第一章「繰り返す螺旋」1-3

 ……全く同じ事象が起きる過去に行ける可能性は約669760分の1……。



「質問なんですけど、もしも私の協力がなかったらどうするつもりだったのですか?」

「うーん、恥ずかしながら明確な手段はない状態から始まったと思う。さっきも言ったように初めての事例だったから。でもこうして吉川さんと私は、とんでもない形で巡り会えた。これはきっと天からの助け舟と言っていいかも」

「まさに運命ってやつですね。でもなんで、恭ちゃんの未来は変わってしまったんだと思います?」

「磯村くんに限っていえば、巡り合わせが悪かったとしか言い様がないかな。交通事故なんて本人がどんなに気をつけていてもどうしようもない場合だってあるじゃない。けど運悪く、そんな歯車が回ってしまったのはやっぱり本来の未来とは別の道を歩んでしまったからなのは間違いがない。私が根本から絶つのにこだわったのはそれもあるの」

「つまり、私とは別れた方がいいってことですよね」

 気が沈みながらも真里は懸命にその言葉を発した。

「そうね。吉川さんにとっては厳しいこというけど、別れていればそもそもあの日、二人は会うことはなかったわけだし」

「やっぱり、別れた方がいいんですかね?」

「そうしてくれるなら。でも、それは吉川さんにとってどれだけ苦痛かはさっきの言葉を聞いて分かった。そんな苦しめてまで協力してもらうほどこっちも鬼じゃないからその条件で受け入れたまで」

「ありがとうございます。そこまでしても、私の協力って重要なんですか?」

「そりゃあもう格段に楽になる。なんせその時代に生きている人間なんだから。それがなかったらもう仕方がないから私が変装でもして、あまり波風を立てずに必要最小限の介入でなんとかするしかないもの。それも今回はどうすれば最善なのか、考える段階からのスタート。その手間が省けるのは大変、有り難いことよ」

「なるほど。未来人って本当にもう過去に来てたんですね」

「そう。未来にタイムマシンができているなら、なんで過去に訪れて我々と会わないんだって言う人もいるみたいだけど、そんな未来の事情は単純でもないのよ」

「そういえば、お名前教えてくれますか、ずっと気になっていました」

「あっ、そういえばそうね。私の名前は結城凛ゆうきりん、凛って呼んでくれたら」

「凛さんですね」

「それと、お互い敬語は止めにしない? 歳も近そうだし、これからはもっと友達、みたいな感覚で接せれば。だから私のことも凛、呼び捨てでいいよ」

「わかりまし……じゃなくて、わかった。じゃあ私も真里って呼んで。私は18歳だけど凛は何歳なの?」

「私は……正確な歳は分からないの」

「えっ、どういうこと」

「実は私も真里と同じで、時の揺り篭を彷徨っていたところを保護されたの。でも目覚めた時には以前の記憶がなくて。外見と最初に喋った言語が日本語だから日本人だろうということは分かっているんだけど、それ以外は正確な事は分からない。発見された当時に着ていた服装から大まかな時代は分かったんだけど、どこの年代を生きていたのかまでは特定できなくて。だからこの凛っていう名前も本当の私の名前ではないの」

「そうだったんだ」

「正直、嬉しかったんだ。どういう形であれこうして真里と出会えて。真里はきっと私が生まれた時代と近い気がする」

「そういうことか。なんか凛が未来人と言ってもあんまりそんな気がしなかったんだよね。すごい身近な人って感じていた」

 同胞ともいえるような人物との出会いに凛は密かに感激していた。


 凛は時間の経過という概念がない空間、時の揺り篭を彷徨っていた間は歳をとらず、さらにその空間におそらく長期間いた影響で保護された後も歳をとるスピードが通常の約3分の1ほど遅いということを話してくれた。

 他にも様々な時代の人物が時の揺り篭を彷徨っている可能性があると推測されるが、その人をたまたま発見できるのは天文学的な確率とされる。真里も正確な数字は教えてくれなかったが数少ない例としてゆくゆくは歴史に名を刻む事になると言う。しかも記憶が失われる前、直ぐに発見された。凛がもの凄く運が良いと言った理由もようやく分かった。


「凛は、せっかくタイムマシンがあるのに自分の生きた時代に戻りたいとは思わなかったの?」

「それは当初から私が思わなくても話し合われたみたい。発見されてない行方不明者を元に戻す事による影響を懸念する人と、生まれた時代に返してあげるべきだって主張する人で意見が割れてもう大激論だったみたい。でも、そもそも本人に記憶がない。寸分の狂いもない時代に返すには私の身元が特定されなければ不可能でしょうて冷静な意見が出て、なんとか試みたらしいけど無理だったみたいね。もちろん私はその時代では失踪者として扱われているはずなんだけど、今となっては大昔のデータや記録って失われているものも多くて結局、私がいつ行方不明になったっていう情報は見つからなかった」

