第18話 ウサギの目

 アリーは無言で、突っ張った脚を解除して1階床に降りる。

 そりゃ、そうだろう……アリーの姿は補足できなくとも、攻撃範囲からアリーの位置は判明している。

 離れるべきだ……

 アリーが俺を見る……手信号で『継続してこの1階を守れ』と指示……そして、『万が一勝手口より敵が侵入してきた場合は、自分の後を追い2階に上がれ……』と伝えながら、アリー自身は階段を登り2階へ行こうとする……当然、自身が破壊した踏み板は避け、左右の掛板を器用に踏んで階段を登る……2階の床と先程の俺が殺した敵の脇に立ち左側奥の敵本体を窺う。

「チッ……」小さな小さな舌打ち……アリーだった……

 後方に跳び……落ちながら斜め後ろの手摺を掴む……視線は前方を視ている……良く手摺が掴めるな、と呑気に俺は感心する……

 ……同時に閃光!!!……

 先程アリーが索敵していた二階の階段入口から爆風!!!そして爆音……その後、火の粉と煙が噴き出す……

 俺は手で爆発物から自身の頭部を保護する……

 火球魔法の使い手が居る!

 完全に敵の戦力を見謝った……

 思わず武器使用の暗殺集団だと……

 海を泳いで来た事から、魔法使いが居るなんて想定外だった……

 愕然としながらも、俺は目は開けて音のする方向を探る。


 かなりの爆風だが、爆風が逃げる空間が有ったのか、2階の床板は割れる事なく在った……しかし、床板に歪なRが出来ている。その周囲には大きなひび割れが……そして未だに黒煙が1階への階段口から漏れだしている……そしてアリーが刺し込んだ2階の床板の隙間からも細く出ている……凄腕の魔法使いがいるのだ……これ程の爆発を詠唱出来るのは北ラナ島でもそうそう居ない……

 その下の奥の書庫裏から小さな悲鳴が上がり……止まる……おそらくカシム達に口を塞がれたのだろう……


 俺は投げナイフを掴み、階段口から出る黒煙の中に人影を仰ぎ見る……


 先程のアリーが傷付けた敵の身体が見える……爆風により壁面に吹き飛ばされている……爆発の衝撃によりあらぬ角度に曲がった関節が見える……死んでいる……


 ……!!!トッ、トッ、トッ……


 爆発の破片が落ちる音の中で微かに異質な音を聞き取る……

 それなりの重量物を静かに床面に置く音……

 これは足音……そして重さは様々……

 静かにそれでも活発に動く多数の足音が聴こえる……

 その中にはおそらく甲種魔法使いが居る筈……

 少なくとも1名……

 もし詠唱している人影を見たなら……殺す……


 2階から音……

 ……ガゴッ!!!……

 重量物を床に叩き落とした音……

 ……バギッ!!!……

 あぁ、これは……割れた……床板……剥がされる……二枚・三枚……あっという間に、丁度人が通れる程の穴が開く……そこから微かに覗く、黒ずくめの脚…一瞬、あの穴から図書棚に隠れている青年と民間人の存在がバレるのでは無いかと思ったが、背の高い書棚に隠れた未成年剣匠と民間人は見えないだろう……あぁ、しかし敵が来る……


 ……敵軍突入……俺の頭に雷鳴の如く響く。


『……もう乱戦だ……』そう思った……そして『こりゃ死ぬかもな……』そう思う。2人対手練れ十数名……博打なら俺達が大穴……そんな事を考える俺に、アリーの手信号が目に入る。


『魔法使いは居ない』!!!そう見えた……俺の頭に?マーク……


 アリーは繰り返す……


『魔法使いは居ない』俺は頭が混乱しそうだ……ならどうして火の玉が炸裂した……投石機?いや、明らかに爆発……謎は残る……しかしアリーを信じる……もしかしたら、何らかの敵の新兵器かも知れぬ……と頭で考えつつも、索敵を続ける……


 侵入経路は階段からと床穴からだが、いずれも差ほど離れていない、索敵はほぼ同時に出来る……

 敵はどちらから???……俺なら両方から雪崩れ込む。

 何故なら、両方の経路をたった2名で守るのはかなり困難だからだ……

 容易に想像がつく……

 敵からすれば床からの攻撃と投げナイフで我等の人数を二名以上だが、多くても数名程度であり、人数では圧倒していると判っているだろう……人数が潤沢なら、床下攻撃で足止め後、2階に攻め込んで来てもいい筈……おそらく敵には我等の時間稼ぎ作戦がバレている。

