第27話「カントリークエスト」
アセットは改めて、自分が引き起こした大惨事を目の当たりにした。
そして、貯水池のド真ん中に巨大な影が
月の光を反射して、メガリスは屈んだまま沈黙していた。
物言わぬ巨神の前では、警備の兵士が怒気を荒げている。
「おいっ、止まれ! ここは立ち入り禁止だ!」
「貯水池に近付くな! そこで止まれ!」
アセットたちは今、焦げ臭い茂みの中に身を伏せていた。明かりは月と星、そして周囲を飛び交う虫だけである。
気色ばむ兵士に呼び止められた少女のシルエットを、気配を殺しながらアセットは見守る。
その少女は、湿り気を帯びた声を必死に張り上げていた、
「わたくしに近付かないで! ちっ、近付いたら、この腕輪を池に投げ捨てますっ!」
声の主はシャルフリーデだ。
彼女の頭上にかざした手は、ミルフィがデバイスと呼ぶ例の腕輪が握られている。
やはり、先ほどの騒ぎはシャルフリーデが起こしたものだ。
予想が現実になったことが、アセットはなにも不思議とは思わない。だって、彼女も冒険の仲間だったから。気位が高くて鼻持ちならないところもあるが、シャルフリーデは善良でプライドの高い少女なのだ。
やがて、どんどん大人たちが集まってくる。
その中に、馬に
「武器を使うな! 傷付けちゃいけない。相手はまだ子供だ!」
遠目に見ても、ヴォルケンは立派ないでたちで威厳をたたえていた。
白銀に輝く
誰が見ても、
そして実際、彼は王国や諸王のために戦っている勇者だ。
だが、アセットは忘れずその姿を心の奥底に刻む。人間社会の救世主は、仮面の下にもう一つの顔を持っている。合理的な最適解を得るために、ある程度の道理や人情を切り捨てられる大人の顔だ。
「あちゃー、お嬢様かよ。アセット、お前の予想が当たったな」
「急いで助けに行くべきだ! それに、アタシはデバイスを取り返せればメガリスを動かせる。行こう、アセット!」
カイルとミルフィが急かしてくる。
アセットも、徐々に大人たちに包囲されるシャルフリーデが、風前の灯火に見えた。
彼女を助けたい。
それは迷う必要のない心からの願いで、行動を
だが、彼の考えはその先に
「……カイル。魔物の軍勢とか、そういうのは見たことある?」
「ん? ああ、去年だったかなあ。
「いや……そういうことって、どこでもあるけどさ。じゃあ、なんで魔王とかってのは、遥か北から王国を攻めてくるのかな」
「そりゃ、悪の軍団だからだろ?」
アセットは改めて、簡潔にこの間のことを話した。
ミルフィたち宇宙の民、
だが、そこには別の視点があった。
自我に目覚めた機械であるエクス・マキナにとっては、地球人類は束縛者、そして追撃者だった。自由を求めて地球を脱した
その話を聞いて、カイルはフムと腕組み唸った。
「俺がお嬢様と村にいる間、そんなことが……じゃあ、あれか? ミルフィは善玉じゃなくて悪玉だったってことか?」
「それは違うぞ、カイル」
アセットより早く、ミルフィが言葉を返す。
その内容は、アセットも感心するほどに簡潔なものだった。
真実は残酷で、ミルフィの今までは全てが否定されたに等しい。
でも、彼女はこれからをもう選び終えているようだ。
そのことをミルフィは、はっきりと言葉にする。
「良いとか悪いとかじゃない。アタシには難しい話はわからないけど……みんな事情があって、良いものになりたくて頑張ってるんだと思う。でも、みんなが思う良いものの姿は、みんな違うんだ」
だが、真実は一つだとミルフィは言う。
エクス・マキナの語った事実を、ただの嘘だと否定することもできる。自分のよりどころである人類同盟を、これからも信じていけば楽だろう。
それでも、ミルフィは再び仲間たちの中に帰って、そのことについて調べたいのだ。
自分で考え、整理して、真実だけを頼りに人類同盟を変えていけたら……そうまで語るミルフィの瞳は、夜空の星々よりも輝いて見えた。
それを聞いて、カイルもまた決断する。