「なんか私の生きる時代も大昔って言われているのがちょっと複雑」

「ふふっ。試しに私が生まれた年代と近いであろう時代に連れて行ってもらって、日本全国を回って、それで記憶が思い出されるかもやってみたんだけど、それも失敗。確かに場所によってはなんだか懐かしい匂いは感じたんだけど、同時に知らない所へ連れて来られたという恐怖もあった。ここには私の居場所はなさそうだなって」

「そんなことまでしたんだ。でも、凛は訛りとか無さそうだから関西とか田舎出身ではなさそうだよね」

「訛り……そうか、そうよね。確かに日本にも地方によって独特のイントネーションが存在するって記録を読んだことが」

「えっ、なに、知らなかったの?」

「えっ、いや……とにかく私は元の時代に戻ることは諦めてこうして未来人として生きることを決心したの。私の背景からしてこの仕事に就くのは適任だろうって特別に支援もしてくれて。今はめでたく生まれ故郷である日本の担当よ」

「しかも今回は自分の生まれた時代に近いんだよね」

 凛はここまであまりそれを意識していなかった。自分が生きていたであろう時代、それをこれから注視して任務を遂行する。もしかしたら友達だった人、何より自分の両親もこの時代のどこかに、そう思うと確かに感慨深いものがあった。


「じゃあ、早速だけど磯村くんを助けるための任務を始めてもいいかな?」

「うん。でも今日、私が恭ちゃんを電話で呼び戻さなければいいわけだから、簡単なような気がするけど」

「そうでもないの。先ず過去に戻るとして、今ここにいる真里とその過去の真里が二人存在することになる。もしも同じ空間に同一人物が二人いたらどうなるか、これに関してはどう整合性を取るつもり?」

「そうか。じゃあ私が電話で恭ちゃんを呼ばないように妨害、遅らせるとか?」

「それだとわざわざ真里に頼む意味がないじゃない。それにあまり手荒な真似や、強行手段には出たくないの。なるべくその時代の人間だけで、自然な流れで変えていくのが理想」

「じゃあ、どうすれば」凛はニコニコしながら得意気に話し始める。

「真里を有効に使える手段をさっき思いついたわ。未来にはね、一番近い血縁関係にある同性の人物に限り意識を乗っ取ることができるナノサイズのチップがあるの。親チップをここにいる真里に付けて、子チップを過去の真里に付ける。これで真里は過去の真里の意識を、今の記憶が維持されたまま乗っ取ることができる。当たり前だけどまさか同一人物、時空を超えて乗っ取るなんて当初は想定して作られていないからできるのか不安だったけど、どうやらむしろ同一人物の方が馴染むのが早くてそっちの方が好都合だって言うし、距離もチップさえ付ければ宇宙空間のどこに居ても大丈夫だから、宇宙の外側も確認できた今ではそこも越えられるだろうという開発企業からの心強い言葉をもらったから心配しないで」

「すごい、そんなものまであるんだ」

「元々の使用用途は、様々な事情で離れて暮らさずを得ない家族や恋人に気軽に会えるように作られたの。私達の時代だと宇宙へ旅立つ事も当たり前になっているから。要はこのチップを付ければ眠っている最中に夢の中で出会えるというのを売りにして作られたんだけど、そうしたら思わぬバグで、母親と娘に付けて使用したら体は娘で意識は母親になってしまったという事例が報告されてこのチップの欠陥が発覚したというのが始まり」

「なるほど。その偶然の発見が今回、役に立つんだ」

「それで、乗っ取るにはタイミングがすごい重要なの。一方の人間がこのチップの存在を認識していなくて、受け入れる体勢ができていない以上は。先ず本人が活発に動いている時では無理、やっぱり就寝している時がベターなんだけど、あとは時期。本人にとって人生の流れが一旦、落ち着いた時じゃないと成功する可能性は著しく下がる。例えば分かりやすいのは受験勉強で日々、忙しい人に乗っ取るのはなかなか難しい、やるなら受験勉強が終わった後とかね。真里だったら、今のところ候補として上がっているのは高校3年生として学校生活が始まる前の4月なんだけど、どうかな? 春休みでまだ学校が始まっていない時にやればおそらくほぼ成功すると思う」

