第5章 罪積り、重なり……

第32話 親衛隊入隊 朝

 ヤーンが出征してから数日が経った。

 今日はゼオが王城へ向かう初日だった。


 かなり早めに起床し、装備を再点検し着装する。

 兄貴と変わらない着装スピード、まるで普通の衣服の様に鎧を纏う。


 腰に剣匠が一般的に使う片刃の長剣を差す。

 左胸のスリットに棒手裏剣を差す。

 左前腕内側に短剣を仕舞う。


 机の上に置きっぱなしの『親衛隊配属命令』の書面を折り畳み、胸のポケットに滑り込ませる。

 机の一等地にユナの人形がチョコんと座っていた。

 その他、追っかけの女性達から貰った人形は本棚上の小さな木箱に隙間無く差し込まれて、身動き取れ無い状況、まるで、タコ部屋の如き様相。

 人形達のパーソナルスペースは『0ゼロ』。


 ユナの人形に、ユナと兄貴の安全を願う。

 剣匠の神ハギは祈りなど不要、戦いに勝つ事こそがハギへの祈り。


 だから、ゼオは祈りを知らない、だからユナの人形に二人の安全を……ただ話す……ただ願う……一頻り人形との対話の後、ゼオは部屋を出て食堂を素通りし、玄関を開けると、既に右手に剣が握られていた。

 下段の構え。

 そのままするする庭へ歩く……

 剣を持っているのに、まるで散歩の様に見える。

 しかし奇妙……どこか……

 歩いているのに身体が上下しない。

 厳密に言えば、腰から上が、上下動どころか左右にも全く微動だにしない……上半身だけを視れば、まるで空間を滑る様に動いている。

 動いているのは腰から下だけだった……


 一般的に人間は、歩けば歩行と共に身体が上下する。

 当たり前の事、ゼオの歩行には何故かそれが無かった。


 ……それは違和感……


 いつの間にか、ゼオは枝に縛られた縄の先端、錘が括り付けられた柿の木の下まで滑る。


「ヒュン……」下段の剣が跳ね上がる……

 切っ先が錘の下で止まる……

 いや、僅かながら縄が弛んでいる……

 鋒でホンの少し持ち上げたのだ……

 そしてそのまま錘を押す……


 ゼオから錘は離れて行く……

 やがて、錘の速度は『0ゼロ』になり、そして今度はゼオに向かい加速する……このままではゼオに激突する、その瞬間……


「カッ……」小さな、小さな音を立てて、錘がとまる。


 ゼオの片刃の長剣、その鋒で錘を受け止めた。

 しかし受け止めたという表現は十分では無く、まるで柔らかい何かで受け止め、その為、錘は跳ねる事無く、速度を『0ゼロ』に換えた様に見えた。

 当然だが、彼は長剣で受け止めている……一体どの様な衝撃吸収を行えば、かなりのスピードで接近する金属同士を柔らかく停止出来るのか?

