第5話   転移

 「エリちゃん。またね」

 「うん。またね」


 窪塚江莉香は京都駅の改札で大阪に戻る友人に手を振る。

 近年暖冬が叫ばれ、昔に比べれば暖かい京都の春先だが、今日は日暮れと共に往時を思い出したかのように冷える。

 明るい色が可愛かったので春用コートをチョイスしたが今日の気温には合っていない。コーディネートを優先したことを後悔した。

 駅から出ているバスを使い自宅の最寄りのバス停で降りる。肩から掛けたバッグを持ち直した時に中身を思い出した。


 「あちゃ。教授に返すの忘れてたわ」


 これから大学に戻るか迷ったが、遠ざかるバスの後ろ姿を見て諦めた。


 「明日にしよ」


 寒いので明日に持ち越すことにした。教授には明日謝ろう。

 家への道を歩く。市内と言っても西のはずれ。観光客が大挙して練り歩くこともなく比較的閑静な住宅街だ。

 それゆえに気が付いた。

 誰かが後ろからついてくる。

 江莉香は振り返るべきか悩んだが、それも怖いので歩みを上げた。しかし、速足の自分についてくる気配がする。


 「痴漢? ストーカー? 」


 意を決して振り返った瞬間。影のようなものが視界を覆い意識が遠くなった。



 どれぐらいそうしていたのだろう。

 長い時間だったような一瞬だったような。不思議な感覚と共に目が覚める。

 明るい。いや眩しい。

 ゆっくりと瞼を開く。

 目が明るさになれるとそこは木々が生えた林だった。


 「えっ。どこここ」


 周りを見渡すが見覚えのない景色だ。

 それにさっきまで夕方だったのに異様に明るい。夜が明けている。そんなに長い時間気を失っていたのか。

 そして、気を失う直前のことを思い出す。


 「ストーカー」


 江莉香は自分の身体を触る。痛いところもないし着衣の乱れもない。どうやら乱暴されてはいないみたいだ。とりあえず安堵の息を漏らす。

 江莉香は立ち上がり。周りを見渡す。

 本当に見覚えが無い。京都も北に行けばここが市内かと言いたくなるほどの山と森が広がっているが、印象が違う。


 「スマホ」 


 とりあえず母に連絡しよう。

 ケータイを入れているバッグを探すがどこにも見当たらない。


 「えっ、嘘でしょ」


 辺りを捜し歩いたが、バッグは見当たらなかった。

 江莉香はポケットに物を入れない主義の人だ。

 スマホも財布も家のキーも飴ちゃんもバッグの中。つまり完全に手ぶら。


 「どうしよう」


 途方に暮れるがここに留まっても仕方ない。とりあえず下っていけば人家があるだろう。そこで電話を借りよう。

 そう決めて歩き出す。歩き出して気が付く。

 随分と暖かい。いや、この格好だと少し暑い。昨日まであんなに冷えていたのに京都の春は気まぐれだ。

 江莉香はコートを脱ぐと再び歩き出した。

 幸い。鬱蒼と草木が茂る森ではなく、日の光の差し込む林だ。歩いていくのは可能だった。

 しかし。


 「もう。本当にここはどこなんや。すいませーん。誰かいませんか。おーい」


 林の中に虚しく自分の声だけが響く。

 数時間歩き回るが一向に人家どころか道にも出ない。明るかった日差しも段々と陰り始める。

 ヒールの高いブーツのためすぐに足が痛くなった。途中で見つけた小川で水をすくい飲んだ以外に何も食べていない。


 「飴ぐらいポケットに入れとけばよかったわ。次からはそうしよ」


 そういうと江莉香は林の中を彷徨い歩くのだった。

 そして二晩が経った。

 途中で見つけた赤色の木の実以外何も口にしていない。

 もはや、身体も思考も限界だった。泣くことも忘れ彷徨うと突然視界が開け山道が現れた。石畳で整備された道だ。

 ほっとしたのがいけなかったのか、その場で崩れ落ち意識を失った。



 誰かの声がする。

 暖かい。

 江莉香が目覚めると扉の閉まる音がした。

 ゆっくりと身体を引き起こすと自分がベッドに寝かせられていることに気が付いた。

 助かった。よかった。

 安堵の気持ちから涙があふれてくる。

 しばらく泣いていると扉が開く。


 「ありがとうございます」


 入ってきたのは頭に白い頭巾をした女性。

 淡いオレンジがかった髪に白い肌。鼻は高く顔の彫は深い。外国人だ。


 「外国の人。えっと Thank you Miss I am very grateful 」


 女性は笑顔を見せると江莉香の言葉には反応せず、外に向かって何かを言った。

 そして近づくと声をかけてくる。

 しかし、聞き取れない。英語のヒアリングが得意という訳ではないが英語として聞き取るぐらいはできる。江莉香は洋画は字幕で見る主義の人だ。


 「あれ。英語の通じない人なのやろか。Merci pour l'aide これであってる? 」


 うろ覚えのフランス語で話しかけてみるが、やはり反応が無い。


 「あの。何人の方でしょうか。阿保か。日本語で言ってどうするのよ」


 女性は江莉香の様子を見て困ったような表情を浮かべる。

 どうしたものかとしばらく戸惑っていると、勢いよく扉が開き少年が入ってきた。

 驚いてベッドの上で飛び上がる。

 入ってきた人も白人男性。顔を見ても何人かは判別できないが、英語が通じないなんてことがあるのだろうか。ルーマニア人とか?

 女性が少年に話しかけると、今度は少年が話しかけてくれるが何語か解らない。


 「すみません。何を仰っているのか理解できません。だから日本語で言ってどうする」


 パニックを起こす。


 「Où est-ce que quelqu'un connaît le japonais ou l'anglais? Please call Japanese」


 やはり通じない。

 外国人の二人も困ったように言葉を交わしている。

 女性から器を手渡された。中に水が入っている。女性を見上げるとしきりにジェスチャーをしている。飲めと言う事だろう。

 江莉香は意を決して飲み干す。良かった普通に水だ。

 女性は満足したのか部屋を出ていく。

 残った少年が椅子に腰かけ色々と話してくれるが、やっぱり理解できない。

 分からないと首を振ると、少年は自分を指さし。


 「エリック。エリック」


 と言い出した。恐らく名前を言っているのだろう。


 「エリーク」


 舌がうまく回らなかったが、少年は満足したように笑い。もう一度繰り返す。


 「エリック」


 今度はうまく言えた。しかし、エリックか。イギリス人に多い名前だと思うんだけど。父が大ファンのエリック・クラプトンはイギリス人だ。なぜ英語が通じない。

 少年は今度は江莉香を指さした。

 なるほど。今度は私の番ね。自分を指さし。


 「江莉香。江莉香」


 少年を真似して二回言うが、がっかりした表情を浮かべ何かを言う。

 言い方が悪かったのか、今度はゆっくりと言う。


 「江莉香。窪塚江莉香」

 「エリカ」


 少年が江莉香を指さす。

 やっと通じた。江莉香は激しく頷くのだった。

 先ほどの女性がトレーを手に再び入ってきた。

 江莉香の前に置かれたトレーにはパンとスープが並んでいた。食事を運んでくれたのだ。

 その時になって江莉香は自分がとても空腹であることを思い出した。


 「ありがとうございます」


 通じないと分かっていても頭を下げる。言葉は通じないが優しい人たちに助けられたようだ。

 二日ぶりの食事はとても美味しかった。



                 続く

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