瀬戸高写真部 -2-

 岡山にある俺の家は、高校から自転車で十五分ほどの距離にある。市街地からほどよく外れてはいるが遠すぎもせず、便利のよい場所だ。


 高校に進学してから最初の週末は、自宅の整理に費やすこととなった。


「ああ、本当に荷物多すぎるんだよ。もうちょっと整理できなかったのかよ」


『荷物で一番多かったのはあんたのアルバムでしょ。それこそどうにかしなさいよ』


「写真を捨てるなんてバカなことできるわけないだろ。それ以外の荷物が多すぎるんだよ」


『そう、大変ねー』


 完っ全に他人事。気の抜けた返事をする母親に怒りがわき上がってくる。


 リビングに広げられた段ボールの山々。そして長年放置していたほこりだらけの室内。入学式前日にこっちに来たこともあり、まだ片付けはなにも終わっていない。

 頼みの親類は近くにはおらず、両親は海の向こうというどうしようもない惨状だ。家具や家電は以前住んでいたときのものが多く使える。東京の荷物を海外に持っていくなんてことは困難だったため、全てこの家に送ったのだ。しかしいかんせん、考えなしに送っているせいで膨大な荷物になっている。


『まあ華の高校生活を頑張りなさい。なにかあったら連絡して。すぐに行くわよ』


「海の向こうにいるのになに言ってるんだよ。とりあえずこっちの生活は、荷物の整理以外は順調だ」


『そう、じゃあまたなにかあったらー』


 ばたっと倒れるような音とともに、海の向こうからの通話が切れる。時差を考えると両親のいる国は深夜だ。わざわざ眠いのに連絡なんてしなければいいものを。一応一人息子を日本に残していることに思うことはあるようだ。もっとも、東京にいたときでさえほとんど家にいない両親だったので、俺からすれば生活拠点が東京から岡山に移った程度にしか感じないのだが。


 しかしとにもかくに荷物を整理と掃除を終わらせなければ平穏な高校生活は訪れない。さっさと片付けて、来週からは母さんのいう華の高校生活を送れるように頑張るとしよう。


「よしっ」


 腕まくりをして気合いを入れたとき。

 ピンポーンと懐かしいインターホンが音を立ててずっこける。


 首を傾げる。この家は五年近く誰も住んでなかった家だ。宅配なども頼んでいない。にも関わらず、一体誰がこの家を訪れるというのか。これは新聞の勧誘かNHKさんのお宅訪問かなにかだろうが。このくそ忙しいときに勘弁してほしい。居留守を使ってもいいのだが、何度も来られるのも面倒だ。早々にお引き取り願おう。


 ジーンズに薄手のシャツ姿だったので、上からパーカーを羽織り玄関に向かう。


「はーい、どちら様――」


 カシャっという音とともにフラッシュがたかれる。

 大きなレンズがこちらに向けられていた。


 ……パパラッチだった。


「おおー、本当に真也君がいる」


 カメラの向こう側から、おもしろそうに笑う顔が覗く。


「なにやってんのお前」


「いや、まだ真也君が帰ってきてるって実感わかなくて」


「昨日まで何度も会ってるだろ。今更なに言ってるんだよ」


 突然お宅訪問をしてきたのは、我らが写真部の部長、ほとりだった。


 写真部に入部してから昨日までは連日写真部の部室の片付けに費やした。写真部も本当にモノや写真が多く、散らかって散々だったため片付けだけでも非常に大変だった。

 それにお互い写真が好きな身。おもしろい写真やすごい写真を見るなり手が止まって、いつまでたっても作業が進まないという悪循環。ようやく片付いたと思えば、俺は新居の大片付けである。

 もう本当に、片付けてばかりの毎日だ。


 ほとりは丈の長いスカートに白いチュニックという姿で、カメラを手にニコニコと笑っていた。


「いやね、真也君が帰ってきてるんだよってお母さんに話したら、これ持って行きなさいって。差し入れなのです」


 ほとりが腕に掛けていた紙袋には、なにやら高そうなお蕎麦が入っていた。


 お、お蕎麦は、引っ越してきた俺が配るものであって、引っ越してきた側がもらって食べるものではないと思うのだけど……。


 俺はさぞ曖昧な表情していたのだろう。ほとりは苦笑していた。


「ま、まあまあ細かいことは気にせずに。お邪魔してもよろしいかな?」


「ああ、うん。それはいいけど、まだ散らかっててほこりっぽいからおすすめしないぞ」


 ほとりをリビングに通すと、目の前の惨状に頬を引きつらせた。

 段ボールの山々や中途半端に取り出された荷物がそこかしこに散乱している。


「さ、最後に来たのはもう何年も前だけど、本当に散らかってるね」


「なかなか片付かないんだよな」


 ほとりは不意に腕時計を見た。


「まだお昼には時間があるね。せっかくだから私も手伝おうかな」


「え? いや、悪いって。片付けくらい自分で」


「遠慮は無用かな。これでも掃除や家事にはちょっとだけ自信があるのです」


 ほとりは持っていた荷物をリビングの机に置くと、腕まくりをして両手を握る。

 そしてせっかせっかと掃除を始めた。


 お互いに会わなかった時間は本当に長く、話せど話せど話題は尽きることなく、掃除をしながら様々なことを話した。

 ほとりは本当に要領がよく、俺が開いた荷物を手早く整理し、片付けが終わったところは次から次へと掃除機を走らせ、雑巾掛けをしていく。おかげで山のように積み上げられていた段ボールはみるみるうちに氷解していき、お昼を回ってしばらくたったころには綺麗さっぱりなくなっていた。


