第4話

 


 帰途、二人と別れた佑輔は、空き地にバイクをめると、近くのスナックに美輪子を誘った。――


「名前ば知りたか」


 酔いが回った佑輔は美輪子の横に座ると、体を寄せた。


「……ミワコ」


「……ミワちゃんか。ミワちゃん、なんか、一緒に歌おうで」


 美輪子の耳元にささやいた。


「……何にする?」


 佑輔と目を合せた。


「なんばしようか」


「全然、その気ないでしょ?」


「あるさ。なんばしようか」


「ほら、やっぱり、歌う気ないじゃない」


「あるって」


「じゃ、何するの」


「何しよか」


「もう……」


「分った、分った。じゃ、おいが先に歌うけん、ミワちゃんもなんか歌って。したら、よかたい?」


「……ええ。分ったわ」


「……なんば歌うかな」


 佑輔はカラオケの本を右手で捲りながら、美輪子の肩に回した左手で、客の歌う歌のリズムをとっていた。



 佑輔の選曲したイントロを耳にした途端、美輪子の顔が曇った。初めて豪と会った時に、豪が歌っていた曲だった。佑輔はまだ若いのに、その歌を上手に歌いこなしていた。


 美輪子は豪のことを思い出してしまった。……豪、生きているの? 死んでしまったの? 電話一本で確認できるのに、電話をするのが怖かった。その電話で私の将来が確定してしまう。今の私には電話をする勇気はない。そんなことを考えながら美輪子は顔を曇らせた。


「……どぎゃんしたと?」


 歌い終えた佑輔が心配そうに尋ねた。


「……ごめんね。帰ろ」


 


 店の前の誘蛾灯ゆうがとうにふと、顔を上げると、無数の蛾が群がっていた。その瞬間、不意に、佑輔に唇を奪われた。あっと言う間だった。佑輔のキスは松脂まつやにとアルコールが混ざったような味がした。……それは、豪の味と似ていた。同じ銘柄の煙草を吸っているせいだろうか、と美輪子は思った。


「……あんたが好きだ」


 美輪子の耳元に囁いた。


「酔ってるの? ……私が訳ありなのは分かるでしょ? だから、これ以上、深入りしないで」


「イヤだっ」


 佑輔は美輪子を力一杯抱きしめた。




 クーラーの効いたホテルのベッドに佑輔は汗ばんだ肉体を投げ出していた。気だるさにどっぷり浸かった体を横臥おうがした美輪子は、そんな佑輔のあどけない寝顔を見つめていた。――




 佑輔は久し振りに登校した。堂々と遅刻をすると、教室のドアをガラッ! と開けて、大きな音を立てた。


「生徒諸君、おはよう! 気張って、学問ばしとるや?」


 佑輔が席に着くと、両隣りのヒロシとミノルが「ヨッ!」と歓迎の挨拶をした。教壇に立っている担任の増田が煙たい顔をしていた。


「……ウッホン。中川、次を読んで」


 佑輔を無視して咳払いをすると、増田は授業を続けた。佑輔の前の席の中川という女子が起立すると、佑輔がその子のスカートを捲った。


「キャッ!」


 中川が悲鳴を上げた。


「ハッハッハッ……」


 佑輔が大声で笑うとヒロシとミノルも笑った。


「……田宮、やめんか」


 増田が小さな声で注意した。


「センコー! 今、なんか言ったや?」


 佑輔が啖呵たんかを切った。


「……いや」


 増田は眼鏡のフレームに指を置くと、俯いた。そんな佑輔を睨み付ける女子が居た。高島南美たかしまみなみだった。



 南美は下校の佑輔を待ち伏せした。やがて、ヒロシとミノルを伴った佑輔が笑い声を立てながらやって来た。


「……田宮くん」


 南美が声をかけた。三人は振り向くと、


「したら、先に行っとるけん」


 ヒロシがミノルと歩きながら佑輔に言った。


「……ああ」


 佑輔は仕方なさそうに返事をすると、髪に手櫛を入れた。


「……最近、会ってくれんとね」


 南美は肩まで伸ばした髪を耳にかけた。


「……忙しかったけんさ」


 佑輔が嘯いた。


「今日、会ってくれんね」


「……」


「後で〈海の家〉で待っとるけん。ね? 着替えたらすぐ行くけん。したらね」


 南美は佑輔の返事も聞かず駆け出した。


「……」


 佑輔は南美と付き合っていた。だが、美輪子と出会ってからは、一度もデートをしていなかった。佑輔はため息を吐くと、重い足を引きずった。




 廃墟の〈海の家〉に行くと、イエローのタンクトップに白いホットパンツの南美が手を振っていた。


「コーヒーばうてきた。はい」


 佑輔に缶コーヒーを手渡すと、茣蓙ござに腰を下ろした。南美のその行為が佑輔は不愉快だった。


 ……その茣蓙は、ミワコを人工呼吸した時に使ったもんたい。気安く座るな! と、腹の中で怒鳴った。仕方なく、佑輔も腰を下ろした。


「今度の休み、映画ば観たか」


 佑輔に寄り添った。


「……」


 佑輔は缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。


「ボウリングもよかね」


「……」


「……なんね、黙りこくってからに」


 佑輔の顔を見た。佑輔は缶コーヒーを一気に飲み干すと、


「悪か。用事のあるけん」


 と、急いで腰を上げて歩き出した。


「佑輔っ!」


 佑輔は南美の呼びかけに振り向かなかった。南美は悔しそうに唇を噛んだ。




 佑輔がノックしたドアを開けた美輪子は微笑んでいた。佑輔は無言で美輪子を抱擁ほうようした。



 翌朝、佑輔が客室を出てすぐ、ノックがあった。忘れ物でもしたのかと、美輪子はドアを開けた。違っていた。そこに居たのは、恐い顔をして睨み付けるセーラー服の少女だった。


「……どなた?」


「……佑輔を私から奪わんで!」


 南美は辛そうな顔でそう叫ぶと走り去った。


「……」


 美輪子は潮時だと思った。このまま佑輔と関係を続けたら、皆を不幸にする。



 チェックアウトすると、埠頭に向かった。が、海は時化しけ、台風の影響で欠航になっていた。仕方なく、埠頭近くの民宿に一泊することにした。


 雨は一段と激しさを増し、午後には風を伴った。やがて、暗雲に雷鳴が轟き、更にその激しさを増していた。美輪子は心細さの中で佑輔のことを想っていた。




 校門を出た佑輔は傘も差さず、走り出した。


「佑輔!」


 その声に振り返ると、佑輔を睨み付けるずぶ濡れの南美が居た。


「……あげなオバサンといやらしか!」


 美輪子のことを言っていた。


「……悪か」


 そうぽつりと言って、佑輔は駆け出した。頬伝う南美の涙は雨に流されていた。

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