第37話 彩乃に染まる

 和歌の指に力が込められ、そして音と共に銃弾が発射される。

 同時に結花千と彩乃は左右に分かれた。

 銃弾はもちろん、結花千の方へと、


「なにっ、今の気持ち悪い動き!?」


 叫んだのは彩乃だ。

 彼女が見た銃弾は、鳥のように結花千の後ろを追跡している。


「絶対にはずしたくないという想いからこの銃を選んだんだ。発射された弾は、絶対にはずれない。狙った獲物を貫くまではどんな障害物も避けて通る。だからな、ゆか、逃げられるものなら逃げてみろ」


 結花千は和歌の声も聞こえず、港町の空き家へ逃げ込む。

 部屋は既に荒らされていた。


 窓をすぐに閉め、銃弾から身を守る。

 銃弾に威力があれば家は壁として機能しないが、そうでなければ密室に閉じこもる事で銃弾は行き場を失うはずだ。


 壁を壊せずに埋まるはず……、この対処は案外、唯一とも言えるものではないか、と彩乃は上から見て思ったものだが、些細な穴も銃弾は見逃さない。


 対処法のではなく、この家の壁にある僅かな穴も見逃さず、銃弾は侵入する。


 障害物を避ける、それは迂回に限らない。

 ねずみが通る隙間から、ぬうっと、銃弾が顔を出し、部屋の中で安堵していた結花千を捉えた。


「う、そ……っ!」


 ……鉄壁がゆえに、侵入を許せば袋小路だ。


 狭い空間、障害物など小物しかない。

 外に飛び出すにしても行動が一つ挟まる。


 扉を開ける、窓を閉めるなど。

 その間にも銃弾は距離を詰めている。

 だから結花千は迎え撃つ。


 避けられないのであれば破壊しよう、と。

 結花千は手近にあったフライパンを手にし、バッターのように構え、銃弾に向けて思い切り振り抜いた……が、銃弾はフライパンを綺麗に避け、U字のように軌道を描く。


「甘い。避けると言っただろう」


 和歌のそんな声が聞こえた気がしたが、思い込みだ。


 ここは密室。

 隙間があるので厳密には違うが、外の声が聞こえるほど壁は薄くない。


 すると、すれ違った銃弾が振り向き、結花千を見る。

 狙うのはその背中だった。


 偶然、結花千は振り切った勢いそのままに足が崩れ、前のめりに転んだ。

 そして銃弾が結花千のいた場所を通過する。


 銃弾に感情があれば、あれっ? と言っていただろう。

 そんな反応だ。


 きょろきょろと周囲を見て、地面に伏す結花千を見つける。

 同時に、結花千も、来るッ、と感じる。


 呼吸が合ったと錯覚するくらいに同時だった。


 近づいては離れる磁石のような攻防。

 避けられ、また結花千を貫けなかった銃弾は床付近でピタッと止まった。

 そしてぬるりと、起き上がった的を見上げる。


「……直線の動きしか、できない……?」


 ぴたっと止まって、ぐんっと動く。

 曲線のような滑らかな動きは少ないように思える。


 先ほどのUの字のような動きも最短距離を進むためUの曲線部分はスムーズであったが、避け始めと避け終わってから結花千に向かう時の動きは、カクカクと精密機械のようだ。


 弱点のようなものが見えた気もしたが、依然、結花千が不利のままだ。

 終わらない攻防の末に力尽きるのは人間の結花千である。

 であれば、そうなる前に……。


 自分の服を思い切り噛んで力を込める。

 結花千は覚悟を決めたのだ。


 噛んだまま、彼女は思い切り叫び、己を鼓舞させた。


「――だったらいっその事、受け止めてやる!」


 銃弾がぐんっと結花千の元へ。

 一度避けると、銃弾はぴたりと止まる。


 方向転換するその間を狙う。

 結花千は銃弾の前へ腕を出す。

 次には、銃弾が腕を貫いていた。


 腕から流れる血と共に、銃弾がからん、と床に落ちた。


「――――ッ」


 片手で腕を力強く押さえる。

 痛い、涙が出る。


 しかしまだ一発。

 和歌が二発目を撃ってくれば同じように対処するのだ。

 痛みに悶えている暇なんて結花千にはない。


「はぁッ、はぁ……っ! 血を、止めないと……!」


 血を流し過ぎても神は死ぬ。

 向こうより頑丈とは言っても結果は変わらない。


 だから対処法も変わらない。

 とにかく、今は血を止める布が必要である。


 布がありそうなクローゼットに手をかける。

 服があれば千切って腕に巻きつければ包帯代わりに……というか包帯ないの? と冷静ではない結花千はぼうっとしながら開けた。


 中には破れた服と一緒に、五歳に思える子供が隠れていた。




 対象を追いかける銃弾、確かに脅威だ。

 一対一では、だ。


 しかし、二対一では和歌が確実に不利である。

 彩乃は気づいていた。


 追い続ける銃弾は同時に一発しか撃てない。

 結花千を貫くまでは二発目を込められないし、撃ち出せない。

 そういう銃なのだ。


 つまり結花千が逃げ続けている間、和歌は無防備だ。


 しかし、それを見落とす和歌ではない。


