第2話 診察室

 臣吾がその尿道の痛みに気が付いたのは、二日前のことだった。

 場所が場所だけに自然治癒を願いながらやせ我慢をしていたのだが、排尿をする際の強い痛みと尿道からの分泌物がパンツに付着する不快感から、今日やっと午前休を申請し、近所の泌尿器科クリニックに来院したのだった。

 ウェブサイトを確認し、八時半から受付が開始だというので臣吾は八時半にはクリニックに到着していたのだが、その時点で十人以上の老人が入り口で列をなしていた。

 おかげで臣吾は受付番号14、という札を手にして待合室で座り、押し黙って診察の順番を待っているのだった。

 周囲の老人たちもまた一様におとなしく診察の順番を待っていた。

 近所の眼科に土曜日の午前中などに行くと、デイサービスか何かなのかと思うほど老人たち同士が楽しそうに会話をしているものだが、やはり科が違うとこんなにも患者の態度も違うものなのか、などと臣吾は思いながらスマートフォンを開いた。

 『今日は病院に行ってから仕事に行くよ。』

 臣吾がそう送ったメッセージに、妻である美月からの返事は来ていなかった。

 今日は仕事が朝早いから、と臣吾が起きたてにすぐ家を出てしまった妻に言いそびれたために送ったメッセージだったが、美月は気付いていないようだった。

 小学校の教師をする美月は、朝の挨拶運動や授業の準備で時折朝早く家を出ることがあった。

 そういった時には、市役所に勤める、毎日同じ時間に出勤する臣吾が娘のひなを保育園まで連れて行く。今日の朝もそうだった。

 バタバタとひなの準備をしているうちに、美月に病院へ行くことを言い忘れていたのだった。

 「原田臣吾さん、診察室へどうぞー。」

 看護師から名前を呼ばれ、臣吾はスマートフォンを鞄に急いで仕舞って診察室へ向かった。


 先ほど臣吾が書いた問診票を見つめながら、医師は確認するようにいくつか質問を投げかけてくる。

 「痛みや分泌物に気が付いたのは、二日前なんですね。それ以外に症状はありませんか?」

 「いえ。ありません。」

 臣吾の返答をその年配の医師は紙に一つ一つ書き留めていく。

 「性交を最後にされたのは二週間前…。失礼ですが、ご結婚はされていますか?」

 医師の質問に、臣吾は左手の薬指につけた結婚指輪をちらりと見つめてから答えた。

 「はい。」

 「重ね重ね失礼なことをお聞きしますが…、配偶者以外の方との性交などもありませんか。」

 医師は少し言いにくそうに臣吾に聞く。配慮からか先ほどまで横に控えていた看護師はいつの間にかいなくなっていた。

 「ないです。結婚してから十年になりますが、風俗に行ったことさえ一度もありません。」

 はっきりと臣吾は答えた。

 「分かりました。検尿、おしっこを採らせていただいて、それから検査の結果からまた診察をします。朝一番の尿を取っていただくことになるので、明日にでも持ってきていただくことは可能ですか?」

 明日は土曜日で休日であることを腕時計でいま一度確認し、臣吾は「はい。」と頷いた。

 「では明日の朝一番で予約を取っておいても大丈夫ですか?」

 目の前のデスクトップパソコンを操作しながら医師は言った。

 「はい、大丈夫です。あの…。」

 臣吾の疑問を感じ取った医師は、ああ、と言って引き出しの中からいくつかのパンフレットのようなものを出し、机の上に置いた。

 「検査をしてみないとはっきりは分かりませんが、原田さんの場合、性感染症――STDである可能性があります。」

 医師の質問内容や問診票の質問からいくらか予想していたものの、臣吾はかなりの衝撃を受け、地震のように足元がぐらつくような感覚を覚えた。

 「そして、原田さんが感染しているということは、奥さんから原因菌をもらった可能性があります。奥さんにも検査を受けていただくことが必要です。」

 医師の言葉は、臣吾の耳にどこか他人事のように響いた。

 医師ははっきりと言わないが、臣吾に感染症をうつしたのはおそらく妻で、妻は誰からもらったのか…誰にもらったにしろ、浮気をしているということはほぼ間違いないであろうことが予想されるのだ。

 STDについて知ろう!とポップな字で書かれたパンフレットを、臣吾は絶望的な気持ちで見つめた。

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