第2話 怒られてみた

 冒険者ギルドでのクビ宣告騒動から三日が経った。

 あのあと、特に何かがあった訳ではない。何事もなく、平穏で穏やかな時が流れていた。

 リーリエはギルド併設のカフェで一人、紅茶を楽しんでいた。

 そして、それとなく周囲を窺うことも忘れない。

 将来有望そうな少年少女やパーティの輪から外れた位置にいる、恐らくは決まったパーティに所属していないであろう男女。

 それらを不躾にならないよう観察していると、ぽん、と肩を叩かれた。

 振り返ってみれば、まず視界に飛び込んで来たのは茶色の髪に青い瞳。そこそこ整った顔立ちに浮かべられた柔らかな笑顔。少々武骨にも見える聖騎士の鎧に身を包んだ姿は彼によく似あっていた。周囲の特に女性たちが色めき立った反応を見せる中、唯一リーリエだけが違った反応を見せた。顔を赤らめることもなく、緑の瞳は輝くこともなく据わったものになる。


「よ、久しぶり」

「マーク……」

「調子はどうだ、リーリエ」

「知ってるくせに」


 そう言って対面に座った彼から顔を背け、ふてくされて見せる。

 顔をそむけた拍子によく手入れされた黒髪がさらりと流れる。

 そんな彼女の様子にマークと呼ばれた青年は少し困ったように笑った。

 彼女の態度は先日の騒動のものとは違って年相応のものであり、可愛らしいと思う。緑の瞳に黒い髪、瞳は吸い込まれそうであり、まつげは長い。整った顔立ちに華奢であり、さりとて、バランスよく出るところは出ている。

 本人はそれほど意識はしていないが、10人中、9人は彼女を美少女のカテゴリーに入れる。こうしてカフェで紅茶を飲む姿は治癒師の装備と相まって、庇護欲をそそる。現に、彼女の気づかぬところで男連中がちらちらと視線を投げかけ、その向かいに座るマークへは殺気がビシビシと飛んできている。


 マークは声を大にして叫びたかった。


 この外見に騙されてはいけない。と。


 世には羊の皮を被った狼、という例えがある。


 油断させるために無害を装い、害を為す悪しき輩をそのように言う。


 対して彼女は、羊の皮を被ったゴリラである。


 相手の油断を誘う姿で己の持てる全てを使って男の夢と常識を握り潰していくのだ。

 その最たる犠牲者がかつてパーティを同じくしたマークである。

 パーティを同じくする女性にリーリエについて零したところ、「女に夢を見すぎるお前も悪い。もっと現実を見ろ」と返され途方に暮れたのはしょっぱい思い出である。


「いやぁ、しかし久々に見た。ブチ切れモードのリーリエ。」

「お前らのパーティを抜けて、最初に作ったパーティで死人なんて出てみろ。ほとんどの冒険者は敬遠するに決まってる」

「【燃える石炭カーバンクル】だっけ?相変わらずセンスねえな」

「うるさい。この名前を考えるだけでも一週間かかったんだぞ」

「一週間かけてソレかよ」

「カーバンクルは幸運を運ぶ獣の名でもある。験を担ぐ冒険者なら、興味を示すに違いない」

「そっちの意味を知ってるやつならな」


 冒険者になろうという人種は様々だが、多くの場合は食い扶持を求めてやってきた農村出身の人間が殆どだ。文字を読めるかどうかも怪しい人間がそんなどこかの辞典にしか載ってなさそうな獣の存在を知るはずもない。

「しかし、よくアレだけ人目の多い中であんな事やらかしたな」

「人目が多いからやらかしたんだ。内々であの話まとめてたらどうなってたと思う?」

「どうって、お前の拠点が血の海に---」


 その言葉を遮るようにリーリエの真顔がずずい、と彼の目の前に迫る。


「冗談なしで」

「本気だよ」


 彼もまた、負けじと真顔で言い返した。


「後で場所を移して話し合おうか。ギルドの訓練所の裏手なんかどうだろう?」

「まあ、それは置いておくとして」


 リーリエの目のヤバさから、マークは話題を強引に反らす事を試みた。血の海には沈みたくない。


「客観的な視点で言えば、表向きはお前があいつらを追放。裏を勘ぐればお前に愛想を尽かせて他所に移る。ないしはパーティを組む。つまりはお前がリーダーをやるパーティに問題があるって見る奴は多いだろうな」

「だからやったんだ。あいつらが他所に移るのは構わんが、一時とは言え、私のパーティに所属していたとなれば、顔馴染みに迷惑がかかる可能性がある」


 なるほど、とマークは納得した。人の多い時間帯、あれだけ派手に諍いを起こせば注目の的になる。噂はあっと言う間に広まった。実際現場を一部始終目の当たりにしたまともな冒険者なら、リーダーの指示に従わない人間はまず入れない。それどころか指揮系統に混乱を起こすような人間になど、地雷以外の何者でもない。


「それでもワンチャン狙ってあいつらをパーティに入れた場合は自己責任ってやつか」

「当然だ」


 リーリエは紅茶で喉を潤した。それを見ながらマークは表情を改める。その顔には先ほどの甘さはない。リーリエがティーカップをソーサーに戻すのを見計らってマークがリーリエに向かって訊ねた。


