旅の青年 3

 砂煙に遮られた向こう側で、悲鳴が上がった。船体が傾き、転がりそうになる男を助けながら、青年はそれを見た。

 砂埃すなぼこりのカーテンの向こう側。砂地の下と上を波打つようにうねりながら、巨大な陰が船と同じ速度で動いている。


 横風が走った。砂埃が吹き散らされ、異様な陰の正体が青年の両眼に映し出される。

 長い長い蛇のような胴体。雄牛でも一飲みしそうな程に太く、その先端には、岩に目と口を付けたかのような、無骨ぶこつな頭があった。


「グレガンドだ!岩竜だ!」


 男は叫びながら頭を抱えた。


「なんでだよ。船にゃ、竜除けが付いてるはずだろ!?しかも、よりによってグレガンドかよ!」


 船首の方からも怒声が上がった。見れば、船長が船員たちを急き立てている。


「おめーら、こいつの出番だ!」


 船長の声に、船首の近くにいた船員たちが、船縁に設置されていた固定弓に取り付いた。カラクリを操作して


「どいたどいた!くそ高え固定弓様の出番だ!」


 両舷りょうげんに一機づつ取り付けられていた固定弓を、二人一組の船員が、船縁をレールのようにして動かした。

 左舷側の固定弓が、うごめく竜の胴体の前まで移動する。一人の船員が、木箱からもりのような矢を取り出して装填そうてんした。攻城戦用に比べれば小振りだが、生き物を殺すには十分すぎる大きさだ。

 矢が装填されると、もう一人の船員は、足元のペダルをこいで矢蔓やづるを引き、


「さあさあ、頼むぜ!」


 トリガーらしい目の前のボタンを拳で叩いて、放った。

 弓の爆ぜる音が起き、矢は目の前の竜の胴体に凶悪なもりを打ち込んだ。

 空気が震えた。


 未知の武器から放たれた攻撃に、竜は対処できず、その横腹から血飛沫ちしぶきをあげていた。うなり声を上げ、倒れこむようにして砂の中に潜り込んだ。

 甲板に残っていた客たちから歓声が上がった。


「船長!買った甲斐かいあったぜ。あの岩竜の横っ腹…………」


 船員の言葉が終わる前に、船体が激しく振動した。

 右舷から砂煙が立ち登り、再び竜が姿を現した。雄叫びを上げ、船体に体当たりを食らわせる。


 一撃で船縁を突き破り、悲鳴をあげる乗客を無視して、竜はマストに襲いかかった。

 帆が裂け、帆桁が折れる鈍い音を立てる。


「馬鹿野郎!油断するんじゃねえ!頭狙ってどんどん撃て!」


 竜は悠然ゆうぜんと数本のマストに絡みつくと、締め付け始めた。


「何してやがる!さっさと撃たねえか!」


 だが、どうした訳か、固定弓に取り付いた船員たちは、撃とうとはしなかった。からくりをガンガンと叩いている。


「どうした!?」


 船長がズカズカとやってくると、固定弓を叩いていた船員は怒鳴った。


「船長!これ幾らした?!」

「二つで10デニムっつてんだろうが!寄こせ、何やってやがる!」


 船長は荒々しく船員と入れ替わると、固定弓を動かそうとした。そして、ガチャガチャと音を立ててから、やっと船員の怒声を理解した。


「これ、外にしか撃てねえのか……」


 固定弓は、船の外に向かって撃つことはできても、甲板に向かっては撃てない仕様だった。


「よくもまあ、10デニムも出したもんだな船長!」

「う、うるせえ!斧だ!斧持ってこい!」


 岩竜が巻きつくマストの帆桁がバキバキと音を立てて崩れた。またどこかで悲鳴が上がった。

 シラフに戻った男は、青年につかまりながら、助けを求めた。


「お、おい、兄ちゃん。傭兵だろ!?剣持ってんだろ!どうにかしろよ!」


 轟音ごうおんが鳴る。


「ひいいい!」


 マストがへし折れたらしい。錯乱したように男が悲鳴を上げると、青年は男の手を振りほどいて、ゆっくりと立ち上がった。

 ゆらぐ甲板の上で危なげなく直立し、腰の剣に手を掛けた。


「な……な、何してんだ、兄ちゃん?」


 唖然あぜんと見上げる男を他所に、青年は剣を抜いた。傭兵らしい粗末なさやから出たそれは、しかし、鞘に似合わぬものだった。

 鞘から光が放たれた。


 刀身の鍔元つばもと近くに埋め込まれた青い宝石。それが淡い輝きを放ち、切っ先近くまで走る金の文様に光を伝達している。左右に広がる両刃は、陽の光の反射ならぬ別の白光をたたえていた。

