第2話 完璧な人

年が近いからと僕は山岡さんに仕事を教えることが多かった。彼女は一言で言うととても優秀な人だった。どんくさい僕が何日もかけて覚えた仕事を彼女は数日で覚えたし、接客も素晴らしく彼女の対応したお客様はいつも笑顔で帰られていった。途中から何も教えなくてもいいやなんて思ってしまうくらいだった。彼女の優秀さは他の店員にも評判になっていた。彼女の朗らかな性格も功を奏し、8月には彼女は皆から頼られる出来るバイトとしての地位を確立していた。でも、僕はずっと彼女の瞳の奥が真に笑っていないような気がしてならなかった。完璧な彼女の笑顔は完璧さゆえに、恐ろしく冷たく見えた。彼女が決まって黒い服を着ていたのもそんな不思議な印象を強めていたのかもしれない。

彼女のその笑顔はバイト先に限ったことではなかった。偶然、教室で彼女が友達と談笑しているのを見かけたときも、黒い服を着て完璧な笑顔をしていた。僕は気になって千尋に彼女の服装や笑顔について聞いてみたことがある。しかしその時、千尋は、彼女が去年の冬くらいに突然ベリーショートにして黒い服を着出したということは教えてくれたが、何故なのかは分からないのだと言うだけで真相にはたどり着けなかった。

しばらくして僕は、彼女のことを少し不思議に思いながらも、バイト仲間でしかない人のことをむやみに考えて想像するのなんてはしたないなと思って彼女のことを考えるのを止めた。バイト仲間としての彼女は完璧だったし、特にあれこれ考えるのが無駄だったと言った方が正確なのかもしれない。

しかし、夏休み真っ只中の9月、僕と彼女の関係を大きく変える事件が起こった。

彼女が僕に告白をしてきたのである。

同じ学科で同級生だったこともあり、僕と彼女は少し仲良くなっていて、友達として連絡先なんかも交換していた。それくらいの仲だったから告白されるなんて夢にも僕は思っていなかった。

そもそも、僕は恋などというものを小説の中でしか知らない人だった。当然、人を好きになったことも、お付き合いをしたことなどもなかったのである。文学の美しさだけが僕の恋情の対象だった。東京に来たのもそんな自分を変えて普通の人間になるためであった。場所を変えれば恋愛が出来るなどと小学生みたいな夢を見ていたのだろう。

彼女からの告白は月曜日の仕事終わりだった。夕勤を終えて帰ろうとしていた時、同じく夕勤だった彼女から呼び止められた。

「君に伝えたいことがあるんだ。」

いつもの穏やかな調子で言われたからまさか、告白なんかとは思わず、「どうしたの」と聞き返すと、

「君のことが好き。よかったら、付き合って欲しい。」

と言われた。僕はその時なにも感じないことに驚いた。彼女ほど美しい人に告白されれば世の中の男は九分九厘有頂天である。しかし、僕が感じたのは、「告白とはこういうものなのか。」という驚きと「何故僕なんだろう。」という戸惑いだった。

それにも関わらず、僕の口は驚くべきことを言い放った。

「ありがとう。僕も友里ちゃんのこと好きだったんだ。嬉しいよ。」

血よりも真っ赤な嘘である。彼女と付き合ってみたら何か分かるかもしれない。そんな、最低な考えで僕は彼女の申し入れを受諾した。

それを聞いて、嬉しそうにする彼女を見て罪悪感を感じなかったといえば嘘になる。僕の汚い考えで彼女の気持ちを踏みにじっているのだから。最低な行為であることは自覚していた。でも、きっと普通であれば自然な笑みがこぼれるであろう、そんな状況でも彼女の瞳はいつものように冷たそうだった。

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