第37話 それぞれの夜

 ヨミは帰った。


 クライスはヨミからの裏付けを聞き、今後の計画を立てる。

 早めにケリを着ける。


 相手は十人居る……既にクライスは敵をマクシミリアーノ1人とは考えていない。

 被害者には、この十人全員が関わっている。


 マリアンヌの強姦

 ケリイの拷問


 この二点に全員が関わり、一致団結して被害者に危害を加えた。

 だから程度の差こそ有れ、クライスは全員をヤルつもりだった。

 ローからはマクシミリアーノの殺害を指示されただけだが……

 のっそりとクライスは立ち上がり、先程まで、ヨミとクライスがいた、大きなテーブルを退ける。

 そこそこ重いテーブルだから、隻腕のクライスには重労働だ。


 床板の1枚を踏む……反対側が持ち上がる。

 通常はテーブルの足が載っているので、この仕掛けには気づかない。


 1枚床板を外すと、取っ手が有った。片手で持ち上げる……約1m✕1mの床板が持ち上がる。

 その先には、薄暗いが仄かに階段が見える、その先は暗くて見えない。


 クライスはランタンを持って階段を下っていく。

 やがて地下からゴソゴソと何やら物音。

 どうやら、クライスは探し物をしているらしい。

直ぐに見つからないのか?地下から、「ゴトッ、ガラガラ」などと落下音が響く。


やがて、杖を一つ掴んで戻って来た。

端々が、色あせてボロボロの杖。

何の変哲もない杖。


大きな欠伸をして、「無くしたかと思ったわ……」と安堵した表情。


「あぁ、もうこんな時間か……」

洗面台へ行き、服を脱ぐ。

濡れた手拭いで、身体を拭く。

その後、寝間着を着て、鏡の前に立つ

「ガシュ、ガシュ」と音を立てて歯を磨く。

「ガラララッ、ゴフッ……」うがいが喉に詰まる。

「飲んじまった……まぁ、良いか……」

首をコキコキ鳴らしながら、玄関のドアを開ける、同時に壁の横に掛けたランタンを持ち外に出た。


綺麗な三日月だった。

「ヤーン、ゼオ、のんびりやってるか?」月に向かって話す。

「明日はワシも久しぶりに働いて来よう……」

そう言い月に向かって一礼。

くるりと振り返り家に戻る。

ランタンの明かりが消え、寝室に入ったのだろう、速攻、イビキが聴こえてきた。


いつもと同じ日常……




 ……、、、……


 ……マダムシェリーの館……



「マリー……ねぇ、マリー……」青年の声、唇の怪我の為に少し滑舌が悪い。

「なぁに、ケリイ……どうしたの?あぁ、判った!おトイレ1人で行くの怖いんでしょ」成人の女性の声色、なのに喋り口調は幼児のそれ……

「あぁ……マリー、大丈夫だよ……マリー……ねぇ、マ……リー……グッ……ねぇ、マリー……エッ……どうして……戻って……」青年はマリーの手を握る。

 マリーと呼ばれた女性は、朝日の様な笑顔を青年に向ける。

 青年の頭を、飴細工の様に滑らかで、細く白い指が撫でる。


 優しく……

 柔らかく……

 愛を指先に込め……

 青年にはそれが辛い……

 彼女と暮らした十数年を……

 彼女はその全てを自ら亡くした……


 ……彼女、それ程、辛かったんだ……


 屑共に犯され……

 大事な青年をボロ屑にされ……

 彼女の精神は擦り切れ、千切れ飛んだ……


 それが痛い程、青年には伝わった。


 彼女の誇りを取り戻す為、青年は一人で屑共に相対した。


 思えば、無策な行動だった……


 けど、その時は、もう居ても立ってもいられなかった。

 何が何でも、彼女の辛さを少しでも奴等に判らせたかった。

 それで少しでも彼女の気持が癒せたら……

 いや、それは僕が、僕の、収まりきらない怒りが……そうさせただけ……

 本来、それなら、彼女の元で、彼女を支えるべきでは無かったか?

 奴等の元に行って、前言撤回しろ等と、懇願しに言っても……それが本当に彼女の癒しになり得るか??


 何れにせよ、もう過ぎた事だった……

 青年は顔を亡くし、男でも失くなった。


 自分はいい……

 それは、ずっとそうだった、

 僕などいい……

 彼女が幸せなら……

 そう想って、ずっと生きてきた……

 今更、自分の顔や身体がどうなろうと、知った事ではない。

 こんな糞みたいな人生……

 彼女はその糞溜めから飛び立つ事が出来る。

 僕は無理でも彼女なら……

 彼女の記憶の片隅に、そう……すみっこに住まわせて貰えれば、それで十分。

 彼女に相応しい相手が出来て、彼女の幸せな顔が見れるなら、こんな身体、こんな人生、今にでも……

 自身の身体で、彼女が幸せに成れるなら、喜んで投げ出す……好きにすれば良い……そう想って生きてきた。

 青年は、彼女の苦痛をずっと横で観てきた。


 マダムは一生懸命彼女を育てた。

 高級娼婦にしようと……

 立ちんぼに成っては、もう人生終わってしまう。

 様々な男を相手して、

 若くして性病に罹り、

 治療を受ける金も無く、

 衰弱しながら、

 誰にも知られず、

 ある日、道端で死ぬ。

 そして、野犬に喰われ、

 雨風と共に跡形無く吹き流される。


 彼女にそんな人生は歩んで欲しく無かった。

 だから、マダムは必死にマリーを育てた。


 高級娼婦に成れば、相手も選べ、大金が入り、手厚い治療も受けれる。

 彼女にはその道しか無かった、その為に必死に勉強し、舞を鍛錬し、話術を磨いた。


 本来、楽しく日々送るべき青春を、一切捨て去り、自身を磨く事に費やした。


 青年はそれを真に間近で観てきた。

 彼女の切磋琢磨……

 原石がダイヤに変わる迄……


 これから幸せになる筈だった。

 それを観たかった、共に生きてきた彼女が幸せに、今までの不幸を取り戻す時を……


 それが何故?!


 こんな事なら、死んだ方がマシだった。


 当代随一の高級娼婦として、華々しい世界を過ごす彼女を観ている間に、最早死ねばよかった。


 こんな未来は望んでいなかった。


 彼女は飽きること無く、両手で青年の頬を優しく持ち……烏に突かれ小鼻の千切れた鼻にキスをする。


「ケリイだぁい好き!」


 失くなった目玉の穴からボロボロと涙が溢れ、包帯を濡らす……


 驚いた彼女が細い指でそれを掬い取る。


「泣かないでケリイ、どうしたの?大丈夫?私の事キライなの?」彼女が大きな声で慌てる。


「……大丈夫……大丈夫だよ……マリー……大好きだよ……好きに決まってるじゃ無いか……」がらんどうの目でマリーを見つめる。


 崩れた顔、痛みを堪えて、何とか笑う。

 マリーに笑顔に見えたら良いけど……

 青年はそう願わずにはいられない。


 せめて……


 マリーは嬉しそうに、ケリイの頭を自身の胸に抱き抱え、優しく頭を撫でている。


 止めどなく流れる涙が、青年の傷に沁みる。


 止めどなく流れる涙が、彼女のドレスを濡らす。


 止めどなく流れる涙が、いつか彼女の心に届く様に、青年は願う。


 彼女の胸に抱かれながら、やがてケリイは浅い眠りに落ちた。



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