ACT.2

 当然、彼は妻に録音を聴かせ、問い質した。


 彼女は否定するどころか、

”貴方のことは好きだけれど、他にも好きな人がいるの”

 そう言ってあっさりと認めたというのである。


 相手の男は、当時住んでいたマンションの近くのアパートにいた大学生で、日曜日に娘を遊ばせていた公園で出会ったのだという。


 大抵は智代が仕事を終えて帰宅してから、娘の千絵を保育園に迎えに行くほんのわずかの間、彼のアパートでの逢引きだったというが、いつしか自宅にまで連れ込むようになっていたそうだ。


 しかも驚くべきことに、彼女は行為の時避妊すらしていなかった。


 そして当然の帰結として妊娠した。

 智代はこう言ったという。

”好きな人の子供を産みたいって思うのは、当たり前でしょう?”


 笠井氏は愕然とした。当然妻には堕胎する意思はない。


 思わず妻を殴ろうとしたが、それも出来なかった。やはりまだ愛していたのだろう。

 数か月して、彼女は男の子を出産した。

 名前を弘とつけた。

 自分の種でないことを知っていながら、彼は弘を認知し、半年後、妻とは家庭裁判所に離婚の調停を申し立てた。


 申し立ては受理され、離婚は決定する。

 彼は最初子供の親権も主張したが、当然こういう場合、まだ上の女の子の年齢や、生まれたばかりの男の子のことも考慮され、結局親権は妻の側に行った。


  相手の大学生だが、卒業後間もなく米国へ留学をしていたので、連絡のとりようがなかった。

 智代も”メールでやりとりはしていたが、この頃は全く連絡していない”と答えるばかりで、アドレスすら頑として教えなかった。


 

 慰謝料は取らなかった。

 その代わり、笠井氏は子供達が二十歳になるまでの間、毎月決まった額の養育費を払うことにした。


『親同士が揉めているところを子供に見られるのは嫌でしたし、それに生まれてきた者たちには何の罪もないわけですからね』


 彼は半ば自嘲的にそういい、そのまま毎月定期的に養育費を送り続けた。


 一年のうち数回は子供と面会する時間を設けるという約定も交わしたが、それはほんの数回行われただけで、すぐに彼女はマンションを引っ越し、居場所を変えてしまった。


 その後はずっと住所が分からないという。


『智代とはもう離婚が成立していますから、これ以上問題にするつもりはありません。心配なのは子供たちの行方です。探し出して何とかしてやりたいと思うのが親心、いや、大人の責任というものでしょう?』


『で、それを私に依頼したいと、こういう訳ですか?』


『何とかお願い出来ないでしょうか?』


『分かりました。引き受けましょう。離婚や結婚の関係でなければ、自分のポリシーにも反しませんからね。探偵料は一日六万円、他に必要経費。仮に拳銃などの武器が必要だと判断された場合には危険手当として四万円の割増料金を付けます。詳しくはこの契約書をお読みになって、サインをお願いいたします。その時点から調査しごとにかかります。何かご質問は?』


『ありません』


 笠井氏はそう答え、サインを済ませ、俺は調査を開始した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 俺はまず、笠井智代・・・・旧姓は吉田・・・・の勤め先を当たった。

 智代は離婚が成立して間もなく、職場を退職していたから、正確には『元の勤め先』というべきかもしれない。


 彼女が勤めていたのは、昔住んでいたところから電車で30分ほど行った都心にある、玩具問屋で、彼女はそこで経理事務員として働いていた。


 元同僚、A子(25歳)・・・・

『智代さん、離婚したんですってね。驚きました。夫婦仲はよさそうでしたし、千絵ちゃんも可愛がっていましたから。相手の男性?いえ、そのことについてはまったく知りません。』


後輩B君(22歳)・・・・『笠井さんは、会社では真面目でしたし、仕事もきっちりこなしていましたからね。とても不倫なんかするようには見えなかったんですが、ただ、なんていうんですか、思い込みが激しいっていうか・・・・そんなところがあったみたいです。』

元上司C課長(49歳)・・・・笠井さんは結婚前からこの会社で働いてくれてましてね。離婚したと知ったのは、退職届を受理した時です。仕事ぶりは至って真面目でして、申し分がなかったですよ。夫婦仲が悪かったとも聞いていないなぁ。ただ、彼女本郷にある割といい家で育ったらしくて、多少世間知らずなところがあったとは聞いています』


清掃を担当していたD美さん(60歳)・・・・『智代さん、離婚して退社したんでしょう?気の毒ね、って言いたいところなんでしょうけど・・・・実は私見ちゃったのよ。だいぶ前のことだけど、仕事終わりに彼女が通用口から出てきたらね。

入り口の真向かいに男性が立ってたのよ。若い・・・・そう、その頃で20歳くらいだったかしら、あんまりよく顔は覚えてないんだけど、背が割と高くて、痩せた男の子だったわ。旦那さんは単身赴任中だって聞いてたのにって思ってたらね。すぐに手を挙げてその人の所に駆け寄って、向こうが肩を抱いたら、うっとりしたみたいな顔で見上げてキスをするじゃない?驚いちゃったわよ』

 一通り話を聞き終わり、俺は次に彼女が夫と暮らしていた頃のマンションの近辺を当たった。


 娘の千絵が通っていた保育園の保育士Hさん(33歳)・・・・『離婚されたって聞いて、驚いています。

 とてもやさしくて、穏やかで、いいママでしたからね。

 娘さんも可愛がっていらっしゃいましたよ。

 不倫について?いいえ、まったく思い当たる節はありません。でも、そういえば、お迎えの時間に何度か遅れたことがありましたね。1~2時間くらいでしたけど。

”すみません。お仕事が長引いてしまって”って、慌てて言い訳をしていました。

その時、門の前に男性が一人立っていたのを覚えています。顔ですか?そこまでははっきり覚えていません。ただ、背が高くて若かったことくらいしか・・・・ええ、帰りは千絵ちゃんと三人で帰って行かれましたよ。』


 マンションの住人、主婦Yさん(40歳)・・・・『奥さんの不倫なんでしょ?そんなことするような人には見えなかったんですけどね。相手の男性?ええ、知ってます。何度か訪ねて来てました。若い人でね。背が高くって、芸能人にいそうなタイプでした。奥さんは”近くに住んでいる、主人の親戚なんです”っていってましたけど、でも私一度だけ見ちゃったんですよ。日曜日だったかしら、夕方その男性が帰る時に、入り口のドアのところに立って、キスしているのをね。私に見られたことに気が付いて、慌てて離れちゃいましたけど』


 俺はレコーダーのスイッチを切り、シガレットケースから、シナモンスティックをつまみ上げて口に咥えた。




 


 

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