序章「螺旋 」1-4

 一つ、それも、もしかしたら一番重かったものが肩からおりたような気がする。吉川と別れるという選択肢しか頭になかったが、また理由はどうであれ関係を繋ぎ止めた。そうなった事によって体が軽くなったのは事実だ。やはり逃げたくなるような事にもしっかりと向き合い解決していく、そうすることにより逃げるよりも良かったと思える結果が得られた。あの日、直接出会っておいて正解だった、寸前の所で思いとどまったのは今振り返ってみればファインプレーである。

 そんな一仕事終えたような気分で今日は中学生時代の友人、永井裕太郎ながい ゆうたろうとこれから磯村の自宅に招き入れて会うことになっている。吉川の時もそうであったが誰かと会って話しをするというのは、学校に行って同級生と会う機会がなくなってしまった今の磯村にとって、それだけで楽しみだ。ここまでの事情を知らない者であれば後ろめたさもないので尚更。

 永井とは中学生の時に借りっぱなしであったゲームソフトを返すという名目で今日会う。夕方5時頃に訪れると言っていたのでもう来てもいい時間帯であった。部屋の中を見られても恥ずかしくない程度に片付けて永井を待つ。どうやら今度は格闘ゲームに分類されるジャンルのゲームソフトをやりたくなったので貸してほしいとも付け加えたれていた。ということはまたいつかそのゲームソフトを返しに来る時もくるわけだ。中学校を卒業後、よく遊んだ友人とは今ではすっかり連絡も取っていない。それはきっと高校の友人もたとえ学校を変えることなく卒業できたとしても同じことになるだろう。つまりはそんな関係性の人が殆どだという事だ。別にあの時、もう会うこともないと気に病む必要もなかった、遅かれ早かれそうなっていたということだ。

 そんな中で永井とは高校三年生になってもこうして会っている。きっかけは物の貸し借りではあるがこの唯一の存在が永井を友人の中でも特別な位置づけにあると認識していた。つまりは親友である。永井とはこれからもたまにこんな感じでまた会うんじゃないかと予感していた。

 インターホンが鳴る。永井で間違いないだろう。玄関の扉を開けると互いに笑顔になり「久しぶり」と言い合う。部屋に入ると床に座り雑談をし始めた。

「あっついね。ここから歩いて十分くらいしか、かからないのにもう汗だくだよ。あっこれ。ありがとう」

 トートバッグから借りていたゲームソフトを出す永井。すかさず磯村は希望していた格闘ゲームソフトを三本出して、どれがいいのか選ばせる。それを見た永井はどんな特徴があるのか一本ずつ聞いていく。永井が色々と聞いてくるのでこれだけで三十分を要した。

「よし、じゃあこれにしようかな。そういえば磯村、進路はもう決まったの?」

 やはりこの話題になった。進路とかその前に卒業できるのか危ういというのを隠して、まだどこの学校にするのか迷っていると誤魔化した。それはどうやら永井も同じのようだ。

「でもさぁ、皆、進学しても何しに大学に行くんだろうね。その目的がはっきりしている人をあまり見たことがないよ」

「目的って。やっぱり大学を卒業した方が就職しやすいからでしょう」

「そうなんだろうけど、それさえ達成できれば後は何でもいいの? もっとこう、やりたい事はこれだから、こういう職に就きたいとかもっと具体的に突き詰めた方がいいって話。それがなかったから就職しても3年以内で仕事辞めるとかよく聞くんでしょう」

「なるほど」

 ここで思わず持論を展開してしまった。こんな事を話しても同年代の人から何を言っているの、そんな目で見られるだろうと口に出してしまってから思ったが永井は感心したような表情で聞いていた。

「ちゃんと考えているんだね」

「まだ子供といってもあと二年で成人って考えたらさすがに今までみたいに遊ぶ事しか頭にないのは不味いかなって最近思うようになっただけだよ」

 永井は斜め下を向き耳の裏辺りを掻きながら真剣な表情になった。こんな顔は初めて見たかもしれない。


 8月中旬になると中くらいの段ボール一箱にびっしり詰まった教材が送られてきて、早くも勉強に取り組まなければならないと突きつけられた。同梱されている説明文を読んでみると解答はマークシート式、テストも同様だと記されていた。選択肢の中から選ぶ、これは答えが全く分からない問題も正解の可能性があるということで楽かもしれないと楽観的になった。