 最後の段ボールを潰して、部屋の隅に積み上げる。崩れ落ちそうになるのを手で押さえながらリビングを見渡す。見違えるようになった部屋部屋は、それは壮観な景色だった。


「ん?」


 ふと気がつくと、ほとりの姿が見当たらない。

 どこに行ったのかと探すが一階に見当たらず、呼びかけても返事がない。これほど狭いスペースで神隠しに遭えるならそれは才能だろう。


 しかし、ほとりがどこにいるかは予想が付いた。


 二階へと上がり、昔使っていた、そしてこれから使うことになる自室へと向かう。

 扉を開けると、ようやく見慣れてきた部屋が広がっていた。ベッド、パソコンデスク、それから壁一面に本棚と、両親に頼んで新調した家具一式が並んでいた。さすがに自室の家具は幼少時のままというわけにはいかなかったので、全て新しくそろえてもらった。


 この部屋の整理はまだまだ終わっていない。一番後回しておいていい部屋なので、必要なものだけを出して、まだ空っぽの本棚横に段ボールを積んでいる。そして部屋の中央には、いくつものアルバムを開き、写真に囲まれながら愛おしげな表情を漏らす少女の姿があった。窓から差し込む日差しに僅かばかりに舞うほこりがきらきらと光り、どこか神秘的な光景だった。


 俺の部屋までパパラッチするつもりだったのか、傍らにはほとりのカメラも置かれている。


 部屋に入ってきた俺には気づかない様子で、ほとりはまたページをめくる。


 俺は机に置いていたカメラバッグから愛機であるD7500を取り出す。

 相も変わらず写真好きな少女をファインダーに収め、光降り注ぐ綺麗な世界が切り取られる。


 シャッター音でようやく気がついたほとりが顔を上げる。


「はわっ! はわわわっし、真也君! ごごごめん! 部屋をのぞいたらアルバムがたくさんあったからつい……ああ散らかしちゃってる!」


 自分の周囲に広がるアルバムを見てあたふたし始めるほとりを、もう一度カメラでパシャリ。


「ほとりのおかげで片付けは大方終わったから、写真は好きなだけ見ていていいよ。お昼ももう少ししてからで大丈夫だから」


 俺は自分のカメラを手に隅の壁際に腰を下ろす。

 ほとりは嬉しそうに笑みを浮かべてアルバムの写真に視線を落とした。


「ご、ごめんね? 私の知らない景色、人たちばかりだったから、つい」


「岡山を離れてから五年だからな」


「……真也君は、ずっと写真を撮り続けてきたんだよね」


 わずかに含みのある言い方で、ほとりは言った。


 青葉さんが亡くなってからつい先日までの三年間、ほとりは写真を撮らなかった。俺のアルバムは順番こそばらばらだが、青葉さんに写真を教えてもらったときから今まで撮り続けた写真が連綿と続いている。

 もしかしたらほとりは写真を撮らなかった空白の三年間を気にしているのかもしれない。それは仕方のないことだと思う。ほとりにとって、それだけでのことだったのだから。


 不意に床に広げられているアルバムの中に、俺のアルバムではないものがあった。

 空色の小さなアルバム。綺麗なアルバムではあるが、どこか年季を感じさせる。


「それ、もしかしてほとりのアルバムか?」


「うん。そうだよ」


 ほとりは薄く笑みを浮かべながら、自分の側に置いていたアルバムを胸に抱いた。


「覚えてるかな。お兄ちゃんがいつも言っていたこと。写真は、データでも持っていられるけど、本当に気に入った写真はちゃんと写真に印刷して持ち歩いていたほうがいいって言ってたの」


「もちろん、覚えているよ」


 パソコンデスクの横に置いていたカメラバッグから、いつも持ち歩いているアルバムを取り出す。

 俺やほとりが持っているカメラはデジタルカメラだが、それでも気に入った写真は必ず印刷して自らのアルバムに納めていた。俺が大量のアルバムに写真を納めているのもそれが理由だ。


