第9話「悪夢からの目覚め、新しい朝」

 あのあと、アセットは仲間たちに秘密を打ち明けた。

 シャルフリーデもマスティも半信半疑だったが、ビルラと魔法の腕輪を見せたら納得してくれたようだ。

 ただ、科学とかいう魔法のことはぼかしておいた。

 なんだかアセットは、そのことを考えると胸がざわつくのだ。

 なにか不吉な、不安な……それでいて魅力的な誘惑を感じる。その正体はわからないし、うまく話せない。

 そのことを考えていたら、夜に悪い夢にうなされたのだった。


『俺たちだって戦えるんだ! 大人たちにばかり任せちゃいられないぜ!』

『そうよ、あたしたちの世界はあたしたちが守るの! 魔法で!』

『戦おう! みんなで力を合わせて!』


 王都の学び舎での声が、無限に脳裏に浮かんだ。

 それは言葉の輪郭がわからないくらい、熱く激しい。

 そして、アセットの心から熱を奪っていく。

 王国の知性を司る王立魔学院アカデミーは、時代の荒波に揺れていた。


『アセット、お前もそう思うだろう? 許しちゃおけないぜ、魔王は!』

『私たちの魔法でも、なにかできることがあると思うの……なら、役立てなきゃ』

『打倒、闇の軍勢っ! これは俺たち学生の総意でいいよな!』


 情熱と狂騒、たぎる若き血潮……そういう全てから、アセットは逃げた。

 休暇を理由に、故郷へと逃げてきたのである。

 それを咎めるような夢が終われば、妙に早い時間に起きてしまった。村ではもう皆が働き始める頃で、家を出ればまだ外は涼しい。

 朝もやに煙る薄荷はっかのような空気の中、アセットは歩き出した。


「……嫌なものだね。嫌とさえ言えない僕ってのがさ」


 独りごちて、歩調を強める。

 狭い村で、あっという間に村長の屋敷が見えてきた。裏側に回って離れを目指せば、ちょうど扉の前に立つ幼馴染の姿が見えた。


「おはよう、ロレッタ。……ロレッタ?」

「あっ、アセット! ちょっと聞いて、酷いの! シャルってば鍵を掛け忘れて寝たのよ」

「それは困るね」

「でしょう? ああ、それと、おはよ!」


 朝からロレッタはおかんむりだ。

 そして、なるほどドアは施錠されていない。ロレッタはそれをアセットに確認させてから、静かに開いて奥へと進んだ。

 昨日の話で、この離れにはしばらくシャルフリーデが滞在することになった。彼女がわざわざ、ミルフィをかくまうための隠れみのになってくれたのである。


「まだ寝てるのかしら。わたし、シャルを起こしてくるわ。アセット、あの子の……ミルフィの様子を見てきて頂戴」

「わかった」


 カイルの家の離れは、そう大きな建物じゃない。

 玄関はそのままかまどのあるキッチンと繋がってて、その奥に部屋が二つ。それだけだ。寝室はミルフィが使っているから、シャルフリーデはその隣の書斎で眠っていると思う。

 一応ドアをノックして、返事がないのを確認する。

 そっとドアを開くと、ベッドの上でミルフィはまだ眠っていた。

 昨日は結局、一度も目を覚まさなかったのである。

 静かにベッドへ近付き、改めてアセットは少女を見下ろす。

 自分やロレッタたちと変わらぬ、どこにでもいる普通の子供みたいに見える。寝息に合わせて薄い胸が上下していて、よく眠っているみたいだった。


「外傷はなから、極度の疲労って感じかな? 医学は門外漢もんがいかんだけど、重篤じゅうとくな状態じゃなさそうだ」


 思ったことを口に出してみたら、少し安心した。

 そして、やはり夢じゃなかった……全て現実の出来事だった。

 確かにミルフィは、あのメガリスとかいう巨神に乗って空から降りてきたのだ。

 否、落ちてきたのである。

 そのことを思い出して、濃密だった昨日を振り返る。

 そうしていると、ミルフィが小さく鼻を鳴らした。そのまま唸って寝返りを打ち、大きな瞳が開かれる。真っ赤な双眸そうぼうが、じっとアセットを見上げてきた。


「あ……おはよう。気分はどう?」


 アセットが話しかけた、その瞬間だった。

 突然、細い腕が首へと伸びてきて、えりつかむ。そのままミルフィはベッドから跳ね起きると、体を入れ替えアセットを組み伏せた。

 あっという間の出来事で、アセットは自分がなにをされたかさえわからない。

 わかっているのは、見た目によらずミルフィの腕力が強いということだった。

 自由を奪われ、拘束されたこともあとから知る。


「あ、あの! まあ、えっと……元気そうでなにより、かなあ」

「縺雁燕縺ッ窶ヲ窶ヲ縺薙%縺ッ縺ゥ縺薙□??」

「参ったな、言葉が。ああそうだ、ビルラ。出てきて間を取り持ってよ」

「繝薙Ν繝ゥ?溘縺ゅ▲縲√♀蜑搾シ√繧「繧ソ繧キ縺ョ繝?ヰ繧、繧ケ繧抵シ?」


