第6話 部室の整理

 何層にも連なった埃たちが、コヂカが動くたびに舞って日光に焼かれた。コヂカとカヅキは放課後、生徒会の書記である須坂シグレと共に、おととし廃部になった美術部の部室を片付けていた。シグレはコヂカと同じ2年生だが、八方美人なコヂカとは対照的な性格で、我が強く、ハキハキとものを言うタイプの女の子だ。ふちのない眼鏡をかけて、お下げ髪の毛先は常に張りつめている。身長は低いが、堂々と振舞うその態度に、コヂカはシオン以上に苦手意識を抱いていた。そのためか、シグレとは生徒会活動以外で会話をすることすらほとんどない。


 コヂカはシグレを横目で見ながら、少し重くなった部室の扉を開けた。もう何か月も使っていなかった美術部の部室は煤の臭いに似た悪臭で満ちている。3人は立ち込めた悪臭に思わず鼻を覆った。




「うわ……とりあえず換気だね」


「そうですね」




 埃のかぶったカーテンに手をかけ、窓を開けてコヂカとカヅキは風と光を薄暗い部室へ引き入れる。一般的な教室の半分の広さで、両脇の壁に本棚が、真ん中には机が4個ある。




「美術部にしては狭いのね」




 シグレはキャンバスもイーゼルもない部室を見渡して独り言のように言った。かぼそいが太く、猫なで声のように淑やかに甘い響き。




「うちの美術部、部室で漫画を読んだりゲームしたりしてただけで、ほとんど活動してなかったみたい。それで怒った当時の生徒会が、会長権限で廃部にしたってユリカ先輩から聞いた」




 コヂカはまつげに着いたきらきらした埃を払いながらシグレにそう返した。ユリカ先輩とは現職の生徒会長で、コヂカの憧れの先輩でもある。




「へえー。昔の生徒会もなかなかやるのね」




 シグレはコヂカの話に素っ気なくそう返した。彼女もまた襟に着いた埃を払っている。




「でも思ったより備品が少なくて安心しました。これは片付けも早く終りそうですね」




カヅキは腰に手を当ててコヂカを見た。コヂカもカヅキを見つめ返し、小さく笑みを浮かべる。




「そうだね、頑張ろう」




 偉大な美術部の先輩方はこの部室で机を囲んで語り明かしたのだろう。青春の残骸に虚しく日の光が被さる。コヂカたち三人はまず本棚にある漫画や小説を処分し、次に絵筆や画用紙といった備品をゴミ袋に入れていった。卒業していった先輩たちの作品は全く見当たらず、そこからも堕落した美術部であることが伺えた。




「これなんだろ……」




 黙々と作業を続ける中で、コヂカは部室の真ん中にあった机の引き出しから一冊のスケッチブックを見つけた。落ち葉色に色落ちした表紙は随分とくたびれている印象を受ける。コヂカはスケッチブックを手にとって、中に書いてある黄ばんだページをめくった。




「なんですか、それ?」




 隣で作業をしていたカヅキも興味を示し、コヂカの手元をのぞき込む。




「ここの先輩の、作品みたいだけど」




コヂカは唯一まともな美術部員が残していったものかと思ったが、開いたスケッチブックには割れたカセットテープや虫の死骸、さらには事故を起こした車の姿まで、普通のスケッチでは描かれないようなものが描かれていた。色が塗られているページもあれば、鉛筆だけで描かれた灰色のページもある。コヂカは一枚一枚、絵を確かめながらページをめくっていく。




「結構うまいですけど、なんでこんなもの描いたんでしょうね」




 カヅキの声が聞こえたが、コヂカはページをめくり続けた。上手い、なんてものじゃない。写実的で、思わず目を背けたくなる絵まである。それでもコヂカはページをめくることをやめられなかった。それはこのスケッチたちがコヂカを魅了したからだ。どれも役目を終えたもの、命を燃やし尽くしたもの、死を迎えたものの姿がここには描かれている。錆やはげ落ちた色たちがコヂカの虹彩にこれでもかと飛び込んでくる。その瞬間訪れる心の平穏をコヂカは学校では誰にも見せたことがない恍惚とした表情で受け入れた。




「どれも気味悪いですね」


「……そんなことない」


「え?」




 カヅキの不意の問いかけにコヂカは思わず力強く否定をしてしまった。一瞬、空気が凍る。コヂカは慌てて訂正を入れた。




「あ、いや、なんでもない。そうだね、気味悪いね」




シグレが大きくため息を吐いた。早く仕事に戻れと言いたそうだ。カヅキは気まずそうに、処分する漫画を縛る作業に戻った。コヂカも急いでスケッチブックを閉じる。閉じたスケッチブックの裏表紙には『シロトリ レンコ』と記されていた。持ち主の名前だろうか。




「海野さん?」




 スケッチブックを閉じたまま固まるコヂカを見て、シグレは嫌味そうに声をかけた。カヅキも気にしてコヂカを見る。




「これ名前書いてあるし、どうしようかなと」


「どうせどこの誰だかわからないんだし、捨てなさいよ。忘れていった方が悪い」


「だけど、もし取りに来たら」


「来るわけないでしょ」




 しばしの沈黙の後、カヅキが口を挟む。




「名前が書いてあるなら個人情報ですから、そのまま捨てるのはまずいんじゃないでしょうか。ユリカ先輩も個人情報が書いてあるものは生徒会室に持ち帰るようにって言ってましたし」




 シグレはカヅキを見て




「そう。じゃあ持ち帰りましょ」




と言った。勝手にすれば? と言いたげの口調である。コヂカはスケッチブックを机の上に置いて、片付けに戻った。3人はそれぞれの理由で、部室が片付くまで言葉を発することはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る