二人の厄介になることとなった。

「さぁさ、その分じゃろくに食ってないだろう。残り物で悪いがお食べな」


「ちょっと爺様」


「お千や、話は聞いてただろう? この二人は椅子の分までこの茶店で働く。なら、どんな形であれ、その面倒を見るのが店主の務めってもんだ。私らだってまかないで食べてるんだ、それと一緒だよ。だからほれ、二人とも、遠慮するこたぁないよ」


「ありがとうございます。ほら兄上も」


「……いただこう」


 そう言って鴨兵衛が弦五郎から受け取ったのは箸二膳とどんぶり二つ、どんぶりの中身はうどんだった。


 小麦の粉に少々の塩を水で混ぜて捏ねて、寝かした生地を叩いて伸ばして切って麺にして熱湯へ、茹であがったら沢の冷水でぬめりをとる。


 出来上がった麺をつゆにつけて食べるのが普通だが、ここは街道の茶店、それも時間に追われた飛脚が多く利用するため、つゆにつける手間とつゆ入れを省くために、どんぶりにうどんとつゆを入れたもの、ぶっかけのうどんを出していた。


 つゆ、と言っても醤油だけ、出汁も何もない。ただそれだけでは味気ないと、具材としてたっぷりと乗せられてるのはおろしたワサビだった。


 緑色にツンとする香り、客に出す時はちょこんと乗せる程度、しかし二人に出されたどんぶりには、中ほどにこんもりと、山盛りに乗せてあった。


 日持ちしないからとの大盤振る舞い、当然このワサビはかなり辛かった。


 粋がる飛脚たちはこれが良いと噎せながらかっこんで、鼻をすすりながらもさっさと立ち去るものだったが、子供には辛すぎる辛さだった。


「うーーーー」


 目に涙を浮かべ、鼻への刺激を耐えながら、それでも小さな口でうどんを一本一本啜るおネギに弦五郎は申し訳なさそうに頭を掻く。


「ありゃ、こりゃ奮発しすぎたかな」


「いえ、美味しいです」


 無理してる声、ぽろぽろと零れ落ちる涙、それでも箸を止めないおネギの前に、鴨兵衛はそっと己のどんぶりをおろす。


 そのどんぶりへ、無言でワサビを移すおネギ、代わりにまだ白いうどんを返す鴨兵衛、まだ潰れてない長椅子に並んで座る様子は、仲睦まじい兄と妹だった。


 そうこうしてる間に茶店からは客の姿が消えていった。


 宿場に遠い東へ向かうものはもはやおらず、近くの西へ向かうものは数いても、もう少しで宿場と知ってか足を止めるものは皆無だった。


 代わりに集まるのは近くの村の男らだった。


 今日の農作業を終え、冷たい沢の水で泥を落とし、その足でぞろぞろと集まるや、茶屋に残った湯冷ましを竹で作った自前の茶碗で貰いながら、どこからか持ってきたのか将棋を広げて指しつつ談笑し始める。


 こうして各々の家で夕食ができるのをのんびりと待つのがここでの日常だった。


 そんな男らの今日の話題は当然、二人についてだった。


「そう言うわけなので、不束者ですがどうかよろしくお願いします」


「こいつぁ、なかなかの別嬪さんじゃねぇか。将来が楽しみだねぇ」


「まったくだ。この行儀のよさ、内の息子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ」


「どうだい、本気でうちの子にならないか?」


「えぇ、どうしよっかなー」


 利発で明るいおネギは村の男らに早々気に入られた。


「対してなんだお前は、こんんな可愛い妹に苦労させて、恥ずかしくないのかおめぇさんはよぉ」


「まったくだ。こんな兄でどうやったらこんな妹が育つんだろうねぇ」


「おぉう。良い機会だ。ここで働く間にきっちりとその性根、叩き直してやりゃ」


 対して寡黙な鴨兵衛は散々な言われようだった。


 初めこそ、得体のしれない大きな浪人に委縮するも、連れてる幼いおネギにいつもどおりのお千、女二人に逆らえない様子を見た上で、腰の刀無しを見れば恐れるものもなく、途端に強気に出るのだった。