 屋外で戦っている同胞もまだ、剣激の音がする……まだこちらに加勢する気配はない……

 まだ二人で凌ぐしかない……

 俺は自分に言い聞かせる……腹に力を入れる。


 ……とても恐ろしい事だ……


 それは侵入経路が増えた事ではない……彼等の覚悟だ……或いは、非情さと言っても良い……


 彼等は動けない仲間達に向かい何かを爆発させた……

 穴から微かに横たわる身体が在る……焦げた臭いと動きの無い身体から死んでいることが判る……彼等が殺したのだ……

 アリーの時点では脚を斬られ行動に支障が出ていても、死んではいない……

 ……仲間を見棄てられず、戦闘人数が減る事を期待したアリーは舌打ちせずにはいられなかった……まぁ、暗殺集団で在れば、味方を犠牲にする可能性も有り得たが、2階の床までぶち抜くとは想定外だった。


 ……否が応でも、この街を占拠する……如何なる犠牲を払っても……あの爆発はそう言う意思……他の進路に今から変更するには時間と手間が掛かる……何としてもこの事務所を通り、我等を殲滅するという意識。


 2階から足音がする……穴に進む足音が……先程の攻撃から我が人数を少人数と判断したのだ。

 だから今の人数で押し込み攻めればイケると踏んだ……じわじわ攻めて徒に味方を減らす前に制圧してしまえと……そんな所か……よもや二人とは思っていないだろうが……


 そしてもし俺が敵なら、二ヶ所から同時に侵入する、相手は少人数、武器も現状通常武器で魔法使いも見当たらぬ。

 総数十数人が突入すれば階段と穴、何れかの人員配置の薄い経路が突破出来よう。


 ……占拠出来れば、敵側が籠城する側だ。

 今度は我が軍は管理事務所と外側の敵軍に挟まれる事になる。

 我等は大幅に不利となる。それは避けねば成らぬ。

 二人対十数名……勝ち目がない……

 どうすれば生き残れる……


 ……死が観える……近くに在る……


 ……俺の近くに……峡谷の時とは比較に成らぬ……

 ……首筋の髪が逆立つ……


 ……ユナ……

 ……窓枠に切り取られた美しい背中を見せて……

 ……俺を振り返り見ていた……

 ……遠くから……

 ……あの距離から俺は彼女の表情など解りはしない……

 ……それでも寂しげな、悲壮なユナを俺は観た……


 ……死にたくない……死にたくない……

 ……逃げたい……逃げ切りたい……


 ……逃げきりアイツの元まで……抱き締めるまで……


「馬鹿者!!!……に憑かれるな!!!」似つかわしくない怒声。


 ハッとして、怒声の方に首を向ける……アリーだった……柔和だった顔が戦神ハギの様に煮え繰り返っている。


 俺は思う……『アリーどうして叫ぶ……それじゃ、相手に位置を捕まれる』


 ……どうして俺が馬鹿者なのだ……

 ……まぁ、本来、声など発したく無いだろうが……


「…?!!…」

 俺の頬に冷たい雨……室内だ……左手で頬を拭う……拭った手甲を見る、鈍い金属の上に引き摺られた赤黒い線……


 血だ……俺の?……

 思い描いたユナの顔が今はもう居ない……


 俺は身体を右後方の長机に横っ飛びし、2階からの遮蔽とする……同時に左側を見る。


 細く小さな棒手裏剣が建物の柱に刺さっている。

 俺の頬を傷つけたモノ……


 その鋭利な刃から放たれる鈍い光……


 バカだ……阿呆だ……

 白昼夢に逃げ込んだのだ俺は……

 一時、生を手放したのだ……

 死んでも仕方無し……

 アリーの叱責が救ってくれた……

 首を捻っていなければ今頃……


 何が『死に狂いだ』……

 そんな境地に一時でも至ったとしても、この状況下、俺は案の定『死にたくないと』思い……『死の恐怖から逃げようと妄想し』……そして結果、俺の身近にいる『死』に全く気が付かなかった。


 アリーを見る……アリーは俺を一瞥した後、移動する。

 声から位置を特定された筈……移動は必然だった。


 アリーの冷徹な瞳……

 俺が正気に戻った事を俺より診ている……鉈を俺に放る。


 鉈を受けとる……腰のベルトに差し込む。

 手信号で『1階で生き残れ』と指示。

『了解』の手信号。

 アリーは俺を見て頷き、彼は音も立てずに1階の窓枠に近付く。

 あぁ……そこは俺が最初に管理事務所入ってきた時に彼を見た場所。

 彫像の様に立っていた場所。


 観音開きの窓を開ける……その先に非常に頑丈そうな鉄製の雨戸……敵側入って来れない様に頑丈に閂をしてある、それを外す。

 音がしない……窓枠の周囲に油が塗られているのか……その為か……開いた窓枠を掴み身体を外へ出す。

 石壁の隙間に指を差し入れ、身体を更に引き上げる……まるで蛇の様に……スルスル……窓枠に足を乗せる。

 もうアリーの身体は窓枠の上に足を置き……その指は二階の鉄柵が付いたベランダ床に掛かっている。


 懸垂の要領で身体を引き上げ、身体をくの字に曲げて足をベランダの床に乗せる。両手と左足でぶら下がる。

 足の筋力も使い、ベランダの鉄柵を左足で蹴りながら鉄柵に身体を引き上げる。


 ……そしてアリーの右足が見えなくなった……


 俺も壁は登るが、アリーの技量は数段上だった。

 柔らかく、音も立てずに……ベランダのその先は管理長室……その先のドアを開ければ、右側に爆発した通路が見える筈……


 俺が視覚や聴覚から想像できるアリーの行動はここまでだった。

 おそらく、管理長室から襲いかかるのだろう……たった一人で……勝算があるのだろうか……大勢に囲まれて、数人を巻き添えにして、膾に刻まれるのではないか……俺には彼が死に逝くように思えた……