「そこまで戻らないと駄目なんだ」

「あとはもちろん高校を卒業した後でもいいんだけど、この時期の真里は受験に失敗して、精神的に落ち着いていない時だから上手くいくか若干の不安があるの」

 真里は気がついた。これは人生を1年巻き戻してやり直せると言われているのに等しいと。

「分かった。それでもいいけど、その1年はどう過ごせばいいの? もう1年前なんてどういう生活をしていたかなんて忘れちゃったよ」

「いつも通りでいいの。自分なんだし、吉川真里として好きに過ごしてもらえれば。あまりにもその時の真里に相応しくない行動は避けてもらいたいけど」

「けど、私にはその1年前の記憶もあるわけで、その記憶をもとにあの時した後悔をしないために、別の行動を取るというのはなしかな?」

「例えば?」

「例えば、頑張って勉強してあの時よりテストで良い点数を取るとか?」

「真里にそこまでのモチベーションがあるんだ?」

「えっ、うーん、どうだろう?」

「正直、人間ってそう簡単に変えられない部分もある。あの時こうしておけば良かったって誰もが思うけど、じゃあ実際にその時に戻れたとして本当にそれを実行に移すかと言われたら結局そうしなかったという場合もあると私は思っている。環境、境遇は変わらないのなら。例外としてはやっぱり誰かの命がかかっている時じゃない?」

「あっ」

「あの時こうしていれば大切なあの人を助けることができた。これだったら間違いなく実行に移すでしょうね。それを今回、真里にしてもらうのでしょう?」

「そういうことか」

「それに当然、多少また歴史が変わることは覚悟している。真里が懸念しているように未来の記憶を持った人物を送り込むんだから。でもね、その変わるのは過程だと思ってくれたらいいかな。過程が変わっても行き着く結果は同じ。そういう例も今までの監視からたくさん見てきている。だから気軽にまた高校3年生を楽しんできてね」

 1年前の過去に戻り磯村の命を救う。今まで平凡な人生を送ってきた真里のキャパシティを大きく超えた任務を任されたと思っていたが凛の楽しんできてという言葉に少し肩の力が抜けた。

 そして気がつけば真里の願いは叶おうとしている。もしもあのままだったら自分はどうなっていたか分からない。それを救ってくれたのが未来人の遭遇。

 一度、どん底に落ちて再生を果した人間は強い。真里は並々なら想いで自分の人生をもう一度やり直す覚悟でいた。そしてなにより磯村とまた会いたいと願った。

 凛が準備で居ない間、真里は渡された丈が膝より少し上の真っ白なワンピースに着替えた。余計な物はあまり付けない方が良いという事であったが、去年の誕生日に貰った腕時計はお守りのような形で外さない事に決めた。

 ここまでの事を頭で整理する真里。

 磯村はなぜ真里と別れないことを選んだのか? どうしてもそこに考えが集中した。

 心境の変化があった。凛がぽろっと言っていた。あの当時、磯村は学校には来ないで一人で過ごしていたはずである。誰とも会わずに何をきっかけでそういう変化に至ったのか、考えを巡らした。

 特にこれだというものは思いつかなかった。真里でさえ見当がつかないこと。全くの他人どころか生きている時代さえ違う未来人が予測するのは困難であろう。

「(でも)」

 別れなくて良かったと言ってくれた――磯村から後にそう言われたことを思い出した。例え本来の歴史ではそうでなくても、本人にとって別れない方が幸せであるならばこうなってよかったはずだと思うことにして、もう考えるのは止めた。それと同時に凛が戻ってきた。

「成功、過去の真里にチップを付けてきた。ちゃんと着替えたわね。それじゃあ別の部屋に移動しましょうか」

「うん、本当に1年前に戻るんだね」

「実感がわかないのは無理ないか。大丈夫、命の危険はないし、痛くもならないから」

 凛の肩に掴み移動を始める。このタイムマシンは30階建てのタワーマンションを横にしたような大きさ、広さがある。ここを移動するには行きたい場所を具体的にイメージする必要があり構図を把握していない部外者が容易に移動できないようになっている。

「すごい、一瞬で別の部屋に来ちゃった」

「これが空間移動ってやつ。いわば部屋と部屋を繋ぐ廊下をカットしたってことかな」

 目の前の壁に32インチの大きさのモニターが左右に3つずつ埋め込まれており、その中央に75インチのモニターがある部屋に来た。この部屋の内装は鉄のような壁で覆われていて、いかにも研究室のような雰囲気が漂う。その手前には人が一人入れる大きさのカプセルのような入れ物も。

