第38話 独白
シキがスースを魔法で撃退した。
そのあとすぐに宿屋の裏手に、討伐に出ていた「フラルゴ」の剣士サンドラが馬に乗って駆けてきた。
丸焦げのすでに息絶えたスースを見て事態を察知したようで、まずは一匹包囲網から逃してしまったことへの謝罪と、安否確認をしてきた。
周囲を再度警戒して更なるスースの生き残りがいないか見回りをしてきたらしい「フラルゴ」の他の面々と落ち合い、ひとまずは討伐完了の合図である村の鐘が鳴らされた。
明日改めてスースの解体作業などが行われるそうで、リヒトやシキ、宿屋の店主夫婦の無事を確認したバルロは、危険に晒して申し訳なかった、と改めて謝罪を口にした。
そのまま彼らは事態の報告や事後処理のために村長宅へ向かった。店主からリヒトやシキはひとまず夕食や湯浴みを提案されたので、それに従うことにした。
「フラルゴ」の面々とやり取りする時もそうだったが、シキはずっと表情を暗くしたまま言葉数が明らかに少なくなっていた。
食事を終え、湯浴みで身を清めたら時刻は既に深夜となっていた。
領都ユーハイトからの旅で野営続きだったので、久しぶりにベッドの上で眠れること、そして湯殿を使わせてもらったことでリヒトは眠気を感じていたが、それよりもシキのことが気になってしまった。
「……シキ? 大丈夫かい?」
二人きりの部屋でようやく一息つけたのだろうか、シキが顔を上げたかと思うと、その顔はくしゃりと泣き顔に歪んだ。
「(……ああ、悪いことをしてしまったんだ)」
リヒトはシキと視線を合わせるようにしてかがみ込むと、両腕で包むようにして抱きしめてやった。
リヒトの肩口に押し付けたシキの顔のあたりが濡れるのを感じる。泣かせてしまったようだ。
「……注意が足りなかったよね、怖い思いをさせて悪かった」
「…………リヒト、さん、が…………」
嗚咽を堪えつつ、言葉の続きを待つ。
少しだけの時間なら外に居ても大丈夫だろうと甘く考えていた。普段、樹海の中に薬草を採取するときも、魔獣避けの香を焚きながら歩く。強さの程度は変わるが、全く遭遇しないわけではない。ある程度ならやり過ごせる自信があった。
でも今回は、遮蔽物も何も無い。しかも武装した兵が近くにいる訳でもない一般人である店主と二人して、無防備にも注意喚起がなされている中、屋外に出てしまった。
もしもシキが魔法が出来ない、ただの人族の子どもだったなら。
もしもシキの魔法が失敗して、スースを撃退していなければ。
もしも――。
おそらくそんな膨大な可能性を考えて、シキは怖くなったのだろう。もしかしたらリヒトが取り返しのつかない事態になってしまったかもしれないと。
「リヒトさんが、いなくなったら……、って、考えて、すごく、怖かった」
「ごめん、ごめんね、シキ」
生きることを、惰性で考えていたかもしれない。巡り来る毎日が当たり前で、呼吸をすることも、立って歩くことも、そんな当たり前の毎日がただやってくるのを享受するだけの日々。これまではそれでよかった。
でも、今は隣にシキがいる。まだ庇護を必要としているが、懸命に生きようとしている存在が。
そしてそのシキが、リヒトを必要としていて、頼っている。大切だと思ってくれている。
「(もう、一人で生きている訳では、無いんだから)」
腕の中の命を尊く思うように、また相手もリヒト自身をかけがえのないものとして見てくれている。
「これからは、危険なことはぜったいにしないって、約束する」
「……うん、約束だよ、リヒトさん」
ぐすぐすとまだ涙はこぼれ落ちていたが、安心したのかシキの顔には少しだけ笑顔が戻っていた。
まだ瞼は赤いものの、シキは一旦落ち着きを取り戻した。二つ並びのベッドにそれぞれ向かい合って腰掛ける。
「リヒトさん、僕、やりたいことが一つできたよ」
「……うーん、とても想像がつくけど、何か聞いておこうかな」
リヒトは少しだけ苦笑いをしたが、シキは真剣そのものだ。こういう真っ直ぐな顔をしているシキはとても好ましいが、これまでのやり取りからこの後のシキの発言が推測できてしまう。
「戦闘訓練!」
「ほらやっぱり……」