 しかし俺はここを護る……我等の籠城場所を護らねば……最悪の状況……それは、外で戦う同胞が負け、味方は俺とアリーの二人だけに成る事……ローレン大将達が負ける可能性は少ない思うが、戦は何が起きるか判らぬモノ……考えておかねばならぬ……また、先程のような爆発が起きれば形勢は逆転してもおかしくない。


 突然、2階から怒号……立て続けに……アリーの声では無い事に俺は少し安心する。


『始まった……』


 俺は1階への侵入経路の2ヶ所を睨む。

 見つけ次第、殺す……その考えだけに身体を動かす。

 その他の考えは自身の

 思考から排除する。


『見つけて……』

『殺す……』


 思考を単純化する……

 戦闘に必要な思考以外排除する…

 凪の海の様な心持ち……

 俺の感覚器が1階の部屋全体に拡がる様な……

 1ヶ所を観ない……そして全体も観ない……


『観れば』観たもの以外が自身の注意から外れる……

『全てを観て……そして全てを観るな……全体を朧気に観よ』師匠がコツを思い出す。


『ウサギの視野は360度だそうだ……首を回すことなく自身の周囲を観る事が出来る』師匠の次いでの雑談……


 人間にはその様な事は出来ぬ、そして、人体の構造上視野は前方に拡がる……眼球が顔面の前方に付いている以上、それは仕方の無い事だ。


 更に言えば、人間の視野は200度程度だが、注意して視れる視野は前方中心の数度~40度程度しかない、これが所謂、有効視野だ。

 そして人間は無意識の内に自身の興味の対象をその有効視野内に収める。


 そして、その40度程度の視野に注視すれば、当然だが残りの160度は隙だらけになる。


 我等剣匠は、周辺視野と呼ばれる、この残りの160度を観れる様に訓練する……いや、本当は観ているのだが認識出来ない……これは人間の視野の特性だ……周辺視野は動くものには敏感だが、不動のものには気が付かない事が多い……この特性が俺がアリーを見失った事の一因である筈……アリーは人間の有効視野から外れるのだ……そう自身を配置する……まぁ、あれほど自身を消せる理由は、他にも技術が在りそうだが……


 俺は意図的に意識を有効視野に持って行かない。

 持っていけば視野が狭まる。

 そして恐怖心も視野を狭める。


 人間は恐怖を見てしまう……

 相手の武器に……相手の拳に……

 そして目前の恐怖を前にして、その他の恐怖を見失う……


 先程、俺の頬を掠めたナイフの様に気が付かぬ様に……


 そんな愚はもう犯せない……


 俺は、漸く朧気に周囲を視る事無しに観る……


 こんな時、俺は戦闘時の顔とは思えない程、無表情となる……仕方ないんだ……自身の思考容量に顔の表情作成を入れることすら勿体無い……戦闘に顔面の表情は必要無い……そんな余裕があるなら、俺の思考は全て戦闘に捧げる。


「ギャッ……」悲鳴ともつかぬ声……2階の階段口に立つ敵の首に投げナイフが刺さっている……悲鳴は途中から血の泡に変わる……敵の身体が前方に倒れる……階段の手摺に顎を強かに打ち付け引っ掛かった顎は、手摺を低い方に滑り……伸びきった身体の重みで手摺から顎が外れ、アリーが先程の斬り付けた踏み板に柔らかく着地した。


 俺は投擲した右手を胸元に引き寄せる……


 敵から奪った丁字寸鉄を右手に仕舞う……


 更に次の投げナイフを右手に持つ……


 左手の小指には先程の小刀……そのまま握り込み正拳を作る。


 何時までも投擲武器の戦闘は好ましくない……近接戦闘の距離に持ち込みたい……左手のジムの手甲を一瞬見る……


 ……!!!……


 音も無く開けた穴から黒い衣装の敵が落ちる。

 一人、二人……

 スルリと受付窓口の机に隠れる。



 長机から除き見る。


 階段にも視界の端に半身が見える……まだ致命傷を与えられない部位しか見えない。


 ……敵、先ずは三体……


 どうする……どう来る……


 上からは靴底が床を叩く音が響く……

 俺の上から……建物の位置関係からなら、アリーが侵入した管理長室だと判る……


 ……出る……敵の数が増える前に……


 俺は長机から跳び出す……

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