第3話   神聖語

 大声で叫ぶエリカを落ち着かせようと、エリックは自分の椅子に座らせた。

 ここで何か言うと、不明な言葉の応酬になって余計に混乱する。

 エリックは神聖文字を指さし。


 「ニホンゴ」


 と、聞こえるままに言う。

 エリカは大きく頷き、もう一度言った。

 ただ単に、神聖語が珍しい人間の反応ではないように思える。

 試しに、違う文字を指し示す。

 エリカは少し考えた後。


 「シボウブン」


 今度は違う言葉を発した。

 もしかして彼女は神聖語が読めるのではないだろうか。

 また、違う文字を指し示すと、エリカは少し困った表情を浮かべた後、エリックの指を少し動かし。


 「ホウレイサヨウ」 


 と言った。また先ほどとは違う音だ。


 「エリカ。お前、神聖語が読めるんだな」


 エリックにはミミズがのたくった文様にしか見えない神聖語を、明らかに理解しているとしか思えない反応だった。 

 そうなるとエリカが話している言葉は神聖語なのかもしれない。


 「もしかして、教会の人間か。でも神聖語しか話せないシスターなんているのか」


 女の教会関係者はシスターと呼ばれたくさんいる。各地に建てられた修道院には女しかいない修道院もあるがエリカはそこの関係者なのだろうか。

 エリックは教会に詳しくなかった。



 そこでエリックは神聖語の理解できる人物のところにエリカを連れていくことにした。

 何のことはない。戸惑うエリカの手を引いて家をでると広場がある。その向かい側にある建物に入るだけだ。


 「神父。メッシーナ神父はいますか」


 木造の教会の内部はガランとしており、正面の祭壇に神々の像が祭られていた。

 手を引いたまま教会に入ると、エリカは教会が珍しいのか辺りをキョロキョロと見渡すのだった。

 声をかけると奥の扉が開き黒の僧服をまとった男が出てきた。


 「これは珍しい。エリック様が自ら教会においでになるとは。何かありましたかな」


 笑顔で両手を広げる。

 エリックは信心深いとは言えず、節目の儀式以外では教会に立ち寄ることはなかった。

 少し気まずさを覚えたので神像に跪き祈りの言葉をささげる。

 エリカはエリックの行為を眺めた後、同じように跪いてみせた。


 「メッシーナ神父。唐突で申し訳ありませんが、神聖語は話せますよね」

 「本当に唐突ですね。ええ。聖典は全て神聖語で書かれております。聖句の詠唱は全て神聖語ですから」

 「良かった。その神聖語でこちらの者に話しかけてみてください」


 メッシーナ神父はエリックの申し出に目を瞬かせる。


 「それは構いませんが、こちらの方は」

 「申し訳ありません。こちらはエリカと言いまして、家で新しく女中として雇ったものです」

 「ああ。こちらが噂のエリック様の奥様でしたか」


 神父はエリカに微笑みかけるとエリカは不安そうな面持ちで首を縦に振る。どうやら挨拶をしているらしい。


 「違いますよ。そんな噂が」

 「はい。村のご婦人方が教えてくださいましたよ。ついにエリック様が奥様を連れてきたとね」


 エリックはため息をついた。


 「その噂はでたらめです。オルレアーノからの帰り道で行き倒れになっていたので助けたまでです」

 「弱者への労わり。お見事です。天国でブレグ様も喜んでおられるでしょう」

 「ありがとうございます。いえ、そうではなく」

 「わかっております。神聖語で話せばよいのですね」


 ここまで来てエリックはメッシーナ神父にからかわれていることに気が付いた。

 メッシーナ神父がエリカに何事かを話しかけると、反応は激しいを通り越して激烈だった。

 神父に詰め寄り、首を上げ両眼を見開いて一気にまくしたてる。

 聖句で聞くような神聖語ではなく、鬼気迫る言葉の奔流。

 その気迫にエリックは一歩後ろに下がってしまった。


 「待ちなさい。少し落ち着いて」


 神父は両手を振って落ち着くようにと身振りをすると、徐々にエリカは大人しくなった。


 「やはり神聖語でしたか。彼女は何と」


 期待を込めて神父を見るとメッシーナ神父は困り顔だ。


 「それがですね。確かに神聖語のようなのですが、聞き取れません」

 「なぜです。神聖語なのでしょう」

 「彼女の話しているのは恐らく神聖語中でも高位の高等神聖語でしょう。私も高等神聖語は理解できません」


 神聖語に高い低いがあることを初めて知った。


 「しかし、少しぐらいは分かるのでしょう」

 「ええ。少し話してみましょう」


 神父は今度はゆっくりと短い言葉をエリカに投げかけていく。

 エリカは何度も首を縦に振り、同じようにゆっくり返していく。

 よかった。何とか意思の疎通ができるようだ。エリックは胸をなでおろす。

 しばらく二人の言葉のやり取りを眺めていると、突然エリカが泣き出した。


 「どうした。エリカ」


 声を押し殺すように泣くエリカが哀れであった。


 「泣くな。落ち着いて」


 泣きじゃくっている時の妹にするように、優しく頭を撫でてやる。しばらく続けるとエリカは落ち着きを取り戻していく。


 「神父。彼女は何と」


 エリカの頭を撫でながら神父に問う。


 「それがですね。自分は神々の国から来たというのですよ」

 「神々の国からですか。そんな馬鹿な」

 「ええ。そしてそこに戻りたいから道を教えてくれと言っています」

 「神々の国に至る道ですか」


 エリックは思わず声が大きくなる。


 「そんなもの法王猊下でもなければご存じないのでは」


 神々の国に至る道があるなら、エリックだって教えてほしい。


 「いえ。恐らくですが神々の恩寵と奇跡にいたる道という訳ではなく、純粋に場所への道を尋ねているのではないでしょうか」

 「神々の国ってどこかにあるものなのですか」

 「いえ。地上にはありません。いと尊き天空の彼方にのみ存在します」

 「そうですよね。私だって聖典は聞いたことがあります」

 「最後にここはどこだと聞いたようなので、ロンダー王国のレキテーヌ地方だと伝えました。すると」 

 「泣き出したと」

 「はい」


 本当にエリカは神々の国から来たのか。


 「エリカは天使様なのでしょうか」


 エリックの質問に神父は言葉に詰まる。

 おとぎ話や聖典には、しばしば地上に降臨する天使の話がある。

 神の使いの天使であれば神聖語、しかも高位の神聖語しか理解できないのも一応納得できる。

 しかし、エリカを眺めた後、教会の壁画に目をやる。そこには神々の周りを飛び回る天使たちの姿が描かれていた。

 天使たちは朗らかな笑みを浮かべ背中の羽を広げている。

 一方エリカは静かに涙を流し続ける。当然だが背中に羽は生えていない。どう見ても異民族の女だ。


 「天使様ではなさそうですね」


 エリックの結論にメッシーナ神父は同意した。 


 「メッシーナ神父。お願いがあるのですが」

 「何でしょう」

 「このままだと、エリカと話せません。神聖語から我々の言葉を教えられませんか」

 「ふむ」


 メッシーナ神父は暫しエリカを眺めながら思案する。


 「神々の言葉しか知らぬ方に、人の言葉を教えるのですね。面白そうです」

 「お願いできますか」

 「どこまでできるか分かりませんがやってみましょう。私も高等神聖語に興味があります。神々の言葉ですからね。学べる機会は滅多とありません」

 「ありがとうございます」


 こうしてエリカに言葉を教える見通しがたった。



                  続く

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