「あ、それ真也君のアルバム? 見せてほしいな」


「いいよ。その代わり、ほとりのアルバムも見せて」


 一瞬、ほとりの表情からありとあらゆる感情が抜け落ちた。


 しかし瞬きをするほど短い時間に、いつもの穏やかな笑みに戻っていた。


「なんだ? 恥ずかしい写真でも入っているのか?」


「そ、そんな写真入ってないかなっ。はい、真也君のアルバムも貸して」


 空色と深緑のアルバムを交換する。

 壁に背中を預け、そっとほとりのアルバムに触れる。


 ほとりの好きな空色の装丁のアルバム。あの頃のままだ。


「あ……私とお兄ちゃんの写真……」


 俺のアルバムにある一枚目の写真を見て、ほとりがくすぐったそうな笑みを浮かべている。努めて気づかないふりをして、俺もほとりのアルバムを開く。


 最初の一枚目は、青葉さんの写真だった。深く色づいた木々と降り注ぐ木漏れ日の中で、俺たちと同じような一眼レフを首から提げて、写真を撮っているほとりに笑みを向けている。故人だからと写真に悲しい気持ちを向けるべきではない。ほとりが青葉さんのことを大好きだとわかる、ほとりらしい、いい写真だ。


 次の写真は、俺の写真だった。草むらに横になって、空に走る飛行機雲を撮ろうと、ああでもないこうでもないとしている写真。いつの間にか写真を撮られてアルバムに入っていて、一盛り上がりしたことをよく覚えている。


 アルバムをめくっていく。一枚、一枚、また一枚と。


 写真を撮る被写体は、人によって様々な傾向がある。

 ほとりの場合はその傾向が顕著で、人物写真が一際多い。

 アルバムに納められているほとんどの写真に人物が入っている。青葉さんや俺、両親の写真を初めとして、小学校の同級生と思われる写真、祭りで賑わう人々、川辺で戯れる子ども、遊具の上で笑う親子など。ほとりの写真が好き、みんなが好きという感情があふれていた。


 ページの中程までいったころだろうか。写真の雰囲気が変わった。


 先ほどまでの写真は俺の見覚えがある、つまりは俺がこっちにいたころの写真だ。だが途中から不意に写真が変わる。

 日付や注釈が加えられているわけではないが、写真の質感が前半に比べてまだ新しい。おそらくはこの辺りからが、ほとりが写真を撮らなかった時期の境ということになるのだろう。

 このページの間に、ほとりが写真を撮らなかった空白の三年間がある。俺の知らない風景、俺の知らない人たち、俺の知らないほとりの時間。


 しかしなにか、違和感を覚える写真だった。


 不意に、俺の写真を見ていたほとりが笑った。


「ふふ、真也君、本当に綺麗な写真を撮るよね」


 楽しそうに笑いながら、またページをめくる。


「どの写真も、そのときの一番綺麗な瞬間が写ってる。私の知らない景色ばっかりだ」


 ほとりの写真に人物写真が多いのとは対称的に、俺の撮影する写真の多くは街並みや自然を写した風景写真がメインだ。太陽の光を受けて輝く水面を泳ぐ水鳥、雨上がりの空にかかる虹と山、眼下一面に光り輝く夜景など。


 写真のアクセントとして、その場の人を遠目に入れることはある。しかし基本的には景色そのものが綺麗な場所に行って写真を撮ることが多く、人が写っていない写真も多い。


「向こうでも父さんたちがいろいろ連れていってくれたからな」


「こっちでもまたいろんな場所に行ってみようよ。昔とは違う景色、たくさんあると思うよ。さてと」


 ほとりは俺のアルバムを閉じながら立ち上がった。


「私、そろそろお昼の準備するね。キッチン借りるよ」


「悪いな。じゃあお願いするよ。ここのアルバムは、またあとでゆっくり見てくれればいいから」


「あ、ありがとうございます」


 恥ずかしそうに笑いながら、ほとりは持っていた俺のアルバムをこちらに返した。


「私のアルバムも好きに見てくれていいから。それじゃあ」


 言って、ほとりは俺の部屋を出て階下へと消えていった。


 自室には、俺一人だけが残る。


「……」


 再び、ほとりのアルバムに視線を落とす。


 たしかにほとりの言う通り、あの頃に比べると背丈はもちろん移動範囲もずっと広がっている。目線や行ける場所が違えばそれだけでも見える景色が違ってくる。


 だけど、一番違うのは感受性だと思う。

 俺たちにとって、写真に撮りたいと光景というのは、心を動かされた瞬間だ。子どもの頃と今とでは、心を動かされる場所も時間も景色も、あらゆるものが変わっている。

 俺がこの町を離れて五年、青葉さんが亡くなってから三年。それだけの年月があれば、俺たちを取り巻く世界は十分すぎるほど変化する。


 ほとりの感受性も、世界の見え方も変わったから、写真も変わったのだろうか。ここ最近ほとりが撮ったと思われる写真は、どの写真も違和感を覚える。


 だが、言い方は悪いのだが、撮影が以前より少し下手になっているように思うのだ。カメラが傾いていたのか少し水平ではない写真や、わずかばかりピントがずれている写真。些細や違和感ではあるが、小学生のときに撮った写真にはなかったものが見受けられる。


 アルバムの後半、おそらくは最近の写真になるにつれて違和感が強くなっていく。

 以前の、子どものころほとりが撮っていた写真には見受けられない部分がいくつもある。


 そしてなにより、どの写真にも、


 信じられない思いが、言葉となって心の中に落ちた。



 これが、あのほとりが撮った写真……?

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