「なるほどな。まあ、世の中わからないことだらけだよ。俺なんか、ロレッタもシャルお嬢様もなにを考えてるかさっぱりだ。でも」
――でも、大事で大切だってことは、わかる。
そう言って不意に、カイルは立ち上がった。
思わずアセットは、変な声が出そうになった。ミルフィの息を飲む気配も、すぐ側で感じられた。
「ちょっと、シャルお嬢様を助けてくるぜ。アセット、お前はミルフィと回り込め。守ってやれよな」
それだけ言って、カイルは兵士たちに歩み寄る。
月明かりの中に歩み出たカイルを見送り、アセットはミルフィの手を握る。
ミルフィもまた、しっかりと手を握り返してきた。
カイルに全ての視線が集まる中、二人で地を這うようにして闇の中を駆ける。
背中に感じる空気は今、無数の声で沸き立っていた。
「お、おい……お前、どうした? 子供が剣なんかを」
「こいつ、村長の息子じゃないか」
「おいおいボウズ、やめとけやめとけ! 自警団ごっこの剣じゃ俺たちには勝てないぜ?」
「ヴォルケン様、こっちです! なんか、ガキが殺気立ってやがるんです!」
カイルが心配だ。
でも、彼は迷わず歩み出た。
もともと、正義感が強くて真っ直ぐな熱血漢で、村を守るために頑張っていた。村長の息子じゃなくても、きっとそんな暮らし方を選んだに違いない。
そんな彼だからこそ、アセットは信じて自分のなすべきことを、なす。
後ろ髪を引かれる思いだが、迷ってもいられない。
夜風に乗って届く言葉も、今は不安だが敢えて無視する。
ヴォルケンの声と、シャルフリーデの悲鳴と、ざわめきと怒号と。
その全てに背を押されて、アセットは貯水池の暗がりを走った。
「おやおや、君は確か……カイル君、だったかな?」
「カイルッ、駄目! 来ないで! わたくしだって、
「裏切っちゃいないさ。裏切り者じゃ終わらせない……そうだろ?」
カイルの剣の腕なんて、大したことないに違いない。でも、昔から腕っぷしは強かったし、なにより
それに、ヴォルケンはカイルを殺したりしない。
王国を救う勇者という看板が、かろうじてあの男に
紳士的に振舞わねば、見ている兵士たちもついてこない筈である。
そして、アセットは濡れた草木の中から飛び出す。
「シャル、こっちだ! 腕輪を!」
誰もが驚き、アセットとミルフィを振り向いた。
アセットもまた、目を見張る。
振り向くヴォルケンの前に、剣を地に突いてカイルが崩れ落ちている。斬られたのか、ここからではよく見えない。
ただ、
「おやおや……これはどういうカラクリかな? アセット君じゃないか。ミルフィ君も」
平静を取り繕っているが、声が上ずっている。
一方で、応えるアセットの声も震えていた。
「ヴォルケンさん。あの腕輪は渡せません。メガリスも。あれは全部、ミルフィのものだ」
「王国の命運がかかっているんだ。駄々をこねるのはやめたまえ」
「あなたの言ってること、やってることは筋が通らない!」
「無茶は承知、無理を通せば道理は引っ込むこともある。……君は知らないな? 魔王の軍勢がいかに恐ろしいか。俺は最前線で見てきた」
ヴォルケンの声が熱を帯びる。自然と、王国が直面した危機の大きさがアセットにも知れた。だが、彼の要求には正当性がない。王国の為、民の為……そうは言っても、ミルフィから力を奪おうとするのは筋違いだ。
同時に、より強くシャルフリーデが叫ぶ。
「アセット! ミルフィ! ごめんなさい! ……わたくし、寂しかった! 本当の友達になれてない気がしたの! だって……三人があんまり仲がいいから!」
シャルフリーデの手が、なにかを放ってよこした。
それは、夜空の星明りにキラキラと輝いている。
アセットが手を伸ばし、ヴォルケンも駆け寄ってくる。
永遠にも思える一瞬が、何倍にも引き延ばされる感覚……その中で、ゆっくりと腕輪はアセットの手の中へと落ちてきた。
そして同時に……突然、周囲で兵士たちの悲鳴が無数に連鎖するのだった。
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