第12話 行動前夜

俺たちは沈黙の中にいた。それは長い長い沈黙。俺とアリエスが最悪の想像を回避するためにはどうすればいいのかという思考にすべてを捧げていたためだ。俺たちの脳はどれほどの間回転していたのかそんなことは気にならないほど思考の沼にどっぷりと嵌っていた。


 だが、その静寂破られた。それは木の扉が豪快に叩かれる音だった。


「おーい、飯ができたぞ」


 野太い声が俺の鼓膜を揺らす。沈んでいた顔を上げると同じように青い瞳がこちらを覗き込んでいた。


「……飯にするか」


「……そうね」


 俺たちは立ち上がり扉を開け廊下に出る。


「お前たちそこの部屋にいたのか」


 店主の男は律義にもすべての部屋をまわる気だったようだ。だが、俺たちが同じ部屋から出てきたのを見つけるとにやにやしながら俺を見下ろす。俺はその反応に思わずため息をつく。


「俺たちはあんたの想像しているような関係じゃないぞ」


「分かっているとも。俺は寛大な男だ」


 店主は俺の肩を強くたたくと俺にだけ見えるように右手の親指を立て片目を不器用に瞑って見せる。俺はそんな男に冷ややかな視線を送るが意に介してないように笑いながら一階へと降りていく。ちらりとアリエスの方を伺うと案の定微妙な表情を浮かべていた。


「気にすることはないだろ」


「……そうね」


 何か含みがあるような返事に聞こえたが俺は気にせず店主の後を追う。階段を下った先には以外にもそれなりに豪勢な料理が並べられていた。俺は目を見開き店主の方へと視線を向ける。店主は腕を組み自慢げな表情を浮かべている。俺は若干の苛立ちを覚えたが目の前の料理から香る香ばしい匂いにその感情は打ち消される。俺たちは誘われるようにそれぞれ席に着く。そして、俺は肉料理、アリエスはスープを口に運ぶ。


「美味い!」


「美味しい!」


 こんなスラム街の近くにある宿屋が出す料理のレベルではない。貴族御用達の店にも引けを取らないほどの味だ。


「……賄賂であっさり転んだ店主が作る飯とは到底思えないな」


「そう言うなよ、にいちゃん。俺は料理人であると同時に商売人だ。目の前に大金ぶら下げられりゃー飛びつくのが道理ってもんだろ?」


 男は自信ありげな笑顔を浮かべ語りだす。


「いや、お前が何者だとかどんな矜持を持っているとか興味ない。さっき呟いたのは質問じゃなく独り言だ。忘れてくれ」


 俺は素っ気なく店主に言い放つ。アリエスは苦笑いを浮かべ、店主はやれやれといった様子で店の奥へと消えていく。


「……あそこまできつく当たることはないんじゃない?」


「ああいう手合いは下手に下手に出ると調子づくからな。突き放すくらいが丁度いい」


「それもそうね」


 アリエスは納得したのか再び料理に口をつけ始める。俺も食事が冷めないうちに取ろうと両手を動かす。十分ほどで俺は完食し、ナプキンで口を拭う。アリエスも食べ終えたようで食器が皿の上に置かれていた。


 店主は俺たちが食べ終えた丁度良いタイミングで現れ、片づけを始める。その時に向けられる自慢げな視線は鬱陶しかったが気にしないように努めた。だが、美味な食事でリラックスできたことは感謝しよう。特に何かをする気はないが。


「さて、今日はもう休むとして護衛依頼があるまでの二日間どうする?」


 俺がアリエスの能力を使わず普通に話し始めたためか彼女の体が固まる。だが、ここでわざわざ部屋に引きこもっては寧ろ怪しい。重要なことは先ほど話したのだから聞かれては不味い単語さえ出さなければ大丈夫だろう。そんな意思を込めた視線を彼女に送る。アリエスはこくりと頷く。どれくらい伝わったかは分からないがおおよその意味は理解してもらえただろう。それを裏付けるように彼女は話し始める。


「とりあえず明日は街を満遍なく回るべきでしょうね」


「まあ、そうだな。あっ、そういえば……」


 俺は考えるような仕草をしてからわざとらしく今思い出したかのように腰の神具から地図を取り出す。そして、食器のなくなったテーブルいっぱいに広げた。


「今思い出したんだがレンリからこの街の地図をもらってたんだ」


「……かなり精巧な地図ね。通りの一つ一つまでちゃんと記されてる」


 アリエスが地図に触れながら感慨深そうに呟く。店の奥から戻ってきた店主もその地図を覗き込み感嘆しているようだ。


「おいおい、すげーな。ここまでのもんは見たことねーぞ。どこで手に入れたんだ?」


「俺の質問に応えれば教えるぞ」


「いいぜ。何でも聞いてくれ」


「この街で最も人が集まる場所はどこだ?」


 男は地図を指さしながら答える。


「それならこの中央通りだ。この街の二大商会がいろんな店を出してるし、行商でやってくる地方の商人もこぞってここに店を出しているからな」


「なるほどな」


「俺はちゃんと答えたぜ。にいちゃんも答えてくれるだろ?」


「グランツ商会で手に入れたんだよ」


 俺は端的に答える。的確な答えではないが嘘ではない。この男にはこれくらいで十分だろう。


「おいおい嘘つくなよ、にいちゃん。あそこで売ってるものでこんな精巧なものはねーよ。あんまり俺を舐めると痛い目見るぜ」


 店主は表情は友好的であるが体からほとばしる威圧感が彼の言葉の重みを感じさせる。この男も普通の町人ではないようだ。


「別に嘘は言ってない。ただ俺はグランツ商会で手に入れたと言ったんだ。意味は自分で考えてくれ」


 男は満足したのか威圧を引っ込め店の奥に入っていく。どうやら地図の出どころよりも自分を軽く見られたことが気に食わなかったようだ。買収はされるし軽口は許すのに嘘をつかれるのは許さないのか。よくわからない気性だ。俺は困惑しつつも話を戻す。


「どこに行くかだったよな。さっきあの男が言ってた中央通りに行こう」


「まあ、特に決め手もないしね。分かったわ」


「じゃあ、これで話は終わりにして体を休めよう。明日からはどうなるかわからないからな」


「そうね」


 俺たちは席を立ち二階へと昇っていく。


「また明日ね」


 アリエスは奥から二番目の部屋へと入り俺はその向かいの部屋へと入る。腰の神具取り外し床に置き、外套を乱暴に脱ぎ去り隣のベッドに投げ捨てる。俺はベッドに体を投げ出し大きく息を吐く。明日からの日々に若干の不安を覚えながら俺は眠りについた。

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