 それを数度繰り返した。


 そして今度は、錘を避ける動作に移る。

 構えははあの違和感の有る歩行時のまま、長剣の重さのままに下段に持っていて、力が入っている様に見えない。


 ホンの少し上半身が前傾している様にも観える。

 ホンの少し膝が少し曲がり、直立では無い。

 その為、腰も少し落ちて安定感を見る者に与える。


 錘が自分の向かう度に滑らかに下半身が動き、錘を避ける……そしてその場でクルリと円を描いて、錘の行方を把握する。

 その際、上半身は微動だにせず動くのは下半身だけ……

 兄貴がある時言った「お前の剣術は舞の如く……」と。

 ヤーンはバカにした訳では無い……逆だ……兄弟で日常大道芸紛いの木刀の剣劇を日々飽きるほどしているのだ……その舞の驚異を誰よりも識っているのは兄だった。

 30分程度その訓練を行った後、ゼオは長剣を仕舞い、家に戻る。

 家の中では今日の飯当番の師匠がいつも通り、店で買った惣菜と、歯が持って行かれそうな硬いパンを食卓に並べていた。


「おはよう師匠」ゼオ。

「おはよー」師匠。

「今日からか?」と師匠。

「はい」とゼオ。


 椅子を引き、座る。

 師匠がコップに水を淹れてくれる。

「頂きます」と言い、フォークで惣菜を突き刺し口に運ぶ。

 パンを手でちぎり、口に放り込む。

 後から、コップの水で追いかける……モグモグとパンを嚥下する。

「師匠……僕の剣の修行はこのままで良いかな?」ゼオはコーヒーを飲んでいる師匠に訊く。

「兄は、最前線で戦い、弟は後方、それも最も安全な王城で勤務……」『そりゃ、実力差も付くわな……』師匠は思いの前半だけを話し、後半はコーヒーに口を付ける。

「判ってる……実戦は練習じゃ無かった、得るモノが桁違いだった……それが仮に民間人でも……」ゼオは小さな声で話す。

「お前は、ヤーンには嘘をついているが、今も観えているのだろう……」師匠は問う。

「はい、見えてます、生身の人間とは全く違いますがね……昔の様に、生身と霊の違いが判らないという事は無くなりました、そういう意味では『観る』力は薄れて来ているのかもしないですけど……」ゼオは最後のパンを頬張りつつ答える。

「ある意味、お前の才能は兄貴以上と言って良い、その様な見鬼の力、ワシも師より聞いた事はあれ、実際にお前を目の前にするまで半信半疑であったよ……」師匠はコーヒー片手に微笑を浮かべる。

「お前は、殺した敵を覚えているか?」師匠は問う。

「はい、今も居ます……今までは僕に関係の無い霊は薄く漂うだけですが、アルテ峡谷で僕が殺した敵は、僕を睨み付け……周囲から離れません……僕を殺したくて堪らない様です」ゼオは俯く。

「ワシと同じに成ったな……」師匠は薄ら笑い。

「……そうなんでしょうね……師匠は金魚の糞の如く連れ廻していますから……けど多少減りましたよ」ゼオは苦笑い。

「そりゃ、毎朝死んでるからな……殺された分は、減らんと困るわな」師匠は辟易。

「死に鍛練ですか……」ゼオ。

「そうだ、ワシはお前の様に見鬼ではない、しかしな、悪夢は観る……お前達と会うまでは、ワシは自身の人殺しの後悔から、己の脳が見せている……謂わばワシの幻覚だと想っていた」師匠は頭の横を人差し指でつついた。

「僕もそう思っていますよ……」ゼオは師匠を見て話す。

「霊を観る事の変化、僕が子供の頃は明晰に、今となっては朧気に、霊が其の様に変化するのかな?と疑問を持った、そうしたら判りました、これは、自身の想いが見せているんだと……僕の頭は他の人より多少、想いを具現化して視野に見せる能力が高いのだろうと……」年齢不相応なゼオの語り口調。

「お前は賢しいな、兄より……しかし、それは必ずしも長所とは言えぬな」師匠は追加のコーヒーをゼオのカップに注ぐ。

 会話を続けるのだと言っているのだ。『お前もコーヒーを飲み、まだ話せ』と。

 ゼオはコーヒーを一口、

「判っています、僕はその幻覚の所為で、兄貴の様に素直に成れなかった、僕には道で行き違う真面目そうな人の、その後ろに、沢山の怨みの塊が見えたんだ……」ゼオの珍しい独白。

「そうだな、お前は見なくていいモノを見過ぎた……それはお前の精神を老成させた」師匠の言葉はゼオは頷く。

「仕方無いです、今更、この頭の中の幻覚が綺麗さっぱり無くなる訳じゃない……でもこれが僕だ」ゼオは師匠を見て笑う。

「……そうか……」師匠はゼオの今まで生きてきた苦悩の一端を観た様な気がした……

「それはそうと、結局お前、修行はどうする?」師匠が話を変えた。

「そっちから訊いて来たくせに……」ゼオは師匠に向かい苦言。

「ワシはな、今のお前の実力は1対1ならば、その見鬼の能力も加味すればヤーンでもそう易々とは勝てん、また待ちが長くなればなる程、お前が有利になる……というのがワシの見立だ」師匠はコーヒーを啜る。

「そりゃ、僕が兄貴の殺人剣をかわし続けれれば……僕は活人剣の方が得意だし……」ゼオは当たり前と言った感じで、師匠の真意を計りかねていた。

「お前の見鬼の力、それは、相手の細かな所作や行動、言動から、その人の隠された性質や性向、過去の行いを、霊という象徴的な形で観ているのだと思っている」師匠は顎を擦り話す。

 ゼオは少し理解出来ていない。

「解り難いか?……ワシはお前自身が先程言った『霊など観ていない』というお前の仮説は正しいと思っている、その見鬼の力は、おそらく、恐ろしく集中して相手を観察する事で、考えうる結果を霊という形でお前自身が変換し、頭に想い描いているに過ぎない」と師匠……『どうだ、解ったか?』という表情。