 週一で受ける授業はそのスケジュールを見ると場所が歴史資料館やなぜかスポーツ施設もあった。これは校外授業を意味した、その学校の教室よりもそういう授業が多いのは、せっかく家から近くなったのに意味がないとしかめ面になってしまう。

 朝7時に起きて15時まで学校、この縛りが無くなったことにより暇な時間が多くなった。平日は17時からバイトでそれまでは何をすればいいのか、本来はもう午前からでも働ける身だが学校が変わりましたなどバイト先には言わない、言えない。黙ったまま卒業までやり過ごすつもりだ。

 この空いている時間を使って勉強、課題に取り組むのが通信制の学び方なのだろうが、それを監視する先生はいない。とどのつまりやる気が起きないということだ。この退屈を何とかしたい、そんな時に朗報が届いた。

 恭一郎の大好きなバンドが12月から来年3月までライブツアーをやると発表があったのだ。しかもニューアルバムを引っ提げてのツアーだった。10月にシングルを発売したのちに11月にアルバム、ライブという流れだった。

 楽しみができた恭一郎は舞い上がる、このために働かなければとモチベーションが上がった。

 週一回の授業は一緒に受ける生徒は今度、いつ会えるか分からないような人たちで積極的に接しようという空気はなく孤独極まりなかった。

 吉川とは9月のテストが終わるまで会うのは止めることにしている。何か楽しみが欲しかった、これでなんとか生きていけると大袈裟ではなく思った。

 9月末に行われた補習テストは1日で全てを終わらせる日程だったがとんでもない量であった。前もって知らされていたとはいえ本当にやるのかとは半信半疑の気持ちを捨て切れなかった、やはり中間テスト赤点、期末テストを受けていない穴は大きかった。

 出た問題は家でやった問題がそのまま丸写しで出てきたり意外にも恭一郎の楽観視は的外れでなかった。この調子で前半は順調だったが人間、集中力には限界がある。後半は問題をよく読まず半ばやけくそでマークシートを塗り潰していた。その中でもしっかり規定通りに塗るということは忘れていなかった。この短期間でマークシートの塗り方は上手くなった恭一郎。

 午前9時から始まり終わったのは午後19時であった。ちなみに休憩はなかった、科目ごとに時間は決められていなく終わったら次のテストに進めるという自由なやり方だからこそ終わらせることができたとも言える。

 最初の関門を潜り抜けた。あれだけ学校を欠席したのにそれが1日で取り戻せるなら安いものだと言い聞かせ疲れた体を鼓舞した。ヘトヘトに歩きながらもやりきった笑みを浮かべ家路を辿る。

 10月。その暇な時間を少しでも減らそうと取り組む。高梨から教えてもらったスタジオに行きドラムを叩きに行った。広瀬から勧められたアーケードゲームを少し本気でやってみようとやり込んでみることにした。そして週一の授業が終わった後、吉川に会う。定期券内の吉川がいつも転校した学校の最寄り駅まで来てくれた。暇を潰すには何をするにしてもお金が少なからずかかると思わずにはいられなかった。

 10月初旬に発売したシングル曲を買った。レジをやった綺麗なお姉さんから私も好きなんです、と笑顔で言われたのが今日のささやかな喜びであった。

 高梨とは休憩中や店のバックヤードでその新曲の話で盛り上がる、ドラムの知識を付け始めたのでちょっと楽器についての話もできるようになり玄人になった気分であった。

 11月。発売されたアルバムは最高傑作呼び声高かった。10月に発売したシングルがアニメの主題歌としても使われファン以外にも曲を聴ける機会ができたことから新規ファンの獲得にも成功した、おかげで12月からのライブチケットは入手困難なプラチナチケットと化した。その中でも運良く恭一郎は高梨の協力も得て今年12月と来年2月の2公演をファンクラブ先行予約でもぎ取ることができた。


 12月7日は吉川の誕生日である。やはり学校が別々になりお互い生活リズムが変わってしまった影響は予想通り大きく10月からの時期は文化祭の準備、もちろんテストもある、そして進路を本格的に考えて説明会へ行くなどがあると場合によっては週一回ですら会うのがままならなかった。

