第6話

「おはようございます。師匠。朝ですよ」


「おはよう……ああ、そうか」


 目を開くと、目の前に飛び込むのは幼げな丸い顔。

 そういえば、そうだったな。昨日弟子を取ったんだっけか。なんか、人間として何か過ちを起こしたのではと一瞬心配になった。

 ……身体のあちこちが痛いな。やっぱり床に寝るもんじゃない。

 こりゃ早急に新しい寝床が必要になるな。

 

「ソータさん。朝ご飯は食べないんですか?」


「朝ご飯ならいつも食べてないからないけど」


 朝は食欲わかないし。異世界に来る前から食べていない。食わなかった分食費も浮くし気になることは何もないからな。


「え? それじゃあ一日二食なんですか?」


「ああ、そうだけど」

 

 まさか、こいつは朝昼晩一日三食きっちり食べるつもりなのか。

 ありえん……。

 

「うーん。お腹空かないんですか?」


「空くよ。でも、金がないからな」


「昨日みたいに、ジョセフさんに作ってもらうのは?」


「さすがにそこまで負担はかけられないよ。あの店だって儲かってるわけじゃないし」


 そう。あそこは俺にとっての理想の職場なんだ。まともに働かないで金が入る。

 そんな良いことないだろ?

 ……って言うのが本音だ。


「そう……ですか。大変なんですね」

 

「まあ、俺たちが少し特殊なだけだから。なんかごめんな」


 お金のやりくりで、普通の人はここまで苦労することは無い。

 なんか、流れで弟子にしちゃったけどちょっと不味ったんじゃないか? このまま店が潰れたらそれこそなんにも教えられなくなる。


「いえ、私の方こそすみません。突っ込んでしまって」


「うん、じゃあ、準備したら行こう」


 結局朝ごはんはないままっていうのが、俺は少し心が痛んだ。

 うーんでもそうだよな。成長期に朝ご飯抜くのは体に毒だからな……。

 俺の分は兎も角、エルの分くらいは用意できないと駄目だよな。仮にも人の子なわけだし。

 いや、でもわがままを通しちゃだめなのか? ここは師匠として厳しく接するべきなのか?