頭を抱えるが、戦闘能力皆無のリヒト自身にも原因がある。
「リヒトさんが薬草採取するときだって、『隣人』さんが居ないと危ないんでしょう? なら僕が強くなればリヒトさんの採取のお手伝いができるよ」
「ぐ……」
まさかまだまだ幼いと思っていた子どもに理論で詰められるとは。
リヒト自身の戦闘能力スキルに関しては低いと称するよりもマイナスだと言った方がいいレベルだ。能力を既に開花させているシキの方が遥かに強い。あとは実戦経験を積めばいいだけだ。
「お願い、リヒトさん」
じっ、と上目遣いでまっすぐに琥珀色の瞳で見上げてくるこの眼差しに、リヒトは非常に弱かった。
「……わかった、訓練するのをむしろお願いするよ。そもそも私に自衛の力が無いのも問題だよね」
「レイセルさんも、リヒトさんには戦わせるなって言ってたから、僕がかわりに強くなるよ!」
任せて!と力強く頷いたシキは、先程の泣き顔の名残も消えて、非常に頼もしい顔立ちをしていた。もう、庇護されるだけの子どもでは無いのだろう。
「適材適所、っていうことかな……。たしかにシキが今後成長して大きくなってくれて、力仕事とか任せられるようになれば採取の幅も広がるし、畑ももう少し大きくできるから、すごく頼りになるよ。もちろん今でもとても助かっているけれど」
「僕、早く大きくなるよ!」
生き生きとしたシキの顔に安堵したリヒトは苦笑しながら返事をした。
「ゆっくりでいい。やりたいことをやりながら、ゆっくり成長すればいい」
□ □ □
討伐から一夜開けた翌日。
村の若衆と「フラルゴ」一同は討伐地に再び赴き、血抜きを施されたスースの解体作業をすることとなった。
結局、五十以上に及んだスースの群れだったらしく、損壊の激しい亡骸は夜のうちに焼却したとのことだ。
半数以下にはなるが、剣士のサンドラや弓使いのモーガン、近接戦闘ではナイフ使いのヤッヒたちが処した亡骸は損壊が少なく、これらは昨夜のうちに血抜きまで済まされており、解体した肉は食用に回されるそうだ。
「半数以下とはいっても……とても壮絶な絵面ですね……」
「まあまあの収穫だな、ほら、リヒトさんは無理せずに火が周囲に回らないようにだけ見ておいてください」
バルロに促されてリヒトは解体組ではなく、火の番を任された。
一夜のうちに燃えきれなかった塊を寄せ集め、灰になるまで焼くのを見届ける仕事だ。集落から距離はある場所だが、他のものに燃え移らないように目を光らせておく。
時折、若衆の数人が出来た灰をかき集め、魔獣の血で汚れた地面に撒いていた。亡骸を燃やして出来た灰をかけて、新たな魔獣を呼び寄せないためだ。
シキはというと、幼いながらも大人に混じって解体作業に加わっていた。スースはシキの体の数倍は大きいが、大人たちに手解きを受けながら一生懸命にナイフを動かしていた。
解体組は皮の前掛けをかけているが、総じて血みどろに汚れている。シキも、慣れない魔獣の解体に悪戦苦闘したのだろう、数刻も経てば頭から指先まで血で汚れていた。だが、遠目に見てもその表情は真剣で、新しく学べることを幸せに感じているようだった。
「(――ただ、申し訳ないが、私は立っているだけでやっとだな……)」
遠目だとは言っても大量の魔獣の血液や肉塊に、少しずつリヒトは血の気が失せていたが、シキの保護者でいる手前、少しでも討伐の後片付けに貢献していたかった。
薬屋をしておきながら外科的処置ができない点については、以前レイセルに指摘されていた。
医術の知識も必要に応じて得てはいるが、シキが戦闘訓練をするならば、必要にかられる場面も出てくるかもしれない。――考えたくは無いが。
「(……医術の知識も深めるなら、やはり王都かな……)」
まだ冷たい風が吹く中で、たゆむ炎を眺めながらこの先のことを考える。
「リヒトさーん! 解体終わったみたいだよー!」
ぶんぶんと両手を振って笑顔を向けてくるシキに、リヒトは思考の海から這い上がった。
シキと相談だな、と結論づけて、リヒトは返事がわりに手を挙げた。
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