「……うん、判るよ……師匠を初めて見た時に、師匠の後ろに並ぶ霊を沢山観たのも、師匠の普通を装いながらも警戒した動き……目線、体裁き、そんなモノから、『あっ、この人は多分人を殺している、おそらくこの位は』と僕自身が想って、創り出した幻影という事……」ゼオは師匠の顔を見る。

「多分な、万が一ハギに溺愛され、そんな特殊なgiftを与えられたのなら、仕方無いが、そういう神がかった事は神話の世界の話だとワシは思う」師匠はバンザイのポーズ。

「だから、幻覚が外れる時も在るだろう?」師匠は再度訊く。

「うん、外れるというか、人によっては精度が甘い感じだね……幻覚が現れ難い人も居る」ゼオは思い出す様に話す。


 ヤーンが居る時は、見鬼の力は無くなったと嘘を付いていたから、こんな話は出来なかった……兄貴は僕が子供の頃、人の後ろに霊を観て、慌てふためいていた事を覚えていた。

 兄貴はよく言っていた。

「ゼオには、こんな苦痛ばかりの力、無くなれば……気楽に生きれるのに……」そう言っていた……だから僕はある日から、「もう、霊は観れなくなった……」と言い、兄貴を安心させた……させたかったんだ……この気苦労の絶えない、優し過ぎる兄貴を少しでも……

「お前のその見鬼の能力を剣に生かすべきだ……その観察眼」と師匠は言い、続けて「お前、先程、庭先での舞踏の様な歩行……あれは、剣匠の隠されている技術で七宝(しっぽう)とか失歩(しっぽ)という歩法に近い……誰から学んだ……」師匠の目に力が宿る。

「……まぁ、隠していた訳じゃないけど……昔、子供の頃、踊り子に成らないかと誘われた事があって、少し前からその人の劇団に通っているんだ……まぁ、遊び半分みたいなもんだけど……なんか、僕には才能が有るらしい」ゼオがすまなそうに頭を下げる。

「いや、構わん、良き歩法だ……あの歩法は相手への接近時に距離を見誤らせるのだ、上半身は滑る様に動く、人は元来、上下動しながら歩くのだ、それがあの歩法には無い、熟練すれば、相手が気が付かぬ内に必殺の間合いに入れる」師匠は少し嬉しそうに評する。

「あの歩法には下半身の強化が必須だ……あの程度の時間でも脚が張ってくるだろう?」師匠は何故か更に嬉しそう。

「うん、辛いよ、足腰には自信があったんだけど」ゼオは太股を揉みながら言う。

「因みに、劇団の名は?」

「雷架式 遊活歌劇団 とか言ってた、キルシュナ最古の歌劇団なんだって、けど今は、パッとしない、他にもっと大所帯の劇団は沢山あるよ……」ゼオはどうでもよさそう。

 師匠の目が輝き、笑いそして、食卓を隻腕で叩く……

 師匠のコーヒーが一寸零れる。

「アラアラ~雷架式ねぇ~、お前の修行はソコッ!!!」師匠は、いきなり一際大きな声で宣う。

「えっ、なんだよ」ゼオはコーヒーを吹き出した。

「なんだよでは無いぞ、お前の修行先はソコッ!!!」師匠は、更に大きな声で宣う。

「はぁぁぁぁ……良いの、それで……」ゼオが溢したコーヒーをフキンで拭きながら再確認。

「ヨイヨイ、それは誠に重畳!!!おあつらえ向き」手を叩いて師匠は喜ぶ。

「まぁ、良いけど……」ゼオは時間を確認して皿を片付ける。時計を見て、出勤時間が来ている事を確認する。

「え~と、じゃあ、行ってきます……週末には戻ります」ゼオはそう言い、玄関を出ていった。

 ゼオの背中を見ながら、クライスは初めて会った時、あの小さな背中を思い出す……痩せぎすで、目だけが大きく、一概にも剣の道で生きていけるか心配だった……身体的には兄のヤーンがずば抜けていた……ゼオの身体は凡庸だった……我ほど貧相では無いが……確かに剣技は身体だけではない、精神が大きく左右する。ゼオの精神は見鬼の力により日々鍛えられていたのだろう……小さな子供には酷な事だが……お陰で、今、剣匠として生きていられる……


「来るべき困難の前には、必ずそれを打開する為、修練の機会が与えられる、それを貪欲に吸収出来る者だけが命を繋ぐ……ゼオ……そうあれかし……」師匠はそんな事を小声で言い、ゼオを見送ること無く、いつも通り洗い場に食器を片付ける。

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