第6話 僕の家

 僕の家は、学校から歩いて10分くらいのところにあるマンションだ。帰宅すると僕はすぐ自分の部屋にこもり、携帯で亮ちゃんに電話をかけた。

 タイミングよく、亮ちゃんは暇していたようだ。

『えっ、100フィートの誰もいない塔があったのかよ! すげえ! いいなぁ、俺も探検に行きたいよ~。くわぁー、バイトがなけりゃなぁ~』

 亮ちゃんは自分のことのようにはしゃぎ、残念がった。小学生の僕から見ると、20歳以上の人って大抵すごく大人に見える。でも、僕の知っている21歳の亮ちゃんは、時々僕よりも子供っぽくなる。

「ナルも亮ちゃんも、何で行けることが前提みたいになってるんだよ。あれは作り物なんだろ?」

『わかっててもやるのが面白いんじゃん! 漫画の聖地巡礼みたいなもんだよ。キャラクターは実在の人物じゃないのに、ここがナントカちゃんが通ってる学校かぁ~! なんて言って喜ぶわけ』

 受話器の向こうから、亮ちゃんの笑い声が聞こえた。

『ま、万が一異界に行けたら教えてよ』

「はいはい、無事帰って来れたらね」

『いやいや、実際にあれ使って、行方不明になった人がいるって都市伝説もあるんだよ! 確か30年くらい前に、アメリカで……』

「都市伝説ね。わかったわかった、気をつけるって!」

 笑いながらそう言って、ふと思い出したことがあった。

「そういえばあの本、元の世界に戻る方法は書いてあったっけ?」

『言われてみれば、特に書いてないな。やべーな、帰ってこられなかったら』

 亮ちゃんは割と真面目なトーンで言った。以前僕が「僕ひとりで東京に行ってみたいんだけど」と相談してみたら、「お前まだ小学生じゃん。叔母さんとよく話し合えよ」と応えてくれたときくらいの真面目さだった。僕は思わず吹き出した。

「いやいや、だから何で行けること前提なんだよ」

『万が一だよ万が一。もし何かあったら俺、叔母さんに合わせる顔がないよ。お前んち、叔母さんとふたりだけなんだから余計にさ』

 亮ちゃんは湿っぽい話はめったにしないけど、伯父さんや伯母さんと同じく、母さんと僕、ふたりっきりのうちのことを気にかけてくれる。それは僕もよく知っている。

「大丈夫だよ。ビルの階段を上がって、下ってくるだけだもん。危ないことなんかないって」

『そうだなぁ。ま、帰り方は向こうで聞けばいいか』

「向こうってどこだよ?」

『そりゃ異界だよ』

 冗談めかしてそう言うと、亮ちゃんはまた笑った。

「困ったなぁ。僕、異界語わかんないよ」

 僕も笑った。

 とっくに引っ越しして空っぽとはいえ、街中にある普通のビルに入るのだ。危険なことといえば、階段を踏み外さないようにすることくらいだろう。もっとも、異界に足を踏み入れてしまった場合はわからないけど……。

 僕はふと思い付いて、亮ちゃんに尋ねた。

「そうだ。あの本、なにか異界について書かれてないかな? 異界ってどういう場所なのか、全然わかんないからさ」

『あれなぁ~、あれしか書いてないんだよな。まぁ、後で関係ありそうなとこをスキャンして送るよ』

「ありがとう」

 亮ちゃんとの電話を終えた僕の心には、ある疑問がポコンと浮かんで、その日一日中風船のように漂っていた。

 もし、もしもだけど、本当にもしもの話だけど。

 もしも本当に異界があって、元の世界に戻ってこられなかったら、どうしよう。


「一樹、どうかした?」

 夕飯を食べながら、母さんが僕にそう言った。

 母さんは仕事が忙しい上に勤務時間が不規則なので、ご飯の支度は半分くらい僕の仕事だ。ご飯を炊いて、母さんの作りおきのおかずと相談しながら、残りのおかずと汁物を作る。「竜野家」は僕と母さんのチームであり、お互い協力しあわなければならない。だけど、もしもこの家から僕というメンバーが消えてしまったら、母さんはどうするんだろう。

 そんなことを考えていたのが、顔に出ていたようだ。

「うーん、何でもないけど」

「そう?」

 母さんはこういうとき、あまり深追いをしない。僕がいつか話すだろうと思って、いつも待ってくれる。まぁ、聞かれても困る。今週末異界に行くんだけど、戻ってこられなかったらどうしよう? なんて言えない。

「そういえば僕、土曜日の午後出かけるけどいい?」

「いいよ。どこ行くの?」

「えーと、成沢くん家」

 正確には成沢くん家が管理しているビルだけど、バカ正直に言うと母さんは危ないと言って反対するかもしれない。なのでぼかして伝えることにした。

「そう。成沢くんによろしくね。誰か他に一緒なの?」

「秋吉くんと、あと知らないかもだけど、同じクラスの大友さんって女の子」

「大友さんって、大友春菜ちゃん?」

 僕の作ったナス南蛮をつつきながら、母さんが言った。「母さん、実は大友さんのお母さんと元クラスメイトなんだ。お母さんも春菜ちゃんも美人だよね」

「ああ、うん。その大友さん」

 母さんはちょっと間を置いて「春菜ちゃん、元気?」と言った。大友さんのことをあまり知らない僕は戸惑ったが、今日の様子を思い出して、

「普通に元気じゃないかなぁ」

 と答えた。「でも、何で急に?」

「あ、ううん。何でも。ほら、春菜ちゃん家もうちみたいにお母さんだけだから、ちょっと気になって」

 今度は母さんが、何か言わずに隠しているような気がする……でも僕は聞かなかった。こういうとき、僕は母さんから何か聞き出せた試しがない。うちではやっぱり、親の方が一枚上手だ。

「一樹、このナスのやつ初めて見た。おいしいね」

 母さんは露骨に話題を変えてきた。僕も無理に追及しないことにした。

「それ、電子レンジで作れるやつだよ」

「そうなんだ。やるじゃない」

 僕たちはいつものように夕飯を食べ、片付けをした。宿題と明日の支度を済ませると、僕はリビングのパソコンを起動させた。

 思った通り、亮ちゃんからメールが届いている。本文には『適当に日本語つけといたぜ』とあった。

 添付ファイルを開いてプリントアウトした。本をスキャンしただけの画像と、それに赤ペンで色々書き込まれている画像の2種類だ。

「亮ちゃん、仕事がはやいなぁ」

 僕は亮ちゃんにお礼のメールを送った。母さんが風呂から出てきて、僕に「一樹もお風呂入りな」と声をかけてきた。

「はーい」

「あ、パソコンつけといて。母さん、ちょっと使うから」

「わかった」

 入浴を済ませて出てくると、母さんはまだパソコンの前に座っていた。母さんはいつ寝るんだろう、と思いながら、僕は声をかけた。

「もう寝るね。おやすみ」

「はーい。おやすみー」

 母さんは、肩ごしに僕に手を振った。

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