序章「螺旋」 2-3

「吉川真里か」

 シフト表の空いているスペースに手書きで書かれている名前を見てそう言う。事務所へ行き新しく入った子のフルネームを確認していたところであった。

 バックヤードから売り場へ出ようとした時、顔がにやけているのが分かる。こんな顔を見られたら周りから気持ち悪がられる、必死に戻そうとしたが駄目だった。なんとなく分かっていた、でもまだ認めていなかった。

 その後、話をかけて歳は18歳だったが今は学校へは行ってないらしいということが分かった。学校に行っていないことに関してはあまり深く追求しない方が良さそうだと直ぐに話題を切り替える。

 23時を回り真里は退勤する。

「あの子、可愛いな。夜番って男ばかりだからなんか新鮮だったよ」

「お前はもう彼女いるんだから浮気するなよ」

「わかっているよ。でも、もう彼氏の一人はいるでしょう」

 帰り道、もう一度、自分の気持ちを確認してみてようやく認めた。一目惚れというのだろう。吉田は真里が恋愛対象の意味で好きになった。歳を聞いて年上は好みなのかといつの間にか考えていた時点でまさかと思った。

 吉田はここまでの人生、彼女ができたことがない。それでもここまで巡り会う女性は少しは可愛いな、良いなと思ったことはあっても告白してまで本気で付き合いたいと思ったことはなかった。だからそれについては平気なはずだった。

 これからもそうだろうと、そう思っていたが、その強固な姿勢は実はハリボテだったかのように簡単に崩れていくのが分かる。吉田は初めてどうしようもないくらいに女性を、真里を欲した。

 この想いどうにか叶えられないだろうかと本気で考えた。今20歳の吉田、そのここまでの人生で自分に欠けていたパズルのピースを欲した時、あまり時間は残されていないのではないかと焦りを覚える。あと2年後には就職するはず、その先良い出会いがあるとは限らない。そうでなくても仕事に追われたら自由な時間は激減する。初めて時の流れをおもう、もう過去には戻れない、彼女なんてできなくて良いというのは強がりだった。

 先ずは第一歩として連絡先が知りたかった。その人と親しいか、そうでない指標に互いの連絡先を知っているというのが間違いなくある。今までの経験上、ある程度、親しい関係にならないと女性の連絡先を知るというのはハードルが高いと思っていたが、吉田と真里は同じ学校に通うという間柄ではなく同じバイト先で働いているという関係性。そこまで親しくならなくとも仕事に関する話題から、ちょっと暇な時に雑談と狭いコンビニという空間が容易に話しかけることが可能という事に気がついた。

 その関係性を突き、シフト代わってほしい時は直接連絡できた方が早いという名目で、あっさりアドレスのみだったが交換できた。このただのメモ用紙がとんでもない貴重な紙のように思えた、難なく第一関門を突破した気になっていた。

 

 吉田は自宅のパソコンで調べものをしていた。

「バイト先で知り合って付き合った例はそりゃあるよね、歳が離れている場合もあると」

 バイト先で知り合って17歳の女子高校生と21歳の大学生が付き合った。ネット上に散乱する体験談を読み漁っていた。バイト先で恋愛対象の女性と出会ったという初めての経験に、そこからお付き合いに発展した事例はあるのか調べたくなっていた。こうして全国にあったと言われている話を読んでいると、2歳くらい歳が離れていることなんて全然、問題ない気がした。歳も真里は高校を卒業して満18歳、そこもクリアしているなど入念に調べていた。

 夢中になっている趣味が互いに同じだったから歳の差とかあまり気にならなかった、女性の好みが年上だった、何か出会いから、もう一押しきっかけとなるものがある例が目立った。

 趣味が合うのはでかい。これで一気に仲を深められた経験はある。年上が好みと読んで「そういえば高校のとき、本気で先生のこと好きになった女子いたな」10歳以上は離れていたはずである、こう考えるとなぜか付き合うなら同い年が良いと思っていた自分はなんだったのか、あまりにも限定された価値観を持っていたことに苦笑いする。

 真里はいつまで働くつもりだろう、今はフリーターらしいから今年中はいてくれるか。親しくなった気になったのも束の間、表面的な話しかできない、彼女は何が趣味なのか、好きな食べ物は、音楽は、殆どパーソナルな部分を知らない現実にせっかく聞いた連絡先も、じつの無い称号だった。

 

 バックヤードへ入った時にふと立ち止まる。この匂い、真里から香る匂いだった。

 微かな残り香。それを掻き集めてむさぼるように嗅ぐ。彼女の立っていた床、通った場所からはいつもクラクラするような良い匂いが漂う、やはり真里は既に事務所に居た。今日も会える、それだけで喜びに値した。

 が、そう思っていたのにそこから足を踏み外し崖から転落したような気分になってしまう。

 来月はどのくらい彼女と一緒に働けるか、そう楽しみにして見たシフト表……。辺りが真っ暗になりピーっという心肺停止を知らせる音が頭の中で鳴る。

 

 会ったこともない朝番の人間を恨んだ、きっと6月だけだ、また戻ってきてくれるという淡い期待も叶わずあれから2ヶ月、会っていない。店内を掃除した時にするサイン表に真里の名前がある、社員宛に残したメモ。確かにここで彼女が働いているという証。それを見るだけで胸が痛くなった。

 今日、その真里を久しぶりに見た。バイト先にはまず着て来ないであろう見たこともない服装だった、その姿に瞳はさらわれた。

 なぜここにいる? 観光地でもない、この場所に。一つ心当たりがあった。真里はなぜだか他店舗に一人、アルバイトを紹介していた。事務所で社員が電話しているのを聞いてしまった。その店舗がこの今、自分が居る駅名の名が付いた店で名前は確か『いそむらきょういちろう』男の名前だ。

「もう彼氏の一人はいるでしょう」、いつの日か言ってたあいつの言葉を思い出した。吉田はあんな可愛い子が認める男なんてそう簡単に現れない、ガードが固い等と都合の良い解釈をしていた。なら自分はどうなのか。一人で、恋に舞い上がっていただけだった。

「もう会わない方が良いのかもしれないな」

 告げることなく散った想いがここにまた一つ生まれた……。



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