6.予言


 シューキハが病室の扉を開けたことで、ファナもロスタルも口を閉じざるを得なかった。


 彼女は消灯の時刻も過ぎているというのにかちっと修道服を着て、髪も乱れなく整えられている。


 床に座っているファナとロスタルを見て、一瞬、叱咤するように眉を吊り上げたが、咳払いを一つして、二人をじっと見つめた。


 どうして見られているのかわからず、ファナが「院長様」と声をかけると、彼女は「二人とも、来なさい」と言って病室を出る。


 なぜかわからず、ファナは小首をかしげたが、逆らうという選択肢はない。大人しくシューキハについていき、その後をロスタルもついてくる。


 病室を出て、無言のまま三人が向かったのは、青天院長室だった。


 扉を押して先にシューキハが入り、その後に続いて入室すると、彼女はしっかりと内側から部屋に鍵をかけた。



「他人に聞かれたくない話のようだな」



 腕を組む不遜な態度でロスタルが言う。


 ファナが誰に向かって口を利いているのかと小声で叱りつけたが、ロスタルはつんと顎を上げてシューキハを上から見るような目をする。


 いつもの彼女なら、聖典の言葉を引用してその尊大さを咎めるのだが、今宵は違った。



「ファナ。すぐにこの国を出なさい」

「……えっ?」



 突拍子もない話に、つい間抜けな声が出た。


 ファナの代わりにロスタルが何故かを問いかける。


 シューキハは部屋の奥にある文机に手をつき、顔を伏せた。そして「悔しいの」とつぶやく。



「今、私は悔しいわ。ファナ」

「……ど、どうしてです……?」

「あなたは今、歴史に触れているのです。そして、その機会を天から与えられた。真なる神に選ばれたのです」

「真なる、神……そんな異端な」



 英雄神の御許に寄り添うものの言葉とは思えなかった。


 シューキハは拳を握る。



「十年前、私の元に旧帝国から来たという預言者が現れました。彼女は、彼女が知らぬはずの私自身の過去を言い当て、そして予言を残しました」

「え?」

「それが事実であることが、歴史学者として、英雄神を祀ってきたものとして、悔しくてたまらないのです」



 ロスタルが低く小さい声で「預言者?」と訝しむようにつぶやき、腕を組み直した。


 シューキハは話を続ける。



「彼女は、十年後の冬至の賑わいが過ぎた頃、この国の信仰は姿を変えるだろうと」



 ファナはギョッとする。近代化を推し進めるドールガス王により、青天院は縮小される予定だ。それを十年も昔に言い当てていたということなら、確かにその予言は当たっている。



「信仰心など、外圧で変わり得るだろうが」



 ファナが納得しかけた時、ロスタルが唾を吐くように言った。



「先代王、マグラードの時代までの歴史書なら目を通した。マグラードは旧帝国の蓄音機をいたく気に入ったらしいな。つまり、現王はそういう父を持ち、そういう父が布いた趣向に触れて育てば、信仰とかいう歴史ありきのものなど顧みない新しいものが好きな国王を作り出すことは簡単だ」



 ちょっと、と。ファナはロスタルの服を引っ張る。


 まだシューキハにきちんとロスタルのことを話していない。こんなどこの馬の骨かもわからないような男が今の王族をこき下ろすようなことを言えば、現状はさておき逆鱗に触れかねないというのに。


 だが、シューキハは小さく笑っただけだった。



「何を笑う」

「真なる神に仕えるというあの預言者はこうも言いました。古より来訪者来たれり、と」



 ロスタルが黙った。ファナがその顔を見上げると、驚愕が入り混じった険しい目をしていた。


 古より来訪者来たれり。


 それは外圧でも何でもない。


 ロスタルの沈黙が示す通り、預言者の力は本物に違いなかった。



「ファナ」



 シューキハに呼ばれ、振り向く。



「あの預言には続きがあります」

「待ってください。本当にそれを信じているのですか? 真なる神など……」

「だからこそ、あなたにはこの国を出てもらうつもりなのです。あの預言を確かめるために、その過去から来た男性と共に」



 シューキハも予言の言葉をうのみにしているわけではないようだった。


 そのことに少しだけ安心したが、なぜ今夜なのだろう。


 それを問うより先に、シューキハは折りたたんだ書状を文机から出し「明日には修道女が減らされます」と言って、取り出した書状をファナに握らせた。



「国の命令で若い者からここを追われることになります。あなたを修道女として遊学させるには今夜しかありません」

「私、解雇されるのですか……?」

「ええ、若い者から順に、です。老いたものだけをのこし、意欲を削ぐつもりなのでしょう。ですが、国内にいるものに限るとされています。つまり、国の外にいるあなたは、修道女のままです。同じヴァスロ教団の助けを仰ぐことができるでしょう。私もできるかぎりの支援をします」

「外に出て、私に何をしろと」


「この男に世界を見せるのです」

「え?」

「……あ?」



 途中から黙っていたロスタルもこれには驚いたらしい。



「せ、世界を見せる? どうしてですか」

「それもとんちきな預言だろう」



 とんちき呼ばわりされた予言の言葉をシューキハは教えてくれた。



「古より来訪者来たれり。その者が俗世を知り、俗世を思った時、動乱が終わる」

「あいまいな話だ。後から好きなようにできるだろうが」


「そうかもしれません。ですが、信じがたいことといえば、古人のあなたがここに実在していること自体、私にはまともに受け止め難い事実なのです。予言も同じことではありませんか?」

「俺に関しては、俺が説明できる。だが、予言は」



 二人の会話を聞いていたが、ファナにはあまりにも規模が大きな話で、話の流れこそ理解できても、本当の意味で受け入れられているかと問われれば、首を横に振るしかない。ロスタルが一千年もの間、眠り続けていたという事実だけでいっぱいいっぱいなところに、預言者や、動乱などと言われては混乱する。


 だが、ひとつだけ、自分の中で決着がついた問題がある。


 ファナは書状を修道服の帯に挟んで落ちないようにしまった。


 修道女でいるためには、国を出るしかない、ということ。


 書状をしまったファナを見て、ロスタルが「本気か」と馬鹿にしたように尋ねてくる。



「本気よ。修道女でいるためにはそうするしかないのだから」

「ヴァスロを信仰してどうなる。俺の話を聞いていなかったのか?」


「たとえヴァスロ様が神でなくても、私の信仰心は変わらない。教えによって救われたことは事実なんだから。私はこれからも戒律を守り、暮らしていくの。そのために国を出なければならないのなら、私は出て行く」



 今更、ただの女としてこの国で生きて行こうとは思えなかった。母のように貧しくも愛しい人を見つけたり、妹のように愛もなく裕福な男と暮らしたりするつもりはない。ファナの幸せはここにしかない。修道女として生涯、学びに生きる。


 それだけが望みだった。



「今夜、発ちます」


 シューキハにはっきりと告げた。


 隣で深く重いため息をロスタルがついた。





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