 今日はこちらも全てを捨て吉川に会うことを優先しなければいけない日。恭一郎の方から吉川の地元へ赴いた。この時期はちょうど学校は冬休みに入る手前なので向こうもある程度、身の回りが落ち着いた上で会うことができる絶好の日である。

「今日はね、家に来て」

「あれ、もしかして風邪ひいてた」

「うん、ちょっと前まで熱も出てて。でも今は大丈夫」

 駅の改札前で合流して直ぐに、いつもと声の調子がおかしいと思ったら案の定、体調を崩してた吉川。真っ先にそれが気になり聞き逃していたが初めて吉川の家に招かれた。

 去年までは学校帰りに近くの飲食店とかで誕生日を祝うという学生らしい誕生会をしていた、それに異論はなかったと思うが二人は付き合っている仲、もっとそれらしい別の形もあるはずだ。

 クリスマスの時期に誕生日というのは羨ましい。街全体もイルミネーションで彩られ、祝福の音楽が流れるお祭りムードになるからだ。そんな賑わう駅前を通り過ぎ吉川の自宅へと向かう。今まで幾度なく想像した場所へ。

 駅から徒歩10分というなかなか条件の良い場所の7階建てマンション、出入り口は自動ドアで入ると各部屋のポストがある。

「今、誰もいないの?」

「うん、お母さんもお父さんも仕事で平日は夜7時過ぎまでは帰ってこないから」

恭一郎の両親も共働きだが二人ともそんなに早い時間帯に帰ってくることに少なからず驚いた。今は16時11分、その時間まで7時までと考えて2時間49分、これを短いと捉えるか長いと捉えるか。エレベーターは最上階まできた。

 さすが7階からの景色は違う。下からは確認できなかった遠くの建物も見える。703号室、吉川という表札。

 玄関へ入ると辺りは薄暗かったが直ぐに電気を点けた。リビングへ案内される、十三帖ほどの広さがあった。

 冷たい空気が漂う部屋を少しでも早く暖めようと暖房を点ける吉川、恭一郎は用意したプレゼントとケーキをテーブルに置き、早速そのプレゼントを渡す。

「はい、誕生日おめでとう、今年は迷惑かけたね」

「ありがとう! 開けていい?」

中身は盤に青い薔薇の絵柄がプリントされた腕時計だった。値段は2万円前後して高校生にしてはかなり奮発した方であった、こんな自分でも見切りをつけずに付き合いを続けてくれた感謝の表れである。

「綺麗なバラだね、ありがとう」

 床に胡坐で座る吉川。彼女に限った話ではないが下が短いスカートなんだから床に座る時はもっと正座して足を閉じるなり気を遣ってほしい、若干目のやり場に困りながら吉川の喜ぶ姿を見つめていた。貰った腕時計を慣れない動作ながらも左手に付ける。

「大事にするね」

そう言いながら胴の辺りに抱きついてきた。これからこの家の中で何をするのか、テレビゲーム? この家にあるのかは分からない、ケーキなどあっという間に食べてしまえるだろう。

「真里」そう言ったと同時に覆いかぶさるように包みこみ吉川を仰向けにした。

 8月と同じような体勢になった、違うのは吉川の体を隠している布の枚数が多い、厚いことか。

「体調は本当に大丈夫なの?」

「ダメかもって言ったら我慢してくれるの?」

「じゃあ、優しくします」

 制服のブレザーを脱がすもその下はセーターであった。「恭ちゃんが全部脱がしてよ」

赤子に戻ったかのように何もしようとしない吉川。一旦、上半身を起こしセーターを脱がす、ここまできたらワイシャツのボタンも一つひとつ外し吉川の素肌を露わにさせる。こういうプレイもあるのか、高校生には新しい境地を見出した気分であった。

「やっぱちょっと恥ずかしいな」

そう言いながら漫画のように頬が赤くなっているような表情を見せる。全てのボタンを外しブラジャーに目がいく。唾を飲み込む磯村。まだワイシャツは脱がそうとは思わなかった。下を向いて嬉しいやら恥ずかしいやらそんな感情が絡み合っている吉川の表情が可愛くてしょうがなかった。

 さっきからドクドクと鳴りっぱなしの心臓を感じながら、吉川を優しく寝かす恭一郎。右手を吉川の内股に置くも、「やだっ、恭ちゃんの手、冷たい!」恭一郎の手があまりにも冷たく叫ぶ吉川。「なんだよ、ちょっとくらい我慢しろよ」