 そんなの分かるわけないだろ。あんな突然弟子なんか作っても俺、人に教えるような器じゃないし。


 まあでも、流石に飯抜くのはかわいそうか。ピアノ以外に悪い意味で気を取られる生活は良くないし、飯食わないとピアノもろくに弾けないし。

 今更どけどさ。食事って大事なんだな。


「師匠、そろそろ行きましょう」


「そうだな」


「カバンは持っていかないんですか?」


「……ああ、今日は持ってくか」


 危ない危ない。普段使わなすぎて完全に忘れてた。


「いつもは持っていってないんですか?」


「ああ」


 普段買い物とかしないし、あのおっさんから何か貰う時はバック付けてくれるからな。

 だがまあ、今日はその普段しないことをするわけだから、忘れてはいけない。


「よし。今度こそ準備が出来たな。じゃ、行くか」


「はい! 今日も師匠の演奏が楽しみです」


「楽しみにするだけじゃなくて、練習もちゃんとしないとな」


「はーい」


 あれ、もう生活に慣れてきたのか。こいつ、枕持ってかなくても熟睡できるパターンの人だったか。

 羨ましいな。それならベッドで寝るべきはお前じゃない。俺だ。


◇ ◇ ◇


「師匠」


「なんだ?」


「師匠は、仕事を抜け出してどこへ行くんですか?」


「人聞きが悪いな。ちゃんと許可とってるからな」


 朝の支度が終われば、どうせ店に人はほとんど来ない。

 もし来たとしても、俺がいなかったらちょっと大変くらいのもので、おっさんだけで仕事は回らなくもない。

 それに今日はおっさんにもメリットがある。

 2つの用があって、1つは俺とエルの用事だが、もう片方は店の宣伝だ。しかも今回の宣伝効果はかなり期待ができる。

 だからおっさんとしても断る理由はなかった。


「そろそろ見えてくるはずだ。あそこだあそこ」


 あまり整備されてない道を抜けて、見えてきたのは小さな古本屋だ。

 俺がこの世界に迷い込んだ時に、言葉が分からなくて困っていた。同じ境遇の人に直ぐに出会えたのは助かったが、それでも街中に出れば全く知らない言語が飛び交う。

 毎日が息苦しくて、辛かった。

 そんな中で出会ったのがこの古本屋だ。付け焼き刃で教わった言葉で何とか話して、それから仲良くなっていった。

 その時の語学勉強の為に、小説や絵本などの本を買っては返して買っては返してを続けていた。知らない言葉は分かりやすく噛み砕いて説明してくれるし、ありがたい。

 今では店の人とも顔馴染みで、たまにお茶したり遊んだりもする。

 現地での初めての友達だ。


「あ、いらっしゃい。今日はサボり?」


「いや、流石に毎日はサボらないって」


 店から出てきてくれたのは、少しくせっ毛のように髪がはねる茶髪を、ポニーテールに束ねたお姉さんだ。

 歳は俺より年上で、20歳丁度。母親と共にこの古本屋を営んでいる。

 

「あれ、その子は?」


「ああ、弟子だよ。ピアノの弟子ができた」


「エルネスティーヌ・フランソワです。エルと呼んでください」


「エルちゃんね。私はエマ・ラスペードだよ。よろしくね」


「はい! よろしくお願いします」


 さて、自己紹介も終わったし、そろそろ本題に入るか。


「エマ。ここってピアノの楽譜は置いてあるの?」


「楽譜ねぇ……。あまり出回らないからかなり少ないと思うけど、確か少しだけならあったかな。ついてきて」


 少量か……エマには失礼だけど、これは望み薄だな。

 ついて行った先には、ページが少なくてペラペラとした紙質の冊子が並んでいた。

 どうやらそれが楽譜らしい。

 手に取って捲ってみるが、どれも練習に適しているとは言えない。

 曲調的にも一昔前のクラシックって感じだな。使っている音も教会音楽とか、そういう類に見える。

 有名な楽譜とか、そういうのはここには無さそうだ。


「それ以外だとあとはこっちので全部かな」


 エマがホコリをふーっと息で払い、エルが鼻を刺激されたのか、小さくくしゃみをした。


「あ、ごめんね」


「いえ、お構いなく。ぅくしゅっ……。それで師匠。どうですか?」


「ここの楽譜だと、ちょっと今必要なものとは趣旨が逸れるかな」


「ごめんね。楽譜はあまり置いてなくてさ」


「いや、謝らなくていいよ。そもそも、他の本屋にもあるかどうか微妙だから」


 やっぱり、楽譜は作るしかなさそうか。

 これは忙しくなりそうだな……。


「あ、そうだ。それなら紙とペンが欲しいんだけど、売ってる?」


「あ、それならあるよー」


 奥へ1度下がって、分厚い紙の束と、万年筆とインクを持ってきてくれた。

 表向きは古本屋だが、文房具も売っていて結構便利な店だ。


「じゃあ、それ買います」


 お金を払って、諸々バッグに放り込んだ。


「まいどありー。それじゃあ、今後もご贔屓に!」


「ああ、また来るよ。あとピアノ、おっさんの店で演奏してるから見に来なよ」


「ありがと。そのうち見に行くね」


「ん。じゃあまた」


「ほ、本日はありがとうございました!」


「うん。エルちゃんもじゃあねー」


 古本屋っていい場所だよな。日本じゃ経営厳しいからほとんど見ないのに、こっちじゃ利用者がすごく多い。だからこそ、質のいい本とか有名な本は大概ないんだけど。

 電子機器がない分、情報は紙からだもんな。それも当たり前か。


 さて、用が済んだし次が本番だ。今は俺の用事。今度は店の宣伝。

 こっちは勝機が見えてる分、確実に成功を掴んでやる。

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