3ダル目……の正直

 タッタッタッタッタッタッタッタッ。



 軽快な足音が夜の庭へと静かに響く。

 先の二戦と比べると静かに庭を疾駆していく足音。

 庭に異変はなく、至って順調だ。

 しかし、男、加賀見としては油断できない。どこから伏兵が飛んでくるかわからないことは十分承知している。

 相手は妖怪、自分の常識が通じる相手ではないのだ。


 一歩、一歩。

 1メートル、1メートル。

 門に近づくにつれ期待と共に緊張が高まっていく。全力疾走と気持ちの昂ぶりから息が荒くなりそうなところを必死でこらえる。


 走るごとに汗がしたたり、徐々に周囲がスローモーに見えてくる。

 もはや気分はゾーンに突入したマラソンの選手、バックBGMには炎のランナーのテーマ曲が聞こえてきそうだ。


 門まで残り10メートル。

 周囲の静けさは変わらず、阻む相手はない。


 栄光へと向かって、加賀見は木製の門へと手を伸ばしていく――。



 と、スポーツの一コマのようなシーンを描いたところで、今回の経緯について説明するとしよう。



 ◇



 大雨の脱出劇から翌日。

 無事、充木に救出された加賀見は、不機嫌な表情を浮かべていた。

 大事だいじに至らなかったと見るべきか、大事おおごとにならなかったと見るべきかは、当事者加賀見第三者充木で意見が分かれそうだが。


「まさか、あれだけの雷撃を受けて生きていられるとはな。間違いなく座敷童子の加護の賜物だろうよ」


 と、充木は語るが、そもそも雷を受ける羽目になったのはその座敷童子の所業である。喜ぼうという気には加賀見はなれない。

 ちなみに、件の座敷童子は 大丈夫? と言わんばかりに、距離を置いて加賀見のことを心配そうに襖の影から伺っていた。


「なんだか今日はやけにしおらしいな。普段もっとべったりくっついているというのに」

「昨日叱ったからな。寄られるのは迷惑だ、と」


 イライラしつつ、加賀見が話す。


「だからか。慕っているのだからそこまで無下にしなくていいと思うのだが」

「慕っている? 家から出れないようにされて、出ようとすれば周囲に悪影響を及ぼすこの状況のどこが慕っているというんだ」

「加賀見……」

「姪っ子の方は大丈夫か? 激しく泣いていたが」

「まあ、熱は出てしまったな。子どものうちはよくあることだ」


 たいしたことじゃないと苦笑しながら充木は言うが、加賀見が険を帯びた目で襖を見ると、びくり、と座敷童子が怯えて完全に隠れてしまった。


「もう少し優しくしてやったらどうだ。今不自由とはいえ、福をもたらしてくれたのは事実だろう? 冷たくしていると反対に逃げられるぞ」

「別に俺はこいつに依存しているわけでもないし、居なくなってくれた方がありがたい」

「おい」


 言い過ぎな言葉に充木が制止をかけるが、加賀見の口は止まらない。


「そもそも、居るうちは富をもたらして、去ったら家が傾くというその特性がおかしい」


 風もないのに、ことん、と居間にかざってあったこけしが倒れる。


「別にこれ以上裕福になることは望んでないのに勝手に繁栄させて」


 かたん、と木製の戸板が軽く揺れる。


「挙句、裕福になりきったら衰退させる? 裕福な環境に慣れて堕落させた後で絶望させるって、ほとんど悪魔と変わらないじゃないか」


 ガタン! と軽く地震が起きたかのように家全体が振動した。


「加賀見!」


 悲鳴をあげる家は、座敷童子の傷ついた心情そのものだ。見かねて充木が止めに入るが、加賀見の憮然とした表情は変わらない。


「俺が話していることはそんなに間違っているか? 特性としてそうなら、お互い傷つく結果になる前に離れた方がいいと言ってるだけだ」

「そうかもしれないが……」

「人の心は変わりやすいんだ。俺だって、今は金銭にそんなに執着がなくても、環境が変わればどうなるかはわからないのだから」


 加賀見の話を聞きつつ、充木は理解する。

 この男は現実的でまっすぐすぎる、それゆえに不器用なのだ。

 もう少し執着したり、欲があればこの状況でも楽であっただろうに。

 やれやれと充木はため息をついた。


「お前の想いはわかった。知り合いにどうにかできないか当たってみるとしよう」

「よろしく頼む」


 静かに加賀見が頭を下げた。

 ふと、襖の方を見ると、気配はあるものの、小柄な影は見えなくなっていた。



 ◇



 その日の晩、加賀見は夜中にふと目が覚め、便所へと向かう。

 もともと母屋の外に建っていたのだが、雨のときに不便だったため建物の一部になるように改装したと、不動産屋から聞いていた。ただ、屋外であったときの名残で地面はコンクリートとなっている。

 寝ぼけた頭で、加賀見は普段と変わらずサンダルをはいた。


 ……。


「ん?」


 ふと気づいて足元に目を向ける。履いているのは、昔ながらの茶色のゴム製のサンダルだ。

 加賀見はその時、天啓を得た。


(これ履いて外出れば逃げられるんじゃね?)


 婦人用サンダルや子ども用サンダルとは違い、足に見事にフィットしていた。前の二足よりも明らかに音を立てずに走ることができる。


(うおおおおおおお、俺、天才か!?)