「なにこれ、氷? どうすればこんな冷たくなるの? 温まるまで素肌に触らないで」信じられないといった顔で苦情を言う吉川。

 なかなか難しい注文だった。仕方がなく両手を吉川の手で握りしめて温めてもらったが芯まで冷え切っていると伝わる手は手強かった。

 なかなかスムーズにはいかなかったがこうして人と、好きな異性と触れ合うだけで癒される。毎日のように何十人と接するのが煩わしかった、そこから脱して今は一人で居る方が多い、そうなった時に何を思ったか、人が恋しい、誰かと話したいであった。

 しかし誰とでも良いわけではない、こうして波長が合う、心を許した人といたかった。その瞬間が何より今は幸せだと気がついた。

 無理して集団の中に身を置きここが自分の居場所など思い込むことに意味はあまりなかった。誰か一人でも見つけてその人と深い関係を築いていく、そんな人と過ごす方が有意義であると今は思う。

「俺、真里がいなかったら本当に一人で寂しかったよ、後先考えず別れようと思っていた俺が馬鹿だった、ありがとう」必死に擦るなどして手を温めている吉川にお世辞ではない感謝の言葉を送った。

「えっ、いやだ、もういいよ、そんなの」

「なんで俺にそんな拘ったの? 真里だったら直ぐにまた新しい彼氏できるでしょう?」

「えぇ? なんでって、恭ちゃんが好きだから以外なにか理由いる?」

「そう言われるともう何も聞くことはないな。いや、よくメールの返事もしないでほったらかしにされて耐えたなって思って」

「自覚ないのかもしれないけど、恭ちゃんすごい魅力的な男性だよ。よく一緒に歩いていると他の女性が思わず目止めたり視線感じるもん」

「そうなのか」

本人にも心当たりはある、本当に気づいていないわけじゃない。ただ未だに信じられない、そういう謙遜した気持ちも持っていた方がいいと思っているだけであった。

「もう手はいいからさ、キスくらいさせてよ」

異性と二人っきりでいて手を握り合っているだけというのはあまりにも物足りなかった、手は直に素肌には触れないよう注意を払いながら唇に触れた。

 両足の間に入り、別の意味で慎重に体を倒す、とにかく触れたい、首筋などにキスをする。下に目線を移すと大胆にも大きく開かれた両足、黒玉模様がプリントされた白い下着だった。まだ子供だなと思う。そんな穢れない女性、ここでまた下に手を伸ばすと悲鳴を上げられる、それが歯がゆい、あまりにも残念だった。本当は勃起状態のこの性器もどうにかしたかったが今日は時間がなさそうだった。

 中途半端に終わった夏の続きだったが本能のままにやればいいと感覚を少しづつ掴んではきた。心残りはあっても吉川も深い関係になっていると満足そうな表情。最後に蝋燭が灯されたケーキと一緒に携帯のカメラで写真を撮った。

 写真をじっと見つめる、題名を付けるなら幸せの瞬間とでもつけるか。帰りの電車の中、席に座り降りるまで見ていても飽きないまさにその瞬間を収めたものだった。

 急に電車が減速した、最後はとうとう停車してしまう。1分後、車内に放送が流れこの先、人身事故が発生したためこの電車はしばらく運転を見合わせるとのことだった。ため息、落胆の声が一斉に出てそれが充満する。せっかく幸せの気分に浸っていたのに水を差された形だ。

 人身事故、高校に進学して電車で通うようになってから何度か遭遇した。やがてそれはホームから飛び降りて誰か自殺を図ったために起きた事故だとも知った。なんでそんな事ができるのか理解できなかった。それこそ、そんな勇気があるならと言いたい。

 もしもここまで、自分が今、噛み締めている幸せを、どこかで感じ取ることができたならそれを踏み止まることができたのではないか。

 学校を休むようになってからもうこのまま眠って、目覚めることなく人生が終わっても後悔はないとまで思った。それでもなんとか生きていたらこんな良いことがあった。

 そんな瞬間は誰にでも訪れるものではないというならやはり世の中というのは平等というのには程遠い、そんな中、自分には訪れたその瞬間が。

 電車は40分ほど停まっていた、座っていられたのが幸いだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る