第4章 王の苦悩

第25話 とある人物の憂鬱な月曜の朝

 早朝……私は……

 いつも自宅の屋上から朝日を観る……

 太陽はいつも昇る……何事も無く……

 仮に曇り空で見えなくても必ずそこに在る……

 信頼出来る『絶対』……


 起きれば、いつも想う絵がある……それが日に日に変わるのだ……

『天秤に、大きな権力が載る、そして反対側に責任が載る……拮抗して釣り合う』そんな絵……

 その権力は日々大きくなり、それに比例して責任も大きくなった……今や、天秤の皿は置く所が無い位『権力』がうず高く積まれ、その反対側にも『責任』がこれでもかと載っていた……私の命でその責任が果たせるのか……私ごとき一人の命で……多分無理だ……


 自身の決断で国民を殺せる。

 自身の決断で国民を幸せにも不幸にも出来る。

 これは恐ろしい事だ、兵士達、剣匠と違い、安全な場所から他人に『死んでこい』と言えるのだ。


 一体どれ程の権力が在れば、他者にそんな言えるのか……

 そして、自分の采配でどれだけの国民が命を喪うのか……考えれば気が狂いそうになる……まだ自身の判断が正しければまだマシだが、そうでなかったとしたら……判断ミスで多くの命を無駄に散らした原因が自分だとしたら……

 だから他者に『死ねと』言えるならば、自身はその大いなる権力に相応しい責任を果たす素晴らしい人間でなければ成らぬ。(それは本人の資質を無視して問答無用で成るしか無いのだ)


 しかし歴史を振り返ると、私の様なビビりな王も居れば、権力に酔い好き放題の王も居る……いや後者の方が圧倒的に多い……そしてそういった国は遅かれ早かれ亡国の一途を辿る。


 故に贅沢な暮らしや、国民に敬われる高揚感だけを受け取り、そこに胡座をかいては成らぬ。


 上に立つ者は、故に道徳的、倫理的に自身を律する人物でなければならぬ。

 そして、皆と同様、否、皆より更に大きな痛みに晒される事になる……否、晒されねばならん……おかしな言い方だが……そう想う……


 私は、

 王の権力を恐れたのでは無い……

 王の責任を恐れたのだ……


 大いなる権力の後ろには、本来同等の責任が付いている……

 多くの人はそれに気付かないだけ……


 もう一度空を見る……視線の先に屋根を派手な緑色と黄色に塗った二軒の家が見える……サイモン家とチャド家だ……我が家のお隣さん……子供の頃からの腐れ縁……悪友……相手の尻にあるホクロの位置まで知っている……

 そんな三人……


 そして……つい先週……


 私が権力を行使して、

 隣もサイモン家のロイも、

 向かいのチャド家のロメロも、

 母国を守る為、出征して行った……

 子供の頃から我が娘と遊んでくれた二人……

 その判断を下した私に真摯な顔で「行って参ります」と答えた……あの子達が散ったら……

 娘が幼き頃……今日の様な夏、赤い夕焼けを堪能しながら開いた細やかな夕食会、我が家の小さな中庭で催した……当然サイモンもチャドも呼んだ……共に食い、共に喋り、共に笑った……子供の頃からの悪友、そして商工会議所の両輪……いつも隣に居た……その愛すべき悪友の子供達……幼馴染みが死んだら、娘は悲しむだろう……


 その子達を殺戮の場に放り込んだのは、この私だ!


 サイモンもチャドも「王は悪くない、悪いのはガゼイラだ……」そう言って、私の肩を抱き、慰めてくれた……自身の愛する子供が死地に向かうというのに……ヤツラはそんな事を言ってくれるのだ……


 だが、最悪の結果が起きた時、私はどんな顔で皆に……その死を納得させるだけの言葉を……私は持っているか?


