第9話 いよいよ、説得 2

 大槻青年の弁は、ますます熱が入ってきた。

 戦前にどこかの映画館で見たヒトラーの演説をトーキーでしかも実演付きで見せられているような気にさえなる。これは心して反論せねば、やられてしまう。

 老紳士は、目の前の青年の自分自身への檄文とも言うべき発言に酔わされることなく、また、目先の個々の言葉に惑わされることなく、柔和な微笑をたたえながら、自らへの檄文を述べる青年の言葉を、黙って聞いていた。

 一方の大槻指導員、思うところをひたすら述べたのはいいが、ふと目の前の老園長の穏やか極まる表情が目に入ったとき、ハッと我に返らされた。

 目の前の対手、決して怒っている様子はない。仏様が衆生でも見るような顔つきでさえある。筋斗雲に乗って世界を股に飛び回る孫悟空のごとく自由自在に持論を述べ倒した青年は、老園長の釈迦のごときその慈悲深さあふれる柔和な笑顔に、底知れぬ恐ろしさのようなものを感じていた。


 大槻君、君がいかにこの社会と自分自身の人生に真剣に向き合っておるか、よく分かった。実は、それだけの意識と熱量を持っとることが見込めたからこそ、わしは君にこの世界に来て欲しいと思ったのだ。

 これは別に、ベンチャラを述べて機嫌を取るべく申しとるのではない。ただな、あんたが今述べたことは、哲郎や西沢君あたりは難なく理解してくれるが、山上先生や東先生あたりなら、大槻君は一体全体何を考えているのかと呆れ果てよう。若い保母らにしても、到底君の熱量にはついてなど行けまい。

 もっとも君にしてみれば、そんな人らの理解など不要と思うだろうが、まあ、待ちなさい。その人たちにも、その人たちなりの人生観や社会観があって、それをもとに生きて来とるわけじゃ。あんたを否定する気はないが、あんたも、そういう人たちを否定しなさんな。何も不必要に歩み寄る必要はないが、こちらから喧嘩を吹っ掛けることもない。それだけのことじゃ。

 わしは、先ほどから君が述べるところを聞くにつれ、哲郎が昨日言っておった、大槻君は逆説的に子ども相手の仕事に向いているという言葉の趣旨が、しかと実感できた。今述べたことを何も職員会議や、まして子どもらの前で述べろとは言わんし、むしろ述べるべきではない。

 だが、今わしに述べたこと、君自身は、生涯、忘れてはならんぞ。

 養護施設というところは、子どもらだけじゃない。学校出たての若い女の子や炊事場のおばちゃんをはじめ、沢山の人の人生をお預かりしておる。そんなこの地で、職員として関わることで、皆さんに幸せになっていただくことが、この仕事の一番大事なことではないだろうか?

 わしは、あんたとの約束どおり、2年目の終る昭和45年4月以降については、この地に留まれと言うつもりは一切ない。それこそ君の弁ではないが、クルマ屋でも盛り場でも酒場でも何でも構わん。ま、墓場は当分やめとけ(苦笑)。

 岡山でなくとも大阪でも東京でも外国でも、どこへでも行って、自分らしく生きてくれたらよろしい。

 じゃが、この地にとどまって、男・大槻和男のその意識と志を、この地に植え付けて、社会を良くする灯火を灯してくれたら、わしとしては、かくもうれしいことはない。

 大槻君、私はあなたを見くびっておった。本当に、済まなかった。


 彼らは、しばらく黙っていた。次に言葉を発したのは、大槻指導員だった。

 「やっと、私の本質をご理解いただける人に出会えたようで、うれしい限りです」

 「どういうことじゃ?」

 平静を装いつつ、老園長は目前の若者に尋ねた。


 「私は、このよつ葉園、いや、児童福祉と称する業界を、正直掃きだめとさえと思っていた。学生時代は、岡山に戻ることが憂鬱でした。ですから、特急の食堂車でビールをあおりでもしないとやっていられなかった。こだま型の特急に乗って東京に出たいと思っていましたが、結果は、東海道を追われたあの電車に乗って東京に出るどころか、大阪から岡山に戻る羽目になってしまった。戻った先は、終戦直後の私が生まれた頃とさして変わらぬ空気の中で、子どもたちが惨めな思いをしながら暮らしている養護施設です。私は左翼筋の連中のように、職場や学校を変えようとか何とか、分った口を利くのは好きではありません。しかしながら、言葉は難ですが、掃きだめを、せめて人の住める場所にするという役割を負わされているのかなとも、最近、そう思えるようになりましてね」

 「掃きだめ、なぁ・・・。言われる側としては、正直、辛い。わしが至らぬゆえに、将来のある大槻君をこんな場所に連れてきたことは、本当に、申し訳なかった」

 老園長は、平静を装いつつも若者の弁の組むべきところを汲み、静かに返答した。


 「いえいえ、園長、ひとつお願いがあります」

 少し顔を上げ、老眼の入った丸眼鏡の向こうを、今どきの近眼レンズの奥から若者は見据え、老園長に対して決意を述べた。何の気負いもない、淡々とした言葉で。


 「これも御縁です。森川先生にお許しいただけるなら、このよつ葉園に引続き勤め、児童福祉の仕事を通して、この地に来た子どもや若い職員たちを導くべく努めて参ります。この地が掃きだめであるというなら、人の住める場所にして、そこから、鶴の巣立てる場所にしたい。いや、してみせましょう。私は、そう決意しました」

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