「一番人手のいる田植えは終わっちまった。雑草取りは残ってるが、稲を倒さずやりとげるにはコツがいる。素人にできるもんじゃない」


「そんなでかい指じゃ家の修理も無理だろう。せいぜいが材木運び、後は冬に向けての薪拾いに、沢の掃除、後は肥料運びか?」


「なぁにどれもガキどもできる仕事だ。このでかいガキにもできるだろうさ」


 男らがガハハと笑う。


 恐れが消えたとはいえ、見ず知らず鴨兵衛へこれでもかと遠慮も無しに強めに出るのは、男らの前にお千がいるからだった。


 ここは街道に面しているとはいえ所詮は田舎の村、それを差し置いてもお千はいい女だった。


 気は強いが働き者で気も回り、黙る姿は美しい。それ故に村の男どもは既婚独身関係なしにお千の気を引こうと静かに熱意を燃やしていた。


 そこへ現れたどこの馬の骨かもわからぬ浪人者、いくら幼い妹を連れいていようとも、いや、だからこそ取られまいと強く出る。


 こんな男にお千はやれん、勝手に母やら姉やら娘やら、思いをはせる男らの本能がさせるものだった。


 それに気が付きもしないお千は変わらぬ調子で口を挟む。


「ちょいと、勝手にこいつを持ってかないでおくれ。預かりはうりの茶店なんですから、最優先は店仕事だよ」


「そりゃわかってるさ。だけども長椅子壊すような不器用な男に、茶店みたいな繊細な仕事が務まるのかい? それも接客業、逆にクマが出たって騒ぎになっちまうよ」


「そんなことないさ。こんな情けないクマがいるわけないだろ?」


「そりゃそうだ」


 お千の答えにまた笑いが起きる。


 それを目の前に不機嫌な顔の鴨兵衛、それでも口を挟むこともなく、ただ頑なに話を耳にしていた。


 そうこうしてる間に終に日も暮れ、草影から虫が鳴き出して、弦五郎のどんぶり洗いも終わったころ、各々の家より夕食ができたと子供らが呼びに来る。その度一人抜け、二人抜け、人数減り始めてようやく『ドクダミ屋』は店先より暖簾のれんを下ろした。


 まだ将棋の決着のついてない一団を残してお千と弦五郎は食器やらの荷物を背負い、おネギと鴨兵衛を連れて家路に着いた。


 村は田舎ではあるが寂れてはいなかった。


 飢えたばかりの水田の他に畑がいくつか、どれも男らが言うだけはあって丁重に世話をなされていた。


 その奥に並ぶどの家からも灯りと湯気が漏れ出て談笑が響く明るい空気、少なくともここは飢饉と飢餓とは無縁の村ではあった。


 そんな村を抜けた先にある、二人の家は、二人で住むには大きすぎる家というだけで普通の家だった。


「まぁ何もない家だが、くつろいでおくれ」


 そう言って先に入る弦五郎、その後におネギが続く。


「お邪魔します」


 ペコリと頭を下げてから入るおネギ、その後にお千が入って、鴨兵衛が入る前に立ちふさがった。


 何事かと見返す鴨兵衛へ、お千は持ち手のついた大きな桶を突き出す。


「さっそくだけど仕事だよ。この桶で水瓶いっぱいになるまで水を汲んできておくれ。沢の場所はわかるだろ? ほら、ぼさっとしてないで行った行った。早くしないと日が暮れてなぁんにも見えなくなっちまうよ」


 言い渡し、鴨兵衛が受け取るやお千はぴしゃりと戸を閉めた。


 ……外に残された鴨兵衛は、しばらく閉じられた戸を見つめてから、無言で桶を持って、来た道を戻っていった。


 そうして水を運ぶこと七回、本来なら四回で水瓶はいっぱいだったのだが、やれ体を拭くだの、やれ料理に使うだの、いれてる傍から使われて、やっといっぱいに運び終えるころにはすっかりと日が暮れてほぼ夜となっていた。


 袖と裾を濡らしながらも疲れを見せず、代わりに不機嫌さを隠そうともしない鴨兵衛がやっと家に入って照らすは板間の囲炉裏いろり、くべられた薪が赤々と燃えて鉄の鍋を焙っていた。


 ぐつぐつと震える鍋から漂うのは白い湯気と良い香り、うどんとキノコが煮られて泳ぐの中へ、ちょうど弦五郎が味噌を溶き入れようとしているところだった。


「おやおや、ずいぶんと間のよろしいことで」


 さっくりと嫌味を言うお千、その膝を枕におネギが寝息を立てていた。


「先に初めてようって言ったんだがね。この子は待ってるって聞かないもんで、ぎりぎりまで待ってたらすっかり寝ちまったよ」


 弦五郎が説明しながら鍋を混ぜてると、ぱちりとおネギが目を覚ました。


 目をこすりながらむくりと体を起こし、見回して、鴨兵衛を見るやにこりと笑った。


「よしじゃあ、夕食にしようか」


 こうして鴨兵衛とおネギの二人は、茶店の二人にの厄介になることとなった。

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