 ……いや持っていない……おそらく……


 ……太陽を睨む……


『一層、私を焼き潰してくれないか……』


 こんな事に成るなら、あの時、何がなんでも引き受けねば良かった……或いは、ある程度復興した段階で身を引いて、又商工会議所の会長として……


 私は洗った顔を拭きもせず、朝日を見る……

 納得はいかぬ……全くもって納得はいかぬ……何故私がこんな目に……

 私は家族と平々凡々と暮らしたかったのだ……私が望む事など、我が家族、皆の健康程度で良かったのだ……


 例えば……

 私が死に、その後、妻が寂しくないか……

 娘に平凡で良いから、元気で明るい夫が出来るか……

 あわよくば、二人に子供が授かるか……

 そんな事で、一喜一憂する人生で万々歳だったのだ……


 こんな!!!……こんな、無理難題の波瀾万丈等求めてはおらん!!!


 ……

 ……


 ……いかん、いかん、過ぎた事を今更……事態は進んでおるのだ、昨夜の間にも……おそらく、ゴードン達と朝イチの打合せもある……感傷に浸る暇は無い。


 妻に観られておれば、百発百中、『いい加減諦めなさいよ……しょーーーがない人ね、貴方は……』とバンバン肩を叩かれるに決まっている。

 妻は私より男らしい……いや、最近判って来たのだが、女性は皆、男より男らしいのだ……そして男は女々しいのだ……そういうものだ……

 まぁ、我が妻は男らしい女達の中でも飛び抜けて男らしかった……

「母から出てくる際に股ぐらの大事なモノを腹の中に落として来たのだ……レナは忘れっぽいからな……ハハハ」とは、親戚の妻の名付け親、フィオじいさんの冗談とも本気とも取れない言葉……


 そんな女性に私はいつも助けられている……レナが私に言った事がある。

「殴り合って勝敗が付くなら、腕力も有効でしょう……しかし政の中で殴り合いなどありゃしない……最終的な終焉として暴力(殺戮レベル)は有りましょうが、それ以前に貴方のその権力、それを有効にお使いね……そうする事で、多少なりとも無駄な血が流れるのが防げましょう……そうは思わない、貴方……」ニコリとレナ。


 ……至極、ごもっとも……反論の余地なし……その綱渡りを私にせよと……


 恐らく私は苦虫を噛み潰した様な顔をしていたのだ……

「……そんな貴方が大好きです……」レナの満面の笑み。


 ……

 ……レナを見つめる……相変わらず優しい笑顔……

 ……『大丈夫……大丈夫……私が隣に居るわ』そう言っている……

 ……覚悟するしかない……そうだ、ヤれるか?ヤれないか?の判断は無い……ヤるしかないのだ。

 ……


 さぁ、精神的ストレスで食欲も無いが、それでもレナが作ってくれた朝飯を平らげて城に向かわねばならん。

 げんなりとした気持ちで食卓につく……祈りを済ませ……箸を持つ……卵焼きを半分に割り、口に放り込む……

 レナの料理は私に合っていた……無い食欲が次第に湧いてくるのだ……いつも不思議だった。

 最終的にすべての皿を空にして朝食が終わる……それをレナが見て、「今日も完食ね……ヨシヨシ!」と微笑む。

「ご馳走さま、美味しかったよ、有り難う」と妻に感謝して洗面台に向かい歯を磨く、うがいをし、タオルで顔を拭き、自身の頬を両手で軽く叩き、玄関に向かう。


「行ってくる」そう言うと、妻はいつも、

「はい、お帰りをお待ちしています」

 と返す。

 その時だけは丁寧な物言いなのだ、いつも……


 本来宮中に住むべき所を、自宅からの出勤に固執した私は、テクテク歩いて城に向かう……その周囲には憲兵が警護する……すまぬ、私の身勝手な願いの為に朝から我が家の前で待機しているのだ。


 城までの徒歩……思索の時間として私には丁度良かった……すれ違う国民からの挨拶に対応しながらも、頭の中で、今後の対策に頭を巡らす……最初は挨拶に気を削がれて思考が途切れがちだったが、今はもう慣れた。


 仄かに微笑して挨拶を返し、そして城へ歩く……こんな王は居ないのだろう……珍しいだろう……

 アルテアの王を平民が肉眼で見る機会など、城の最上段のベランダから手を振る米粒の様な姿しかない……

 こんな道を徒歩で歩く等、アルテアの国民が見たら腰を抜かすのではないか?