 熱、冷気、電気、磁気、霊気……人体の力を宝玉を触媒に増幅する宝玉剣だ。珍しい剣ではないが、高価であり、並みの傭兵が持つものではない。


「おい、兄ちゃん、なんでそんなもん抜いてんだよ……」


 青年は、抜き身の剣を下ろすと、無造作に岩竜の胴体に歩み寄った。


「お、おい!何やってんだよ!冗談に決まってんだろ!そんなもん一つで、人間が岩竜をどうにか出来るわきゃないだろ!」


 男の声を無視して、青年は岩竜の胴体を蹴った。その名の通り岩のような感触だ。おそろしく頑丈な鱗におおわれている。


「やめろ、兄ちゃん!そいつは、バルサルクやオノイヤ人が束になって掛かったって、勝てやしねえんだ!」


 気にせず、また青年は岩竜を蹴った。

 胴が揺れ、その不快な振動が頭まで伝わると、岩竜は、青年に気付いた。

 大口を開け、咆哮ほうこうを上げて威嚇いかくする。


 男は悲鳴を上げて頭を抱えたが、青年かまわず、もう一度蹴った。

 刹那、岩竜の頭が甲板に走った。

 激しい衝突音が起き、床板が壊れて砕け、砂飛沫の中に血飛沫が混じる。


「だから言ったんだよ!」


 だが、おびえる男が、恐る恐る目にしたものは、押しつぶされた人の肉塊ではなく、血刀を下げて立つ青年の姿だった。


「うん、口元は柔らかい」


 血飛沫は上から降っていた。岩竜の頬にできた一筋の切れ目から。

 生まれて初めて覚える痛みに、岩竜は頭をもたげてった。だが、痛覚はすぐに湧き上がる怒りに打ち消され、血と共に咆哮を撒き散らせた。

 鎌首を構え、マストに絡み付いていた胴体が甲板を削ってうごめき、青年の周りを包もうとする。


「よせ!よせ!喰われるだけだ、兄ちゃん!」


 自体が飲み込めず、男がただ叫び続ける中、斧を持った船員たちが駆けつけた。


「客人、今助けてやる!」


 船員が、大振りの斧を岩竜の胴に振り下ろしたが、幾度叩き付けても、鱗に弾き返され、傷一つつかない。


「兄ちゃん、ダメだ!斧すら通らねえんだ。はやく逃げ……て、何で笑ってんだよ!」


 剣を構え、絶対にかなう筈のない竜の前で、一塊の人間たる青年は、たしかに笑っていた。


「に、にいちゃん……怖くておかしくなっちまったのかよ」


 青年は言った。


「大丈夫、正気さ。別に怖かないんだ……ワーゲラス平原の戦いで出くわしたバルサルク、ブルオード公に比べたらな」


 岩竜が甲板に激突した。床板の破片が舞い散る中、青年は跳んだ。岩竜の背に着地し、その岩盤のような体に剣を突き立てた。


「ブルオード公の駆る王牛ブルガーは、一駆けで槍衾やりぶすまを突破し、頭突きの一撃で分厚い陣営を崩壊させた……」


 斧すら通さなかった背から赤い飛沫が上がった。岩竜の絶叫に空気が震えた。

 青年は岩竜の背を駆け上ると、帆桁の一つに飛び移った。そして、傾く帆桁の上で構える。


「魔獣の上で、長柄の斧を奮うブルオード公を見た時、俺は恐怖で震えたもんだ。戦場で震えるなんて初めてだったな。だけど……」


 青年の体が帆桁から、岩竜の頭へと跳んだ。大上段に構えた剣が閃光を放ち、光が青年の後を追い、途中、弧を描いく。

 岩竜の首元とすれ違い、青年が甲板の上に着地した時、振り下ろされていた剣は、深々と床板の中に切り込まれていた。


 轟音ごうおんが鳴り、青年に続いて、岩竜の頭が甲板に落ちた。胴体を中空に残したまま。


「だけど……俺の方が強かったんだ」


 青年は、血糊ちのりも拭わずに剣を鞘に納めたのだった。

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