「真里はこの中に入って今後、厳重に管理される。言い忘れていたけど真里は一度、過去の真里の意識を乗っ取ったらそのままその時代の真里として生きてもらう。妙な感覚かもしれないけど、この体の真里とはおさらばと思ってくれたら」

「えぇ。そうなんだ。そういえば、私が過去に戻って恭ちゃんの命を救えたとして、恭ちゃんが亡くなった歴史というのはどうなるの? それも確かに存在したのは間違いないわけで」

「良い質問。あっけないけど、データが上書き保存されるような感覚で消滅する。その歴史はなかったことになる、それでおしまい」

「そういうものなの?」

「そういうものなの。おそろしいよね、人間って。遂に歴史にまで手を加えられるようにしちゃうんだから」

「そう言い切れるってことは、その瞬間を見たことあるってこと?」

「……そうね、私は見たことないけど、その消滅した瞬間を見た人達がいるとだけ言っておく」

「じゃあ、この私も、消えるってこと?」

「ううん、真里はその次元とは隔離された場所に居るから免れる。もっとも意識は新しく書き換えられた時代に居るから、体は残っても死んだようなものだけど」

「……」

「ごめん、死ぬって表現はまずかった。当たり前だけど同じ人間が二人存在するということは許されないこと。だからどっちかはいなくなるしかない、分かるでしょう?」

「違うの、なんか知らなくてもよかったことを知っちゃって気分が悪くなっただけ。新しく書き換えられるっていうけど、その消された人はどんな気持ちでいなくなるのかなって思うと、怖くなる」

「真里。それは正しい気持ちだと思う。だって真里の時代から多くの人の心をときめかせてきたタイムマシンが、いざこうして現実に誕生しても、本当につくってしまって良かったのかって疑問に思う人も出てきているくらいだもん」

「理想と現実の差ってやつだね。それでも私はまた恭ちゃんに会える。感謝しなきゃね」

「真里はタイムマシンの恩恵を受けた数少ない人物かもね」

「そうなの?」

「いざできたところで、どう活用するかはかなり限られているのが現状なの。一般的に普及できるものでもないし。それに下手に過去にいって歴史を変えてしまったら、私達の未来が消滅する可能性がある、そう知ってしまった以上は馬鹿なことをする奴もおかげでいない」

「そういえば、最初にそんなこと言っていたね……」

「暗い話はこのへんにして、始めましょうか。真里、宜しく頼むね」

「うん、わかった」

「例のチップを真里のおでこに付けさせてもらうわ。脳に一番近い部位が好ましいって言うから」

「えっ、これだけでいいの? もっと気持ち悪いほどの数のケーブルとか頭に付けるものだと思ったけど」

「ケーブルってそれ、いつの時代? 何かの拍子で外れることもないから安心して動いてもらって構わないから」

 真里をカプセル型の容器へ入れる。真里は1年遡り自分の時代へ戻ることになる。ここまで真里からしてみれば非現実的なことの連続だった。ようやく帰れるという安心感が込み上げると共に自分はこの事を一生、背負って生きていくのかと思うといささか不安だった。

 タイムマシンは遥か遠い未来、完成することになる、未来人は既に私達を監視している。宇宙の外側には時間という概念がない時の揺り篭という空間が存在している。どれも妄想としか思われないだろう。

「凛とは向こうに行っても会えるんだよね?」

「もちろん、月に一回は会いに行く。そこで何か問題があればアドバイスするし、困ったことがあったらなんでも相談して」

「よかった。やっぱり私一人だと不安で」

「大丈夫。普段の生活に戻るだけだから。ただ時間が1年戻るだけよ。じゃあ確認。真里はこれから高校3年生になる直前、4月1日にタイムワープする。そこから高校生活を送り直してもらって1年4ヵ月後の8月25日に磯村くんが交通事故で亡くならないように動いてもらう、いい?」

「わかった。あと、最後にもう一つ。大学には合格してもいいのかな? さすがにもう一回落ちるというのは……」

「それは全然、構わない。むしろそれが正しい歴史なんだから頑張ってもう一度チャレンジしてみて」

「よかった」

 カプセル越しからの会話が終了していよいよ真里はここへは帰って来ることのない旅へ出る。瞼を閉じるように促される。閉じた瞬間、中は冷たい空気が充満する。それは心地よい気分にさせてくれる。瞬く間に眠りに落ちる感覚になるがそこから意識だけが移動しているかのような、自分は今、横になって眠っているはず、でも歩いているような気分でもある、そんな狭間に居て一種の気持ち悪さを覚える。

 自分は今、眠っている? 起きている? どっち? そう思っているうちにどこかに着地した。まだ浮遊感が残るがそれもやがておさまり、真里は目覚める。



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