第14話 主将たる所以


 その日から、あの悪意のない笑顔に追い回される日常が続いた。


「おっはよー、アオイちゃん。今日も表情くらいねぇ。大丈夫? 元気してる〜?」


 どうやらヒナタ先輩とは家が近いらしく、朝の登校中から部活終わりの下校の道まで、私を見つける度に満面の笑みを浮かべて飛びついてきた。


「やめてくださいヒナタ先輩! 朝からひっつかないでください」

「あはは、そんなに照れなくてもいいのに」

「照れてませんっ!!」


 そうやって朝から夕方までしつこく付きまとわれているうちに、少しずつヒナタ先輩のことがわかってきていた。


「ヒナタ先輩!おはようございますっ!」

「おはよー、ナホちゃん。あ、それが昨日言ってたヘアピン? 可愛いね〜、似合ってるよ」

「あ、そうです! っへへ、気づいてくれて嬉しいです」


 ヒナタ先輩は今まで一度も話したことない子にでも気兼ねなく声をかけるせいで、クラス・学年に関わらず仲の良い女子生徒がやたら多かった。毎日、あの人が学校に着くまでに何人もの生徒が入れ代わり立ち代わり親しげに言葉を交わしていく。


 その親しみやすい性格に加えて、同性として憧れを抱いてしまうほどの抜群のスタイルと整った容姿。オマケに野球部でも1年の夏からエースを任されていたらしい。


 そんな何から何にまで恵まれた稟性ひんせいのせいで、ヒナタ先輩はいつだって学校中の女子生徒の憧れの的だった。

 実際、ひとつ学年が下の私のクラスにもやたらとヒナタ先輩の情報を聞きにくる“ファン”のような子も少なくなかった。


 まあ……そのおかげで人見知りの私に友達ができたりもしたけど。


 けれど私は、初めて会ったあの時から変わらずヒナタ先輩のことが苦手だった。

 あの人は何度イヤだと言っても会う度に私の前髪を触るし、避けようとしても必ず見つけて声をかけてくる。そのくせ、あの艶やかな瞳に見つめられると全てを見透かされているような心地がして上手く言葉を返せなかった。



 それと、もうひとつ。

 ヒナタ先輩は、あの人は部活中も勝手気侭な人だった。


 練習に参加はしているものの、いつも1人チームから離れ外野の後ろのほうでストレッチやランニングをしているだけで、ブルペンなどの投手練習はまるでしていなかった。






「あの人、また……」


 この日もひとり外野で身体を伸ばすヒナタ先輩を、傍目から眺めていた時のことだった。


「そんなに気になるか? ヒナのこと」

「へ? わうっ! な、凪紗先輩!?」


 そう私に声をかけてきたのは3年生の東川とうかわ凪紗なぎさ先輩。

 私たち野球部のキャプテンも務め、穏やかな性格で誰からも慕われている人だった。

 ヒナタ先輩とは、野球を始めた頃からずっと同じチームでプレーしている仲らしい。


「いや、気になるっていうか、その……あの人が、エースが練習中ずっとあんな感じで大丈夫なのかなって」


 入部したばかりの新入生が口にすべきことではなかったかもしれない。そんな今更手遅れな後悔をしている私に、凪紗先輩は優しげな表情を向けてくれた。


「そっか、ごめん。新入生にはまだ言ってなかったよね。あれは私が許してるんだ」

「へ? 凪紗先輩が?」


 その思いもよらない言葉に、思わず彼女の顔を不躾に見つめ返してしまった。


「うん。まあ、特別扱いしてる訳じゃないんだけどさ。アイツは元々、そんなに身体が強くないんだよ」

「え……」

「あ、いやいや、病気になりやすいとかじゃないんだけどさ」


 咄嗟に笑って誤魔化していたが、その笑みはどこか悲しげだった。


「ヒナは、野球始めた時から打つのも投げるのも、いつだって誰よりも上手かった。体格にも恵まれてたから、ずっとチームの中心選手だった。みんながヒナに期待して、頼りきってた。けど、そのせいでマウンドで無茶して怪我することも多くって。そのせいで出場できない試合もままあった」


 凪紗先輩の瞳に、遠く離れた彼女の背中が映る。


「特に去年、右肘に痛みが出るようになってからは私もヒナが無理しないよう色々と注意してるんだ。きっとまだ、センスや才能に身体がついていってないんだろうな」


 その瞳にどれだけの想いが秘められていたのだろう。彼女と知り合って間もなかった私には、それを知る由もなかった。


「そんな事情があったんですね……よく知りもせず余計な口出ししてすみませんでした」

「いや。私のほうこそ、説明もせずに勝手なことさせてて悪かったね。他の1年生にも後で同じように説明しておくから」


 誰が相手でも決して蔑ろにすることのない誠実な人柄と奢り飾りのない言葉。この時私は、凪紗先輩が誰からも尊敬され信頼される理由をはっきり思い知らされた気がした。


「あ……でもあの人今、他の部の子たちとお喋りしてますけど」

「……うん。あれは普通に良くないな。後で注意しておこう」


 とはいえ、私のヒナタ先輩あの人への印象は相変わらずだった。

 恵まれた資質や才能を誰彼構わず振りかざす、食えない人。信頼もおけなければ、敬慕の念なんて抱けるはずもなかった。


 そんな私の心情を見透かしてか、凪紗先輩はからりと声色を変えた。


「そういえば、津代さんはキャッチャーもやってたって言ってたよね?」

「え? はい。ちょっとだけですけど……」

「それはよかった。ウチのチーム、去年の3年生が引退してからキャッチャーがいなかったんだ」

「そうだったんですか」

「そう。だから今度の練習試合、津代さんにはキャッチャーとして出てもらいたいんだけど」

「はい。え……?」


 試合があることすら聞いていなかった私は、思わず一瞬、思考がフリーズした。


「え、練習試合?あるんですか?」

「うん。次の週末にね。本当は今日の練習終わった後に伝えようと思ってたんだけど、まあ隠すことでもないしな」

「試合って、私が? キャッチャーでですか?」

「そう。今、他にキャッチャーできる子もいないからさ。津代さんにお願いしたいんだ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私も人がいなかったから練習させらされてただけで、試合でキャッチャーなんてやったことないです」

「なら、ちょうどいい機会じゃないか。あくまでも練習試合だから、できることできないことを確認するだけだよ。チームとしても、津代さんとしてもさ」

「で、でも……」


 延々とうろたえ続ける私に対しても、凪紗先輩は穏やかな表情を崩すことはなかった。


「こんな無茶を言ってるんだ。たとえミスしたとしても誰も津代さんに失望したりしないよ」

「……っ」

「それに、津代さんには一度見てもらいたいんだ。一番近くで、ヒナの投球ピッチングをさ」


 主将である彼女にこうも素直に頼まれては、新入生の私はそれ以上断る理由を持っていなかった。


「…………わかりました。自信はないですけど、頑張ってみます」

「ありがとう、よろしくな」


 こんな些細な出来事、ほんの気まぐれのような想いで、私はあの人の捕手パートナーとしての1歩目を踏み出した。


 その行く先に、どんな景色が待っているかも知らずに。


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