第一章 レンパリアの千人槍 1

 葦原あしはらに、小風こかぜがそよいだ。

 その度に、波打ち際の浜辺のように、ひ弱なあしが倒れてゆく。細い茎と葉を揺らし、倒れたこうべを起こしざま、少しばかりもみを散らした。


 そのあしの波の下で、少年が身をせていた。

 年頃は、十代半ば辺りだろうか。

 風がかよい、あしが揺れる度に、少年は息をひそめた。ただじっと、まばたきすら忘れて、葦原あしはらの向こう側を見つめている。


 葦原あしはらを抜けた先に広がる草原。2ガリー(約1キロ)近く続くそれは、はしの方で、左右に広がる黒いかたまりの群れにさえぎられていた。

 一見すれば、灌木かんぼくが並んでいるようにも見えるが、目をらせば、それは生き物である事が直ぐに分かった。


 四本足に、全身をおおう長い体毛。分厚い頭頂部だけはハゲ上がり、その両脇に太くて短い角を生やしている。姿はバイソン に近い。だが、その大きなつらを包む面頬めんぼうと胴体をおおう皮のコート、そして背中のくらに乗せられた人間の存在が、単なる野生の獣ではない事を示していた。

 バルサルクが好んで乗る騎牛ビルガーだ。

 

 

 伝説によれば、騎牛ビルガーの始まりは、英雄王バルカノンが、ムランクト平原に生息する野牛の変異種を手懐てなずけた事が始まりだという。

 王牛ブルガーと呼ばれるその種は、駆ければ駿馬しゅんめを置き去りにし、一飛びで堀を越え、分厚い皮膚ひふ槍衾やりぶすまを物ともせず、頭突きの一撃で馬防柵ばぼさく粉砕ふんさいする。


 だが、その王牛ブルガーに欠点もあった。一つは、英雄王バルカノンを除けば、仔牛から手づから育てぬ限り、決してなつかぬ事。二つは、小屋で飼えぬ為、十分な広さと王牛ブルガーの胃を満たす牧草が生茂る牧場が必要な事。

 財と土地を持つ王侯おうこうにしか飼えぬのだ。


 この王牛ブルガーを、より人になつきやすく、そして小屋で飼えるように品種改良されたのが、現在、バルサルクの主力騎獣となっている騎牛ビルガーだ。


 

 二列横隊に並ぶ騎牛ビルガー。バルサルクに付きものの、馬丁ばちょうや従者は後方に控えている。これは、突貫攻撃の前兆だ。


 騎牛ビルガーの突撃を前に、少年の胸は激しく鼓動こどうしていた。しずめようと、何度も息を吐きだしたが、一向に収まらない。少年はたまらず、仲間の一人に声をかけた。


伯父おじさん……」


 伯父おじは返事をしてくれなかった。前方のバルサルクの横隊を黙って見つめ続けている。

 波打つ葦原あしはらの下には、少年を含め、数百人の男たちがせていた。

 まで筒状の鉄で作った、5メートルほどの長い長い槍。その槍を葦原あしはらの底に沈め、三人一組の男たちが、そのかたわらで息をひそめている。



 騎牛ビルガー専門の槍衾やりぶすま……『レンパリアの千人槍』といえば、知らぬ者はない。

 産業を持たないレンパリア地方では、土地を相続できない農家の子弟たちは、傭兵ようへいとして出稼ぎに出るのが伝統だ。


 メヌエブラの長弓団、フィニュッツアの山岳兵……似たような理由で、傭兵業を出稼ぎにする地方は各地にある。それらは、農夫傭兵アニックィアと呼ばれ、礫打ちインジー浮浪傭兵ラバーフと合わせて、三大乞食傭兵などといわれている。


「ライリィ伯父おじさん……」


 少年は、もう一度かたわら伯父おじにささやいた。

 季節はあしもみが開花を控えた初秋しょしゅう。時間は午前9時ごろ。小風が、あしの草花で波紋を幾度も幾度も広げている。


 涼しいはずなのに、少年のひたいからしたたる汗は、乾くことが無かった。息苦しく、いつくばる地面を通して、自分の鼓動が嫌にうるさく感じられた。


「なんだ?」


 甥の二度目の呼びかけに、前の方でせていた伯父おじは、やっと返事をした。


「俺は、槍の端に乗っかるだけで、いいんだよね……」

「ああ、練習した通りに動きゃいいだけだ」


 素っ気ない伯父おじの返答に、三人一組の内のもう一人の男が付け加える。


「レイツ、一二の三だ。一で俺たちが槍をつかんで、二でおっ立てる。三の合図でお前が石突いしづきに乗っかっておもしになるんだ」


 レイツと呼ばれた少年は、黙ってうなずいた。


「ずしんと手応えを感じたら、すぐに後ろを向いて、5番て書かれた赤い旗の所まで走るんだ。そこが俺たちの退路だ」

「その後は?」

「仲間と一緒に、もっと安全な所まで移動。それで俺たちの仕事は終わりだ」


 伯父おじが後を続ける。


「怖かったら、三の合図まで目つむってろ」


 伯父おじはぶっきら棒に言ったが、レイツは、視線をバルサルクの群れから外そうとはしなかった。

 初めての戦場で、いきなりバルサルクの突撃を迎え撃たねばならないのだ。目を閉じる方がよほど勇気がいる。

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