「ところでリーリエ。お前、?」

「何って?」

「あの小僧、テーブルにぶつけて気絶させたろ、そのあとだよ」

「普通の———」

普通ただのヒールじゃねぇだろ。ヒールに気付けの作用はない」


 マークははっきりと断言した。

 彼は神殿所属の聖騎士だ。本職に及ばないものの、回復魔法を使えるし、それがどういうものかは理解している。

回復ヒール】は傷を癒すものであって、気絶した人間の意識を回復させる効果はない。

 しかしこの目の前の少女はたった一動作ワンアクションでやってのけたのだ。


 じっと見つめ合う事数瞬。先に目を反らしたのはリーリエだった。


「……ヒールの中に【衝撃ショック】を少々」

「……いい加減俺もキレるぞ」

「キレる意味がわからない」


 悪戯がばれた子供のような表情でいてなお、その往生際の悪さにマークの拳に力が入る。


「いいか、リーリエ。魔法には指向性ってのがあってだなぁ、そんな料理の塩コショウ感覚で混ぜられるものでもないんだよ」

「……実際できたし」


 マジでなぐりてぇ……。


 マークは心の奥底から湧き上がる衝動を必死に抑えた。

 女に手を挙げるなどと、男として、神に仕える聖騎士として、最低の行為である。

 決して倍の威力で殴り返されるのが怖いわけではない。


 世の中には魔法構築理論というものがある。

 専門分野のエキスパートが組み立てた理論であり、細かな点で言えば、未だ議論の余地があるが、大きな点では議論の余地はないとされている。


 魔法にはそれぞれの属性に応じたエネルギーの素となるものが満ちている。

 四大元素、世界の根源たる光と闇、信仰によってもたらされる奇跡の御業。

 それら単体の扱いはそれほど難しいものでもないが、全く別の属性を同時に使いこなすとなると一気に難易度が上がる。魔法と神の御業など根本が違う。況してや混ぜるなどもっての他。


 しかし、その常識の範疇をあっさり超えて見せるのがリーリエという少女である。


「お前んトコにいた元僧侶。あいつ捕まえてしっかり口止めしとけ。多分まだこの辺うろついてるだろ」


 あの表情から察するに、リーリエと迷宮に潜った際、不可解な出来事に何度も遭遇したに違いない。単純に【回復ヒール】のみの援護に見せかけて色々何度もやらかしたのだろう。


 具体的には34回やらかしているに違いない。


 人の口に戸は立てられない。どこで誰にどんな話が流れるかもしれない。

 神殿にしろ、寺院、教会にしろ、信仰系はとかく利権が絡んで厄介だ。

 マークの言葉にリーリエがわずかに眉を寄せる。


「その言い方だと、あの僧侶が今は僧侶じゃないみたいな言い方だな」

「破門くらったってよ。迷宮都市所属の寺院ってのがマズかったろうな」

「何故?」


 心底不思議そうに尋ねるリーリエに今度はマークが眉を寄せた。


「何故ってお前、喧嘩売った相手がお前だもんよ。Sランクパーティ【疾風迅雷ストームサンダー】って言やあ話題沸騰中の押しも押されもせぬ実力派パーティだぞ。そこの元ヒーラーが初めて結成したパーティをあろうことか徒党を組んで乗っ取ろうとしたんだ、当然の結果だろ」


 確かにギルド内規則でパーティに不和が生じた場合の非常措置としてパーティリーダーの交代申請を行う事ができる。それは中立の立場のギルド職員の審査が通ればの話である。

 おまけに【燃える石炭カーバンクル】は元々リーリエが立ち上げたものである。最初は荷物持ちの少年との二人だったのが、後から入ってきた彼らが好き勝手始めたのがそもそもの原因だ。

「方や名実共に実力派の元パーティメンバーがリーダー、方や自分の力量を勘違いした駆け出しの小僧ども。話になんねぇ」


 マークは椅子の背もたれに身体を預けた。


「道理で、随分と息巻いていた割に何の音沙汰もなかった筈だ」


 がたん、と椅子とテーブルがぶつかるような音がした。

 勿論、目の前の聖騎士ではない。


 音のした方へ眼を向ければ、テーブルと椅子が見事にひっくりかえり、そこに座っていたであろう少年もひっくり返っていた。


 少年とリーリエの目がぱちり、と合う。


「あれ?そいつ、お前んとこの」


 マークが身を乗り出して少年の顔を確認する。3日前に見た時もそうだったが、顔色が尋常ではなく悪い。身体もがくがくと震えている。

 荷物持ち、という事だが、こんな調子で大丈夫だろうか、と他人事ながら心配になった。


 その少年の震える指がリーリエの首元を指し、唇が何事かを紡ごうと動く。なんとなく言わんとする事を察したリーリエはローブの下に僅かに見え隠れする独特な光沢を持つネームタグを取り出して見せた。


「これでいいか?」


 それを見た瞬間、少年は白目を剥き泡を吹いて倒れた。

















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