 結花千はなにをするか分からない恐さを持っているが、彩乃はなにをするか分かっているからこその恐さがある。


 彩乃ならこうするかもしれない、そんな冗談のつもりが正解してしまうような直球さがある。


 だが、予想できるという事は対策もできるわけだ。


「なにも準備をしていないわけがないだろう」


 ナイフを握る彩乃に和歌が指摘するが、気にせず彩乃はナイフを突き出す。


 間合いを一瞬で潰すナイフは、点と点の瞬間移動ではなく、点から点への線上を高速で進んでいる。


 だから過程が極小だが、存在するのだ。

 間に壁があれば激突する。

 ただその場合は壁にナイフが刺さるだけで、彩乃が壁に突撃するわけではない。


 それを踏まえて、彩乃への対策は実は簡単なのだ。


「ん?」


 ナイフが肉に差し込まれた、と感覚を得たが、相手は和歌ではない。

 中学生くらいの、女の子だ。


 和歌が目を細め、


「……ごめんな」


 少女は答えず、その場に倒れた。


 ……死んだ? 

 いや、心臓を突いたわけではないので手当てをすれば助かるはずだ。

 彼女は倒れながら痛みに悶えている。


 和歌を庇ったのだ。

 そしてぞろぞろと、周囲の建物の陰から出て来る中学生くらいの少年少女たち。

 なにも喋らず、黙って和歌の傍に集まり、彼女を守ろうとする。


 その瞳には人間らしさなど欠片もなかった。


「ナイフとの間になにかを挟めばいいわけだよな。にしても、人間扱いをしなかったお前が人間らしくないと言うとは」

「人間らしくない、というか、機械みたいだって意味で思ったけどね」


 少年少女たちに囲まれそうになり距離を取ろうとしたが、箒は間合いを詰める前の場所に置き去りにしたままだ。


 戻れば背中を狙われる。

 だが、このまま易々と狙わせるわけにも、と思ったが、なぜか攻撃してくる気配がなかった。


 ただ彩乃を観察しているだけだ。

 同時に彩乃も気づく。


「……和歌先輩、信仰者たちの設定をいじったんだ?」


 無神論者の設定をいじり、言う事を聞く操り人形にする事はできない。

 もしもそれができれば、今のように世界を巻き込む騒動にはなっていないのだ。


 設定をいじれるかどうかの判断は、神を信じているか否かである。

 神への敵意が強い者はエネミーとして認識されるため、神の権限でもどうにもならない。


 逆に信仰者であれば神の思うままに設定できる。

 今の和歌のように。


 神を敵視する無神論者が増えても、決して神を裏切らなかった信仰者たちを操り、今、こうして守らせる事だって可能なのだ。


「それ、人道的にどうなんだろうって、前に言ってなかったっけ? それともたくさんの子たちを既に殺しちゃった後だから、もう数人がいなくなろうが関係ないって?」


 和歌はなにも答えなかった。

 だから彩乃も言葉を重ねる。


「こっちに染まってきたじゃん。それとも目的を達成させるためなら手段は選ばないようにした感じ?」

「そうだな……、世界を救うためなら、多少の犠牲も仕方ないだろう」

「ふーん。本当にそれが目的なわけ?」


 彩乃には、多少の犠牲を払ってでも世界を救いたい、という気持ちが和歌にあるとは思えなかった。


 世界を救う、というスケールの大きな事を目的として、執念深く目指せる者なんていないだろう。


 彩乃はそう思う。


 結花千はニャオを救いたい、ただそれだけのために全世界を敵に回している。


 実姫は結花千に、ニャオよりも想われたい、という個人的な願望があり、世界を救う事など二の次だ。


 彩乃はそもそも、世界がどうなろうがどうだっていい。

 また一から作り直せばいいだけだし、と今の暴動を重く捉えてはいない。

 面白そうな方に加勢しているだけだ。


 では、和歌は一体なにを目的として、動いているのか。


 境遇は実姫とよく似ている。

 辿った道もほぼ同じだ。

 違うのは結花千への想いだけだ。


 実姫はこう言っていた。

 ずるい、と。


 結花千だけ、自分の大切な物を自らの手で始末していないから。

 ……自分ができなかった事を、やり遂げようとしているから。


「全部を見透かしたような、その笑みはなんだよ……」


 彩乃は楽しそうだった。

 正義感を振り回すだけのつまらない先輩じゃなくて良かった、と安堵しながら、もっと大好きになったような同族の目を向ける。


 人の不幸は蜜の味、とでも言うのか。

 傷の舐め合いを望んでいるのか。


 和歌は結花千を、ずるい、という言葉では済ませられなかったのだ。


「結局、和歌先輩は同じ目に遭わせたいだけなんだよね。ゆかちーに、ニャオを始末してほしいと」


 いや、そこまでは望んでいないだろうと訂正をする。

 もっと現実的なものだ。


「ニャオを諦めてほしい。そのためには身内の犠牲も仕方ない。そう思ってる」

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