恋する金魚鉢

@nanomate

第1話

 人の一生は暇つぶしに似ている。膨大な時間をただ浪費するだけ。そう思ってた、3年前のあの日まで。


 新しい生活が始まる春、浮き足だった学生達も居場所を見つけて落ち着き始める頃、県内でも有数の歴史ある高校に進学した俺は未だ学校に馴染なじむことができず、放課後使われていない旧校舎で時間を潰すことを覚えていた。


 まぶしいくらいに日差しが照りつけるグラウンドとは対照的に、新校舎の影に遮られた木造旧校舎はどこか陰鬱いんうつとしていて、音をなくした教室はどこか異郷いきょうのような印象を与えた。


 最初こそ静まり返った教室を闊歩かっぽするだけで目的を達していたが、古い教室で落書きを探すのにもすぐ飽きた。

 刺激は噛み続けると味がしなくなる、ならば新しい刺激を頬張ほおばればいい。その日は理科室を探索していた。


「なんだよ、何にもねぇじゃん」


 カズナリ、校風に馴染めないというよりも勉強に馴染めないことで意気投合した仲間が不満をこぼす。

 特別教室、特に理科室ならおもしろいものが転がっていると期待して来てみたが、ホルマリン漬けのビンも人体模型じんたいもけいも見当たらない。

 古びたガラス張りの戸棚とだなはしからあさるもめぼしいものは出てこなかった。

 あきらめ切れずに奥の理科準備室に足を進めると作業台の上に古めかしい金魚鉢きんぎょばちを見つけた。

 何でにごっているのか金魚鉢の中身は向こう側が見通せない程に白い。

 そのほこりだらけの金魚鉢の中身を確かめようと手に持って中をのぞくと何かが浮かんでいるのが見えた。

 それは人の顔だった。


ゴトンッ


 驚きのあまりそれを地面に落としてしまう。

 幸い金魚鉢は割れなかったが白い液体がどくどくと板床ゆかいたに流れていく。

 徐々じょじょに空になるはちの中には何も入っていない。


「何かあったか?うわっ、きったねぇなぁ」


 物音を聞きつけてカズナリがやってきた。


「元から汚いんだから別にいいだろ」


 確かに人の顔を見た、はずだったが証拠しょうこはない。こわがりとののしられるのもしゃくに触るので黙っておくことにした。


~~~♪~~~♪


 突然の着信音に心臓が止まりそうになる。

 聞き覚えのない音だったから自分のものではないと思った。

 しかし音は明らかに自分のポケットから聞こえる。確認してみると表示は非通知。


「古っ、何年前のだよ」

「こんなん登録してねーし」

「早くでろよ」


覚悟を決めて電話に出てみる。


「もしもし」


…反応がない。いたずらか。


「もしもーし」


 最初は無言電話だと思っていたが電話の遠くの方で何かがえず聞こえて来るのが分かった。

 耳をますと女の子の泣き声が聞こえる。女の子を泣かせるような覚えはないはずだった。


「おーい、誰だよ。泣いてちゃわかんないって」

「ちょっと代われよ」

「あぁ」

「もしもーし、おれダイチの友達でカズナリってんだけど、何があったかしんねぇけど俺が相談に乗ってやっから話してみ」


やっぱりいたずらか。それとも間違いか。


「あ~、そうなんだ、ダイチがね~、三股さんまたかよ」

「はぁ?」

冗談じょうだんだよ、通話切れてんじゃん。俺に一人コントを求めるなよ」

「求めてねーよ」


 念のため、もう一度耳を当てて確認すると鳥肌とりはだが立った。さっきよりもはっきりとすすり泣く声が聞こえる。


「切れてねぇじゃん」

「うそつけ。一人コント返しか?」


 いろいろめんどくさかったので通話を切ってその場をうやむやにした。


「もう帰ろうぜ」

「そうだな」


 金魚鉢に浮かぶ顔、覚えのない着信音、すすり泣く女の声、おかしなことばかりで頭が変になりそうだった。

 それでも平静へいせいよそおい理科室を足早あしばやに立ち去る、ふと気づくと後ろにいるはずのカズナリの気配けはいがない。辺りを見回しても姿は見つからなかった。


「なんだよ、おどかそうとしてんのか、そんなもんに付き合わないからなー!」


 無人の廊下ろうかに独り言が反響はんきょうする。

 まだ隠れる気なのか出てくる様子もないのでそのまま帰宅することにした。



——————————

 ダイチの後について理科準備室を出ようとした瞬間、視界がグルリと回った。

 理科準備室の外に向かっていた体が今は理科準備室の中を向いている。

 恐怖が足を急かしダイチの後を追うも、またグルリと世界が反転する。

 ダイチは気付かないのか足音がどんどん遠ざかる。

 きっと自分はここから出ることができないのだと直感した。

 改めて部屋の中を見渡すと違和感がした。転がっていたはずの金魚鉢が作業台の上に置かれている。

 その中は白い液体で満たされていた。どこからかすすり泣く声が聞こえてくる。

 その声のする先を探すと女が立っていた。

 そして滑るように近づいてくる。


「うわーーーーーーーーーー!」

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