第8話 DNA鑑定

 美月のスマートフォンに男の影がないことに安心した臣吾は、少し落ち着きを取り戻していた。

 もしかすると、例の性病も行きずりの男にもらっただけなのかもしれないと考え始めていた。もちろんそれにしても裏切りには違いないのだが、そう考えると幾分心は楽になった。

 一度の過ちくらいは許してやろう、と寛大な心も臣吾の中に芽生え始めていた。

 あるいは、もしかするとそれは、無理やりに犯された結果だと考えることもできた。

 それならば、臣吾に言いにくいことや性病を持っているような男とセックスをしているらしいことも説明がつく。

 そう考えると、美月がかわいそうにも思えてくるくらいだ。

 と言ってもDNA鑑定の結果はやはり気になるところだった。それがシロであれば、もう美月の不倫について追及するのはやめよう、臣吾はそう考えていた。

 今週届くはずのその郵便物を美月よりも先に受け取るために、臣吾はここのところ毎日寄り道もせずまっすぐに帰宅していた。

 ひなの迎えが必要な時も、いったん帰宅し、それが届いていないことを確認してから保育園に向かうようにしていた。

 その封筒がポストに投函されているのを臣吾が見つけたのは、そうし始めて四日目だった。

 朝から雨がひどかったせいで、郵便物は湿って柔らかくなっていた。

 それと分かる郵便物を手にした時の臣吾の緊張は、まるで合格発表の時のようだった。

 寝ているひなの頬粘膜から唾液を採取したときのことを臣吾は思い出していた。まるい頬は眠さから赤く染まっていた。

 トン、トン、と定期的なリズムで背中をたたいてやると、ひなはすぐにうとうととし始め、目を閉じた。目を閉じてすぐに夢の中で何か運動でもしているのかびくんと体を動かすひなに注意しながら、臣吾はひなの口を開け、綿棒を差し込んだのだった。

 時間にすると五秒もかからなかったくらいだろうか。

 無理やり口を開けようと手をかけると、ひなは「うう…」と小さくうなったが、隙間から綿棒を差し込みすぐに引き抜いたおかげで、起きることはなかった。

 お気に入りのアニマル柄のタオルケットを腹のあたりまでかけ、両手両足を投げ出して自由な寝相を取るひなを臣吾は自分でも驚くほど冷たい気持ちで見つめていたのだった。

 その時の気持ちを思い出そうとするが、いざその封筒を目の前にした臣吾は、もはやそのような余裕は一切なかった。

 早く開封し、ひなの保育園の迎えに行かなければならなかった。

 早く、早く。

 焦る気持ちと裏腹に、指は震えてなかなか封筒を開けることができなかった臣吾は、玄関に置いてあったはさみを手に取ろうとするが、はさみさえ手に取れないほど自分が動揺していることにそこで初めて気が付いた。

 はっ、はっ、と息が荒くなる。

 何とかはさみを手に持ち、封筒の上部分を刃に挟む。

 頼む、と何に縋るでもなく漠然と何かに祈ってしまう。

 お願いします、ひなが俺の子だったら、これから先何が起きても構いません、と臣吾は何度も考えながら最近の日々を過ごしていた。

 もし今日ひいきの球団が勝てばきっとひなは自分の子供であるはずだ、とか、今日信号に引っかからなかったから俺はこれからうまくいくはずだ、なんて根拠のないことも考えていた。

 封筒をようやく開く。

 目を閉じたくなる気持ちと、早く中身が見たいという気持ちが綺麗に交錯する。

 震える手で開いた紙には、無情な結果が記されていた。

 『99.99% 親子関係を否定する。』

 無機質なその文字を見た瞬間に、臣吾は膝から崩れ落ちてしまったのだった。

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