 やはり言葉が通じない。

 そして、異国のどこにもないような言葉だ。

 それでもアセットは、ミルフィの強い怒りを感じた。その奥底に隠した、あせりと戸惑とまどいも拾える。誰だって、見ず知らずの場所で突然目覚めれば混乱するだろう。

 そうこうしていると、例の腕輪が光って像を浮かび上がらせた。


「ふああ、ふう……おはようございます、アセット。おやおや、ミルフィも」


 呑気のんきにあくびをしながら、ビルラが現れた。

 その顔は相変わらずの無表情だが、彼はベッドの上の二人にわずかに驚いてみせた。


「繝薙Ν繝ゥ縲∝?ア蜻翫r?√繧「繧ソ繧キ縺ッ縺ゥ縺?↑縺」縺滂シ溘縺薙%縺ッ縺ゥ縺薙□??」

「落ち着いてください、ミルフィ。今、翻訳プログラムをお渡ししますので」


 ビルラの瞳が、不規則な光を明滅させた。

 そして、奇跡が起きた。


「……よし、これでいいか? 改めて問う、ここはどこだ! お前は何者なんだ! 何故なぜ、アタシのデバイスを……ビルラを持っている!」

「ああ、ミルフィ。アセットは貴女あなたの恩人です。彼らは助けてくれたのですよ?」

「彼ら……? 他にもいるのか! 何人だ! 言えっ!」

「およしなさい、ミルフィ。はあ……とりあえず、アセットの上から降りましょうか」


 緊張感のないビルラを見て、僅かにミルフィは警戒心を解いた。

 そして、おずおずとアセットから離れる。

 ベッドを降りた彼女は、よく見れば寝間着姿だ。おそらく、ロレッタが貸して着せたものだろう。少しサイズが大きくて、そですそもだいぶ余らせている。

 アセットも身を起こすと、やれやれと溜息ためいきを一つ。


「恩人……そうだ、思い出した。アタシはあの時」

「そうです、ミルフィ。激しい戦闘の中で、私たちは未開文明の惑星に墜落したんですよ。メガリスの自己修復完了までには、どんなに早くても150時間は掛かるでしょう」

「艦隊との通信は? 助けは呼べないのか」

すでに本隊はこの星系を去ったようです。それが勝利の帰還か、それとも敗走か……そこまではなんとも」

「なんてことだ、そんな」


 二人の会話の意味は、アセットには全くわからない。

 だが、話してる言葉は突然意味のわかるものになっていた。

 そのことを不思議に思っていると、気付いたビルラが説明してくれる。


「私はメガリスおよびその搭乗者のサポートAIですからね。先程、この惑星の言葉を光通信で圧縮してミルフィに送りました。彼女の網膜を通して……まあ、簡単に言うと、彼女に私の知識を貸し与えたようなものです」

「そんなことが……それも、科学?」

「ええ、科学です」


 僅か数秒で、全く新しい言語が話せるようになる。

 そんなことができるなら、もう王立魔学院アカデミーはいらない。無数の書物も、講義に熱弁を振るう教師も必要なくなってしまう。

 科学とは、魔法のようなものだ。

 そして、アセットたちの魔法を遥かに上回る、まさに奇跡としか言いようのない技術だった。

 そうこうしていると、落ち着きを取り戻したミルフィが手を差し出す。


「状況は理解した。とりあえず、それを……アタシのデバイスを返せ」

「あ、この腕輪? 待って、ええと……あ、あれ?」

「なにしてるんだ、早くしろ! ビルラ、こっちに戻るんだ」


 だが、腕輪は外れない。

 そして、ビルラは静かに言葉を選んできた。


「ミルフィ、貴女には休息が必要です。当面、このデバイスはアセットに預かってもらいましょう」

「なにを言ってるんだ! 早く艦隊に合流して、戦わないと!」

「先程も言いましたが、メガリスの修復には時間がかかります。そして、貴女の心身も消耗していますね? 少し休みましょう。幸い、秘密を守ってくれる仲間もできたことですし」

「仲間? こいつがか?」


 じろりとミルフィが、横目にすがめてくる。

 鋭い目つきで、思わずアセットは黙るしかなかった。

 そして、緊張の一幕が突然中断される。

 キュゥ、と可愛い音がして、ミルフィが不意にほおを赤らめた。

 彼女は伏目がちに俯き、バツが悪そうにつぶやく。


「と、とにかく、一度機体に戻る。……おなか、減ったし」

「ああ、それなら、ええと、ミルフィって呼ぶよ? ミルフィ、ロレッタが昨日から食事を用意してくれてる」

「……本当か? いや、待て待て。しかし、その」


 再度、ミルフィのおなかがキュゥと鳴った。

 それで彼女は観念して、まずはアセットたちとの対話に応じてくれることになったのだった。

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