第6話 生が好きなんですか四十万さん〜レバーを特盛で〜

 四十万しじまさんは魅力的な女性だ。


 入学してまだ日は浅いけどそう思えてしまう。クラス内で孤立せずに済んだのは四十万さんの消しゴム落としの件があったからだし、毎日話してくれるし、昼食も一緒に食べてくれる。


 黒髪美人の容姿もどストライクなのだけど、掴み所が無いというか、神秘的というか、不思議というか……つまり少しずつ僕は彼女に惹かれている。


 だからこそ思うのだ。彼女に見合うような男になるにはどうすればいいのだろうと。


「へへへっ。四十万さんの連絡先」


 両親と夕食を食べた後、足早に自室へと避難した。何かとさとい両親の事だ。僕の変化に気付いて色々詮索されても困る。


 スマホには『四十万八重しじまやえ』の文字と着物を来た美人さんのアイコンが写っている。


「ん?」


 着物を着た女性のアイコンを拡大しようとすると。


 ピロリロリン……ピロリロリン♪


「うわっ!」


 突然部屋に着信音が響き渡り、慌ててスマホを落としてしまう。


「はぁはぁ。ビックリした……誰だろ?」


 もしかしたら中学時代の友達が近況でも話したいのかなと思ってスマホの画面を見る。


「わっ」


 そこには『四十万八重』の文字。


「どどどどどとどど、どうしよう!」


 まさかまさかの四十万さんからの電話だ。更に慌てた僕は3回4回と続く着信音に焦ってしまう。


 出ていいのかな?

 でもでも間違いの可能性もあるし。


 5回6回と響く着信音に僕は急かされているように感じてスマホを強く持つ。


 ピッ


「も、もひもひ?」


 うわっしまったぁ……噛んじゃった!


『ふぐっ『もひもひ?』って何よ。やっぱり面白いね二句森にくもりくん』

「はわっ」


 恥ずかしぬ。

 やめてください四十万さん。

 十蔵じゅうぞうの心は弱いんです。


『こんばんは二句森くん。四十万八重です』

「はわっ、あわっ」


 電話とは素晴らしい発明だと思う。

 気になっている人の声が耳元で聞けるのだから。それはまるで甘い言葉を囁かれているような気持ちになりゾクゾクとした快楽を与えてくれる。


『二句森くん? 聞こえてる?」』

「ひゃ、ひゃい! 聞こえてますっ。僕の名前は二句森十蔵です!」


 あぁ、ダメだ。

 隣の席に居る時は普通に話せるのに、耳元で声がするとなんだかイケナイ気分になる。


『うぇへへ。知ってるよ……十蔵くん♪』

「……四十万さん、反則だよ」


 いきなり下の名前で呼ぶのはダメだよ。

 心の準備が整わないから。

 スマホに写った彼女の名前を見た時から整う事は無かったのだけど。


『私には呼んでくれないの?』

「え?」


 呼ぶとは?


『私は十蔵くんって言ったよ?』

「えっと」


 何を呼ぶの?


『私の名前は四十万〜』

「四十万〜?」


 もしかしてこれって。


『その次は〜?』

「……はわ」


『"はわ"じゃないよ?』


 わかってるよ、わかってるけど。

 いいのかな?


『や〜?』


 ここが分水嶺か!

 漢、十蔵いきます!


「や、や……」


『そういえばさぁ、今度の土曜日に出かける場所なんだけど』


 がはっ。

 上げて落とす作戦ですか四十万さん。なんと策士なんでしょう。


『聞いてる十蔵くん?』

「うぅぅ」


 ちょっとイジけてもいいよね?

 僕の一世一代の勇気を弄んだ罰だよ。


『ごめんってば十蔵くん』

「……あ、あの。できれば二句森のままでお願いします。まだちょっと心の準備が」


 このまま下の名前呼びが定着するとあらぬ誤解を産んでしまう。四十万さんに迷惑がかかるのは嫌だな。


『まだ……ね。わかったよ二句森くん』

「ありがとう四十万さん」


 しばらく無言の時間が流れる。何を話す訳でもなく、彼女の浅い息遣いだけが耳元に張り付き時計の長針を進めていた。


「えっと、四十万さん時間大丈夫?」

『ん?』


 何か話さなければ。


「ほら、通話料金とか夕ご飯とかお風呂とか」


 何を言ってるんだ僕は。


『通話料金は無制限だから大丈夫。夕ご飯はさっき食べたしお風呂は……』


 お風呂は?


『うぇへっ。今入ってるんだよ?』

「ぐはっ!」


 四十万さん、その情報はアウトです。


『うぇへへ、興奮した?』

「……」


 何も言えないでいると不意に彼女の声が遠くに聞こえる。


『ねぇ二句森くん。画面見てみて?』

「え?  画面?」


 反響する声を聞き恐る恐る耳にあるスマホを顔の前に持っていくと。


「――っ! ししししし、しじましゃん!」


『ね、言ったでしょ?』


 スマホの向こう側にバスタオルを巻いた彼女の上半身が写る。


 蒸気した頬がほんのり赤く染まりロングの髪をタオルで巻いた姿は絵画のようだ。耳の横から垂れる二束の黒い光沢が文字通り彼女の二房の山を覆い隠す。


 こ、これが4Kの力なのか!

 現代技術よ感謝します!


『あっ、二句森くん鼻血出てるよ』

「うぇへ?」


 奇しくも彼女と同じ言葉を呟く。左手を鼻に持っていくと確かに生暖かな感触。


『うぇっへへ。二句森くんのえっちっち♪』

「こ、これは違うんだぁぁぁ」


 僕は彼女に弄ばれる。

 

『二句森くんの血、美味しそうだね?』

「うぅ、今は冗談言わないでよ〜」

『うぇへへ、ごめんっては!』


 ティッシュを持つ手とスマホを持つ手で両手が塞がった状態で僕はチラッとスマホを覗き見る。


「し、四十万さん。できればビデオ通話は……」

『私は平気だよ?』


 いやいや僕が平気じゃないんです。

 正直鼻血が止まる気配が無いんです。


「あの……その」

『ん?』


 聞きたいことは山ほどあるのに言葉が出てこない。


 アイコンの人は誰なのか?

 土曜日の事ってなんなのか?

 どうして僕に番号を教えてくれたのか?


 頭の中にあるのに目の前のあられも無い姿を見ると霧散してしまう。


『私は生が好きなんだよね』

「ふぇ?」


 生?

 なまってなんですか?


「四十万さん?」


 僕は彼女の名前を呼ぶ事しかできない。


『二句森くん』

「はい?」


 彼女の表情が一瞬曇ったように感じたけれど次の瞬間はいつもの顔に戻る。


『また明日ね』

「え? あ、うん。また明日」


 「おやすみなさい良い夢を」そう告げた彼女はスマホの通話ボタンを押す動作をした。その時に彼女の肌色が近付いてくる画面で僕は更に鼻血を出した。


「はぁ……はぁ……レバーもっと食べよう」


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