第5話 托卵疑惑

 医師からはっきりとクラミジアであると診断された臣吾は、そのまま大学時代の友人の元へと車を走らせていた。

 心は落ち着かず、いまだに足元が不安定であるような錯覚を覚えたが、運転をしている間は、慣れた作業をする分少しだけ気分が和らいでいた。

 立石直樹は、大学時代のサークル仲間で、美月のことも臣吾のことも知っている人物だった。さらには、彼は法学部で、これから先のことを考える上では最も頼りになる人物であると臣吾は考えていた。

 直樹の指定した中華料理店は、隣町の、さびれた商店街の中にあった。

 土曜の昼だというのに商店街には人はまばらにしかおらず、さらにはその中華料理店は路地裏にあったために臣吾はその場所を見つけるまでに少し時間がかかった。

 苔の生えたような路地裏に狭い入口のある中華料理店の立て付けの悪い引き戸を開けると、テーブル席に座っているひょろひょろとした男が右手をあげた。

 「よう。久しぶりだな。」

 無精髭を生やしたその男は親しげに言った。知った顔を見て、今日一日こわばっていた顔が少しほころんでいくのを感じる。

 「久しぶり。急に呼び立ててごめん。」

 臣吾は謝ってから直樹の前に腰を下ろす。

 「いや、久しぶりに会えてうれしいよ。その顔は、訳ありって感じだけどな。」

 直樹はにやりと笑った。勘の鋭いこの男らしい指摘だった。

 「さすがだな。」

 臣吾は肩をすくめる。カウンターの奥のおばさん店員に、直樹が

 「生と、餃子。」

 と注文する。臣吾は慌てて、

 「俺は今日車だからウーロン茶で。」

 と訂正を入れた。

 「なんだ車なのか。じゃあ、炒飯おすすめだぜ。絶品なんだ。」

 直樹は残念そうに言い、臣吾の返事を待たずに炒飯も追加で、とカウンターに向かって言った。

 餃子と炒飯が運ばれてくるまでの間、臣吾と直樹は現状報告をしあった。直樹は現在フリーのライターとしての仕事をしている、と言った。司法試験は数年前にあきらめたのだ、と。

 臣吾は相変わらずお役所で楽しくもない仕事してるよ、と言って笑った。

 すぐに炒飯が運ばれて来て、臣吾はそのパラパラとした炒飯を口に入れた。

 「確かにうまい。」

 臣吾の率直な感想を、直樹は満足げに聞いた。

 そして、餃子を頬張りながら、

 「で、本題は何なんだ?」

 と低い声で言った。

 臣吾は一瞬逡巡したのち、できるだけ動揺を顔に出さないようにしながら直樹に話した。

 今日、病院で言われたこと、おそらく妻が不倫しているであろうことを簡潔にまとめて話した。

 直樹は話を聞いているあいだ、眉間にしわを寄せてうつむいていたが、臣吾が話し終わると顔をあげて、口を開いた。

 「あのな、お前に話してなかったが、ずっと気になっていたことがある。その話を聞いて、少し信憑性が増したと思うから、嫌な気持ちになるかもしれないが、可能性の一つとして聞いてほしい。」

 直樹は言葉を選びながらこう言った。

 中華料理店の油っこいにおいが鼻腔をつく。

 「ひなちゃん。お前の娘。あの子、本当にお前の娘か?」

 直樹の口から出たその台詞は、臣吾が考えもつかなかった内容だった。

 「ひなが?どういうことだよ。」

 声に含まれる苛立ちを臣吾は隠すことができなかった。

 五年間、愛を注いで育ててきた我が子を侮辱されたかのような気持ちがしたのだ。

 「いや、ただの推測だ。落ちこぼれの戯言だと思ってくれていい。ただ、これは俺の勘なんだが、お前の家に邪魔したことがあっただろう。ひなちゃんが一歳かそこらの時だ。」

 臣吾は直樹の言葉に頷いた。

 そのときのことは、しっかりと覚えていた。確かあの時は、みんなで臣吾の家から見える花火を見たのだった。

 「あの時に、ひなちゃんはお父さん似じゃなくてお母さん似でよかったなあ、って俺が言ったの覚えてるか。」

 直樹の言葉に、今度は首を横に振った。記憶にはない。

 しかし、ひなが美月似であるのは事実だった。成長していくごとに、どんどん美月に似ていくひなを、臣吾は微笑ましく見守っていた。

 「そうか。あの時の美月ちゃん、ほんとね、とか言って笑ってたんだけど。その目が、ちょっとだけ不自然だった。なんか、うまく言えないけど。托卵、って知ってるか。」

 その単語を耳にして、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。

 他の男の子供をそうとも知らず、臣吾が育てているのではないか、とこの男は言っているのだった。

 直樹の『勘』はよく当たった。

 競馬やパチンコを得意としているあたりは全く尊敬していなかったが、試験範囲のヤマを当てまくる直樹には臣吾も何度かお世話になっていた。サークル内の男女関係の変化も、直樹はいち早く把握していた。

 聞くまでもなく、わかるんだ、と彼は言っていた。

「托卵されている可能性もあると俺は思ってる。」

 大真面目な顔で言う直樹に、臣吾は何も言い返すことはできなかった。

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