 或いは、キルシュナの王は馬車に乗る事も出来ないほど、貧乏なのだろうか?と思うかもしれない。


 城へ向かいながら、数日前の晩飯を食している私に、娘が嬉々として話した若い剣匠ヤーンの事を思い出す……

 娘のお気に入り、出征前に結婚届けを提出したらしい……


 娘らしい……

 私に相談無く……

 自分で決めて……

 自分で実行する……

 そして結果、失敗しても成功しても自分で納得する……

 誰かの所為にはしない……

 自分で決めた事だから……


 レナの娘らしい……私の血はあまり入っていないのかと正直心配になる……


 世間一般の父親ならば『ワシに一言も無く勝手に……許さん……』と激昂しそうなモノだが、我が家は少しだけ(敢えて少しと言わせて欲しい)変わっていた……そして娘はもうかなり前から一人前の大人だった……大人になるという事は、ただ年を重ねるという事では無い……経験を重ねるという事だ……経験が無ければ、ただ歳を食った子供に成るだけだ。

 そう、私がこの様な目に遭った元凶である大臣の様に……いい歳して、酒に女に宴会に……うつつを抜かす。


 その点、娘は経験だけは十二分にした……それこそもう充分な程……経験したそれは……いじめだった……その原因は、私が王に成ってから呑気に自宅通勤を決め込んだ所為だった。


 私は先程も言った様に、城に常駐するのが苦痛、出来れば自宅に帰り妻や娘と暮らしたい……又家族全員で王城に暮らすというのも家族の事を考えれば如何か?と思う……近くに親友も居るのだ、ここから離れて王城暮らしなど嬉しく無く……苦痛ばかり……だから毎日、自宅から出勤していたのだ……だから王に成っても、家族三人でいつも通りの生活をしていた。


 そんなある雨の日、娘が目の回りを腫らして帰って来た……そして頬に引っ掻き傷……

 まだ十歳にも成らぬ……私は膝突き、娘と目線を合わせる……そして尋ねた。

「どうした……何があった?痛くないか?」親指で頬を優しく撫でる。

「ううん、大丈夫……大丈夫」腫れて少し塞がった目で笑う。

 娘から理由が出てこない……恐らくは喧嘩、或いは一方的な……そして、目の回りの腫れは拳で殴ったのだろう……動物は殴らない……拳を作るのは人間……怪我自体は数日で治るだろう……その程度だ……傷も残らぬ……しかし……

 娘は私の手を取り「パパ、お家に入ろう……ママのお料理食べたい、お腹すいた」と言い私をぐいぐい引っ張るのだ……私は娘に半ば引き摺られる様に家に入る。


 食卓に居た妻は、娘の顔を見ても何も訊かずに「今日はユナの大好物のハンバーグよ」と言い、濡れタオルで娘の顔を優しく拭いた。

「ママ、チクチクするよ」傷口に染みるのだろう……妻の手の中で動く。

「ごめんね……けど終わり、綺麗に成った」妻はタオルを娘の頭に載せ……

「ユナは頑張りました……えらいね……えらい子」と言い抱きしめた。

「うん……頑張ったよ……」娘はそれだけを言った。


 その後、三人で円卓に置かれた妻の手作りハンバーグを食べた、娘はもういつも通りだった……よく笑い、よく食べ、よく話した。


 娘は夕食後、風呂に入り、また「傷口が染みるぅ!」と半ば楽しそうに叫ぶ声が浴槽から聞こえた……「あらあら……」

 と言いながら妻が風呂場に向かう……直ぐに妻から「お湯を掛けないで!」という声と共に、バシャッバシャッと音がする、そして二人の楽しそうな声が聴こえて来る。


 一頻り、お湯の掛け合いをした二人……その後二人とも2階の子供部屋に上がりベッドの入った様だ……妻が珍しく娘が寝入るまで娘の側で昔話をしている様だ……妻の声が聞こえてくる。


