第8話 崩れる平穏

 いつもと変わらぬ朝を迎える。そうきっと何も変わらない。顔を洗い、簡単な朝食を取ると開店準備を始める。通りに顔を出すと笑顔で挨拶を交わし、一日の始まりを実感した。

 カルガの言う通り、世の中は平穏だ。誰もが何食わぬ顔でいつもの日常を送っている。僕もその日常に埋もれよう、言われた通りに何食わぬ顔で日常を送ろう。僕が願うのは平穏な日常の訪れ。だけどそれは静かに崩れて行く。僕が願う平穏な日々はやって来ないのだろうか。また憂鬱がゆっくりと寄りかかって来た。


 つつがなく進んでいた一日が半分ほど過ぎる。それは静かに扉が開き、日常の崩れる音が僕の頭でガラガラと音を立てた。言われなくてもこうなる事は予想していたが、まさかの本人登場とは。


「いらっしゃいませ。ユウ・モトイ様。いかがなさいました? 勇者様とは縁のない店ですが。そちらのお嬢さんも何か、お探し物でもございますか?」


 パレードで何度となく見た顔、お付きの人はマスクをして、布で顔を覆っている。目だけしか見えないが綺麗な赤い瞳が印象的だ。何故か僕の方へ驚きの目を向けている、何でだろう?


「お嬢さま⋯⋯フフフフ。ミヒャお嬢様。いかがいたしましょう」

「⋯⋯ユウ。遊ぶな」


 あれ? 何か間違ったのかな? 気が付くとふたりのやり取りをポカンと見つめていた。ユウの来店目的はおおよそ予想がつく、ここに辿り着くのは分けない事だ。


「昨日ここにアサトが来なかったかい?」


 ユウの真っ直ぐな問い。そのストレートな問い掛けに僕はニコリと笑顔を返す。


「良くご存知で。昨日、急にいらっしゃったのでびっくりしましたよ」

「何か話したかな?」


 僕は少し考える。思い出す素振りを見せ、どう答えるのがいいのか必死に考えた。下手な嘘はつかない方がいい。


「たいした事は話していません。というかほとんど話していません。すぐに帰られましたし、結局何をしに来店されたのか分からずじまいなのです。鍵屋に何用があったのでしょうか?」


 勇者を前にしながら落ち着いている自分に少し驚く。もっと慌てるかと思ったが、入って来た瞬間から僕の心は凪いでいた。


「そうか。まぁ、後で本人に聞いてみるよ」


 本人に聞く? 

 思わず表情に出そうになるのを堪えた。

 生きている? 

 いや、生きていたら即連行されるはず。


「そうですか。それで今日はどうされたのですか?」


 僕は小首を傾げて見せた。ユウは店内を見渡し、鍵をひとつ手に取り、何の変哲もない古いタイプの南京錠をカウンターの上へ置く。


「これを貰おう」

「⋯⋯こちらですね。銀貨五枚になります」

「手持ちがこれしかない、釣りは取って置いてくれ」


 ユウは小金貨を一枚置いた。銀貨二十枚分だ、これは貰い過ぎだ。


「これはちょっと貰い過ぎではないでしょうか」


 僕は慌てふためき釣りを急いで準備すると、ユウはその動きを制し南京錠をポケットにねじ込んだ。ふたりは踵を返し扉へと向かう。


「あ、あの、すいません! ありがとうございました!」


 勇者の背中にお礼を言う。ユウは片手を上げて答えると、動きを止めこちらに振り返った。片手を上げたまま柔和な笑顔をこちらに向ける。


「鍵屋さん、何故ミヒャをお嬢様と呼んだのだい?」


 ユウはミヒャの方へと向き直す。唐突な問い掛けに僕も虚を突かれたが、赤い瞳は目を剥き、驚きを隠さずユウを睨んだ。

 僕は頭の後ろを掻き、バツの悪い思いをしつつ答える。


「すいません。間違っていたのでしょうか? 特にないのですが単純に女性だと感じたもので⋯⋯」

「そうか。変な事を聞いてすまんね。鍵、ありがとう」


 勇者の一行は、店をあとにした。僕は扉が閉まると体の力が一気に抜けて行く。知らず知らずのうちに体は強張っていたようだ。今さらながら心臓が脈打ち、冷や汗が出て来た。体は思っていた以上に緊張をしていたのか。ただ、思っていた以上に冷静に対応出来たのではないかと思う。