 いや、むしろなぜ今まで気づかなかった。


 女神主がこの場にいたら即座にツッコミを入れていたであろう。

 こうしてはいられないと加賀見は便所サンダルをかかえ、音を立てないよう玄関へと向かう。

 抜き足、差し足、音を立てないように。

 息すらひそめ、一歩一歩確実に明かりのない廊下を進み――


「お前さんも、いいかげんにしたらどうだい?」


 突然聞こえてきた老人の声に、驚きで出かかった声を、寸前でこらえた。

 ふと振り返れば、僅かに開いた襖から光が廊下に差し込んでいる。


「恩義を返したいという気持ちはわかるが、押し付けちゃなんねえだろうよ」


 声が漏れ聞こえる隙間を覗き込むと、縁側に腰掛ける座敷童子と、赤いお面に浴衣を着て煙管キセルを吹かすいなせな老人の姿が見えた。

 単なる老人のように見えるが、居間の明かりに照らされた影は、人型に加えて翼という、明らかに余分なものがついている。座敷童子に話しかけている以上、只人ただびとでないことは、確かだ。

 ふっと夏の夜気に煙を吹くと、老人は煙管で床の間の掛け軸の代わりにかけられた絵を示す。

 座敷童子が毬で遊んでいる様子を加賀見が描いたものだ。


「生き生きとしたいい絵じゃないか。ちゃあんと魂がこもっている。あの男が去り、住処にしていた人形が朽ちてしまった後も、お前さんはこの絵に本体を移して生きれるだろうさ」


 やさしく老人が話すと、座敷童子が訴えかけるように、きゅっと老人の袖をつかむ。


「なに、先に朽ちそうになっていたところを、この着物を着せて直してくれたとな? ははっ、知らなかったとはいえ、二重に命を救われてしまったわけか」


(そういえば、アイツの姿がはっきりと見えるようになったのって、人形直して着物を着せてからだったか?)


 人形を直した翌日、いかにも楽しそうに遊んでいたところを見かけて、思わず筆を走らせてしまった。


(見せたら嬉しそうに笑うもんだから頭を撫でたんだっけ)


 手のひらを見れば、撫でたときの柔らかい感触が思い起こされる。その時はまさか、妖の類とは思わなかったが。

 座敷童子は必死な表情でくんくんと、老人の袖を引っ張るが、お面に隠れていない口元は困ったように微笑むだけだ。


「まだまだ返し足りないから引き留めてくれ、と? まあ、からすたちに呼びかければできるだろうが……」


 ただ、と老人は続ける。


「恩を返した後でお前さんはどうするんだい? ずっと一緒に居るつもりかい?」


 穏やかな問いかけに必死で引っ張っていた袖を放し、座敷童子が俯く。

 そう、その通りだ。


「お前さんが福をもたらしたとしても、それは離れれば簡単に失われる仮初かりそめのものだ。離れて失われるのが避けられないなら、あの男の言う通り失うものが少ない前に別れるというのも、手だろうよ」


 諭す老人の声を聴き、そっと加賀見は覗いていた襖から離れると玄関へ向けて歩き出す。

 きっと、座敷童子は福が逃れまいと加賀見にこだわり続けるだろう。代わりに、座敷童子には自由がなくなる。

 おまけに、莫大な富を得たら、加賀見自身もどう自分が変わるかはわからない。昔話に出るような強欲な人物に成り果てる可能性は、ある。


(いや、お金とか富とか、福がどうこうだけじゃない)


 加賀見と座敷童子のお互いの胸のなかには思い出が残っている。まだ思い返してもどこも心が痛くならない、ラムネの中できらめくビー玉のような、眺めて微笑むことができる宝物思い出が。

 それを汚さないためにも、今、離れることが大切なのだ。

 玄関に着き、加賀見は抱えていた茶色い相棒を置くと、スプリンターのように真っ直ぐ前のみを見据える。目指すはこの引き戸の先の門。


(俺はこの便所サンダルと共に、絶対に脱出してみせる!)



 ………………………。


 男の意気込みや良し。

 ただ、今ひとつ締まらないのが、この男の残念なところでもあった。



 ◇



 タンッ。



 軽快な足音とともに、抜けた、という感触が加賀見の身体を走る。

 同時に足元がもつれて地面に転がってしまった。


「痛ったたた……」


 擦った足を抑えながら振り向くと、木製の門の向こうでは明かりの消えた古民家が見えた。

 座敷童子と老人が話していたはずの縁側には誰もいない。

 家にいた時に感じていた不思議な気配も消え、カナカナ、とヒグラシゼミの鳴く声だけが辺りに響いていた。


「本当に出たんだな」


 先ほどまで焦っていた気持ちが嘘のように消えており、今は寂寥だけが胸に残る。

 家の外に出れなかった数か月は長かったように見えて、常に寂しくないよう温かみがあったように思う。

それは、間違いなく泣き虫な妖怪のおかげであった。

 加賀見は黒い門、その向こうにたたずむ古民家に対して向き直ると、無言で静かに一礼した。




 気持ちに区切りがついたところで顔をあげスマホを取り出し、加賀見はあるところへと電話をかける。なかなか応答しないが、根気強く待っていると、ぷつりとつながった。


「もしもし、すまないが車を出してほしいんだが……」

「……加賀見、私は君の彼氏かアッシーか何かか?」


 時刻は深夜の2時。

 叩き起こされた充木が不機嫌に返した。

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