 ……しばらくして妻が降りてきた。


「寝たのか?……」私は訊く。

「ええ……」妻が答える。

「あの傷……」訊く。

「ええ……」答える。

「どこの子かな?」訊く

「問屋街のコルボって子……多分ね」答える。

「モルチの子供か?……大丈夫かな?」訊く。

「大丈夫!」答える。

「……ウチの子はそんなにヤワじゃない」と続ける。

「そうか……」信じる。

「私に任せておいて!」妻は大きな胸を更に仰け反らせて右手で胸を叩いた。

「私の所為かな?」訊く。

「少し前からね……」答える。

「私はダメだ……気が付かなかった」頭を垂れる。

「いえ、いえ、貴方気になさらないで、怪我をしてきたのは今日が初めて」慰める。

「そうか、しかしな、何とかせねば……」妻を見る。

「いいの、いいの、貴方が入れば余計にややこしくなるわ」首を振る。

「……そうか……情けない」又、頭を垂れる。

「貴方は政を大事にね、家の事は大丈夫……必ず何とかします!」キッパリ言う。

 もう任せるしかない、いや、最初から任せるしか無かったのだ、国の統治を任される私に、家庭内のいじめの仲裁など時間的にも、立場的にも、許される状況では無かった……

「すまない……」私は、ただただ、そう言うしか無かった。


「あの子は、あの子なりに貴方の重大な仕事を理解しているの……だから負けない……貴方はこれからも今まで通り自分の信じる仕事をしてくだされば、あの子がいつか貴方の仕事の足跡を観る事になる、そしてあの子は貴方を誇りに想うの……信じるべき大きな貴方を……あの子の為、あの子の信じるべき大きな木となり、あの子を安心させて」

 レナは長々と喋り過ぎましたとでも言う様に、恥ずかしそうに視線を外し、台所でゴシゴシと食器を洗い始めた。


「子は、知らず知らず、親の背中を見ている、という事か……」私の独り言だ……


『ならば、あの子にとって誇れる父親に成れと……』

『それが、あの子の心の寄る辺と成るのか……』

 一人想う……


 ……そんな事があった……いや他にも沢山あった……


 彼女は、多くのそういった(自身の父親が王であるという)弊害から受けるいじめ・ある意味迫害を、暴力や権力を使わずに乗り越えた……


「雇われ王」

「平民出のパッとしない小者」

「あの様な王の血筋では無い輩」


 その他にもありとあらゆる誹謗中傷……

 特に前の大臣の元で甘い汁を吸っていた者達からは、それ以上の罵詈雑言の数々……


 その矛先は娘や妻にも向かった……

 ある時は露骨に……またある時は隠蔽して……


 家族への多くの直接的攻撃は、我が商工会に加入していた盗賊ギルド(現在はスカウトギルド)の面々が事前に潰してくれてはいたのだが、それでも細かな特に言葉の暴力等は食い止める事など出来ず……溢れる……


 レナはその様な誹謗を気にせず、巧妙に立ち回り、自身の賛同者を周囲に増やしつつ、同時に彼女の自信の有る立ち振舞いに、何時しか表だって文句を言う者は居なくなった……そしてレナは陰で言われる文句など意にも介さない……無き物として葬った……


 流石、一族の中で男女含めて一番男らしいと言われる女傑……


 しかし娘にその様な母の老獪さを求めても酷な話だ……

 だから今は、娘の心を支えてあげる事が最重要、娘の心が折れてしまわない様に……

 娘の信じる父親が、周囲の中傷とは異なり、正しい政を執行していると、あの子に信じてもらう事、それが娘の心の強さになる……それが判った。


 だから、私は、今日も自身の責任を果たす……


 自分では抱えきれない責任でも、問答無用で担ぐ……


 あの子に私が正しい事をした痕跡を残す……


 あの子がいつか私の事を胸張って話せる様に……



















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