 僕は脈が治まるのを少しだけ待って、仕事へと戻った。


◇◇◇◇


「ミヒャ、彼をどう見た? お嬢様の話を抜きにして」


 ふたりは馬車に揺られていた。ミヒャはユウの言葉に一瞬睨みを利かす。

 ミヒャは首を軽く横に振った。


「⋯⋯分からない。もし彼だとしたら何かしら動機があるはずだ。ただ、接した感じでは特段変わった所はなかった。少し緊張していたくらいだな」

「動機ね⋯⋯」

「⋯⋯足取りを追うより、やつの被害者からさかのぼった方が、賢明ではないか」

「そうなのだけれど。ミヒャは被害の全容を知っているかい?」

「⋯⋯いや」

「そうか。なかなか骨の折れる作業になりそうだよ」


 ユウはミヒャに苦い表情を向けた。

 報告を兼ねて、馬車は一路王族のいる城へと駆けて行く。


◇◇◇◇


 カルガの言う通り、アサトの死は公になっていない。噂レベルにもなっておらず国はアサトの死を隠す事にしたのだ。

 あれから、勇者やそれに関わる人が現れる事はなかった。もしかしたら紛れていたかも知れないが、アサトの死と繋がる物は見つかってはいない。僕は静かな日常を送っている。あの扉が開いた日から平穏は去ってしまっていた事にこの時はまだ気づいていなかった。

 いつの間にか緊張は解かれ、平穏な日常を送っていると思っていた。何事もなく穏やかな日々。カルガもあれから現れる事はなく、きっとしばらくの間は息を潜めて暮らすのだろう。

 どうやらそう思っていたのは僕だけだったみたいだ。


◇◇◇◇


「おい、ハル。ジャイアントクラウスロップを貸してくれ。愛嬌があって大人しいやつがいい」


 街の中心にあるテイム店。冒険のサポートをしてくれる動物の貸し出しをしている。テイム店の中でも質、量とも申し分ない店ハルヲンテイムのカウンターでカルガが店主に声を掛けた。エルフとドワーフのハーフ。青い目を持つ小さな美しい店主がカルガの顔を見るなり眉間に皺を寄せる。


「あんたが、ジャイアントロップ? 嘘でしょう? 似合わない」

「いいから、貸せよ」

「⋯⋯まぁ、いいわ。顔に似合わずいつも丁寧に扱ってくれるから。エレナ! アントン連れて来て」


 獣人の女の子が1m以上ある灰色の毛並みを持つ、大型の垂れ耳兎を連れて来た。足も速く、荷物も持てるので女性の冒険者からは人気が高い。いかついおじさんには似合わないその兎の頭をカルガは撫でて見せた。気持ち良さそうにする兎の姿にハルは溜め息をつく。


「全く似合わないわね」

「うるせえな。客だぞ」

「で、どこまで?」

「西だ」


◇◇◇◇

 

 勇者の間と呼ばれる一室に、ユウを筆頭にした六人の勇者が集う。天井の異様に高い豪奢な部屋に、六人で座るには長すぎるテーブルに詰めて座る。白を基調にした調度品の数々が、高貴な佇まいを見せ、ジョンやコウタは落ち着かない素振りを見せていた。


「この部屋はお上品過ぎて、いかんよな」

「だねえ。僕もここ落ち着かない」


 ジョンとコウタが互いに耳打ちし合っていると、ユウが扉から現れた。背筋を伸ばした姿勢から威厳を感じる。足早に自分の席へと向かった。


「お待たせ。始めようか」


 ユウの一言に一同の空気が張り詰める。アサトが死んでからひと月も経とうとしていた。ミヒャの一言で、被害者の関係者から割り出す方へと舵を切る。ただ、あまりの被害の多さにやる気を失うパーティーのメンバーも現れた。それを咎める事はしない、ジョンやコウタ、キリエもまた嫌気が差していた。ここまで酷いとは想像を越えている。

 ただ、王室からの仕事となれば邪険には出来ない、気乗りしない心持ちのまま犯人捜しを続けていた。


「東のリーヌ村。被害者は二人、関係者に腕利きの冒険者がいたがシロだ。しっかりとしたアリバイがあった」


 ジョンのやる気のない報告にリアーナが睨みつける。


「ちょっと! もっと気合入れてやりなさいよ! 仲間が殺されたのよ!」

「おいおい、仲間って言うけど、次々に出て来るクソみたいな話を聞かされて、お前こそ良く熱くなれるな」

「もしかしたら、何か理由があったりするかも知れないじゃない!」

「ああ? 本気で言っているのか?」

「まぁまぁ、ここで言い争っても仕方ないですよ」


 キリエはふたりを咎める。リアーナの言い分は分からなくもないが、何か自分達とは大きなズレを感じる。特段親しかったという話はない、むしろアサトはリアーナの熱さを鬱陶しいとさえ公言していた。

 何かがおかしい⋯⋯、噛み合わない。

 そう考えると何故だか背筋に冷たい物を、ジョンは感じた。無邪気な明るさが怖いと感じる。


「ねえねえ、マリアンヌはこないの?」

「彼女は来ない。この件はこちらに任すとの事だ。西のサーゴ村で治療師ヒーラーとして働いているよ」


 ユウの答えにコウタは、ふーんとだけ答えた。


「さぁ、続けよう」


 ユウがテーブルに手を置き、一同を即した。その言葉に気を取り直して話しを続けていった。

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