは同じと見える。


「俺が前、お前は後ろだ」


「はいよ」


 前方の敵が弾を撃ち尽くしてマガジンを装填し直す一瞬を狙い、右ドアを開けてドアの隙間から正確な一発を放った。続けてもう一発撃つ。

 頭と胸にそれぞれ命中した。まず一人目。

 ベンツのドアを閉め、トヨタ車の運転席を狙う。男が応戦しようと運転しながら発砲して来るが、怯むことなく照準を定め、動く車を撃った。間髪を容れず五発撃ったところで、運転席の男がハンドルに突っ伏して動かなくなった。


 続いてヤコフが応戦している後方の車を振り返る。背後からも銃声が聞こえていた。ベンツを盾にし、頭を車体より低く保ちながら素早く周囲を確認する。

 地面に倒れた一人、後方の車の影から発砲している一人、血に染まった右手で肩を抑えるヤコフ。


「いってぇー!」


 ヤコフは一発撃つごとに肩を握りしめ呻いた。発砲の衝撃が負傷した肩に響いているのだろう。

 ノアは膝と肩を地面に付け、車体の下から足を狙った。敵が膝をつくのが見えた。車体の下から徐々に覗く体目掛けて弾を撃ち込んでいく。やがて車体の下に見える体が動かなくなった。ちょうど全弾撃ち尽くした時だった。


 全員制圧したところで、死体に近付いた。いずれも見覚えのない顔だ。服を剥がしてみると、そのうちの一人には星形の入れ墨が見えた。素早く写真だけ撮って、ヤコフの元へ向かう。


「傷は?」

「右肩だけだ。いててて……鎖骨が砕けてる」

 銃弾が肩を貫通していた。顔を歪めるヤコフを引っ張って共にベンツに乗り込み、その場を離れた。ヤコフを除いてこちらに被害がなかったのは幸いだった。


「許さねぇ……! 奴ら全員ブッ殺す! いいですよね、パパ!」

 車の中で噴気するヤコフに対して、ノアは冷静だった。ゼフィルは即答しなかった。

「入れ墨からして、ソコロフスカヤの者でした」

「そうか」

「車二台で待ち伏せしていたところを見ると、俺達に狙いを定めていたのは明白です」


 ルーベンノファミリーのボスが毎年、戦勝記念日の式典に出席することは知られている。空港からアジトへ向かうこの道で待ち伏せする計画を立てることは容易い。

 しかし、アジャリ・マフィアには”各組織のボスやアンダーボスを攻撃しない”という暗黙の不文律があり、攻撃する場合は他のボス達の合意が必要である。ボスへの攻撃は組全体を巻き込む抗争—つまり、国が荒れるほどの大規模な抗争へ繋がる。そんな望ましくない状況を避けるため、互いに監視し、牽制しあっているのだ。

 だがこの暗黙の不文律は、外国の勢力となると話が変わってくる。ソコロフスカヤ・ブラトヴァの本拠地はロシアで、アジャルクシャンに支部がある。アジャリ・マフィアがボスを狙うことはないであろうことを踏まえても、襲撃者はソコロフスカヤで間違いない。


 —なぜ? 鉱山でセミノヴィチの暗殺を妨害したからか? それともあれからピョートルの妨害工作がバレたのか?


 しかしそれで報復のために組員を何人か殺害することはあっても、ボスまで狙う必要があるだろうか。全面戦争の火種になることは明らかだ。

 考えていると、電話が鳴った。部下のディーマからだった。


『大至急、報告が!』


 切迫した様子が電話の向こうから伝わってきた。


「伝えたいことはこっちにもあるが、言ってみろ」

『たった今、州都で私と部下三人がソコロフスカヤの連中に襲われました。部下のうち二人が殺されました!』

「なんだと」


 同じタイミングで仕掛けられたことに、動揺を隠せない。


『敵の二人は返り討ちにしましたが、一人には逃げられました』

「まだその場にいるんだな。敵に息がある者はいるか?」

『一人は瀕死ですが、息がありそうです』

「そいつを尋問して引き出せる情報を引き出せ。AXのことも含めてだ。全て吐かせたら、始末しろ」

『了解しました』


 電話を切って、ゼフィルを見た。会話の内容は聞こえていたはずだ。これでソコロフスカヤがルーベンノファミリーに火種を作ったことが決定的になった。

「いいだろう。反撃を許可する。ただし、目的は我々の縄張りからソコロフスカヤを排除することだ」

「うぉぉぉし!」

 ヤコフが怒りに震えながら血塗れの手でガッツポーズをする。ノアも心の中が熱くなるのを感じていた。

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