左手が海亀なんだが

カダフィ

第1話 そもそもなんだが

 ここは中堅よりちょっと下の『ブラック商会株式会社』の営業部。


 ほうけている。

 顔がーーーである。日頃はキリリと釣り上がる眉毛がヒクヒクと痙攣していた。



「マジか……?! やっ…た…やったァ」


 一通のメールを見てコウヤは踊りあがった。

『前回ご提示頂きました『VPN構築とデータ共有』の件。決裁が整いましたので、ここにご報告いたします。つきましては――云々うんぬん』月末の締め切りに飛び込んで来た一通のメールを見て踊りあがった。


 一拠点あたりは六十万円の小口契約だが、これが三拠点一括契約だ。百八十万円の一括契約。

 月の平均契約が三百万から四百万円のコウヤにとっては、なかなかの大型案件だ。


「か、課長ーーーっ! や、やりましたよっ。先月からご報告していた例の案件っ……」


 ここのところ営業第一課に押されっぱなしで不機嫌な山田課長に走り寄る。


「いやぁっ、苦労した甲斐が……」


 手柄話を始めようとしたその時、「おおっ、やったぁー!」とフロアー全体に響き渡るような歓声が隣の部屋から上がった。


「島崎課長、おめでとうございます!」


「一億ですよっ?! 一億っ! これは最高契約記録じゃないですかねっ!」


 い、一億だと……?!


 口々に賞賛の声が上がっている。賞賛に応える女性の声が聞こえた。


「これは営業一課全員の勝利だよ。良く頑張ったね。みんなっ、おめでとう」


「島崎課長、これでまた社長賞ですね?!」はしゃぐ男性社員の声。


「いやいや、チーム賞だよ。全員の名前を社長にはお伝えしておくよ」

 容姿端麗、才色兼備、おまけに性格まで良いと来てやがる。コイツは誰かって?


 島崎コウ。

 女性に関わらず、入社五年目にしてそれこそ新幹線が自転車を追い抜くスピードでコウヤを追い抜き、『ブラック商会株式会社』のトップセールスレディになった勝ち組だ。今や営業一課長。 

 今回はチームを率い億単位の仕事をまとめたらしい。


 マジか? 一億一括契約……?

 隣の営業一課また最高契約達成したのか? この不景気にどーやったら、そんなことできるんだ?


 隣から聞こえる歓声に途端に不機嫌になる山田課長。


「ーーで? なんだって?」


 不貞腐れたような顔でギロリッ、とコウヤを睨む。


「あ、いえ……。小口が取れたんで報告を」

 一億相手じゃなぁ……。


 報告したところで、『よく頑張ったなあ。だが隣は一億だぞ。島崎はお前の後輩だろ? よくもまぁ云々』

 と嫌味を喰らうのがオチだ。


 コウヤこと、役ノ耕野エンノコウヤは営業二課の平社員の三十二歳でちょいオッサン。

 身長も公称百七十八センチ、実際には百七十二センチ。ちょっと高めの靴を履いて誤魔化している。

 入社十年の中堅どころにあって、うだつが上がらない。片親で夜間の通信大学を出てやっとこの会社に就職できた。


 対して島崎コウ。

 同じ片親ながら、バイトを掛け持ちしながら国公立大を卒業。持ち前の明晰な頭脳と、前向きなキャラクターでどんどん顧客を開拓して来た。


 妬みも出ようと言うもんだ。

 コウヤだって頑張っているつもりだ。朝から晩まで結果と数字に追いかけられて、胃に穴が空きそうになりながらも十年勤めて来た。

 人好する性格も幸いしてボチボチやってこれたが、ここのところ営業一課の好成績に煽られて毎日ケツを叩かれっぱなしときたもんだ。


 チラリと営業2課の山田課長を見る。顔を真っ赤にしてプルプル震えている。


 ヤベェなぁーーー。

 


 ピン♪ ピロピロピン〜♪


 お!? 天の助け? 取り引き先からの電話だ。慌てて通話を押す。


「コウヤくん、例の件契約書いるんだろ? すぐ来れるかな? 昼一くらいで」

 慌てて時計をみると、次の電車に乗ればなんとか間に合う時刻だ。 


「すぐにお伺いしますッ、昼一ですね?! 了解しましたっ。ありがとうございます」

 通話を切ると予定表を書き込み山田課長への報告もそこそこに事務所を飛び出す。


 駅までタクシーを拾っていけば間に合う。見ると、反対車線にタクシーが止まっていた。

 大声で呼び手を振るが、スマホに見入って気付かないようだ。


 通行車両がないのを確認すると、ガードレールを飛び越えタクシーに駆け寄ろうとした。


 ブーゥンッ、けたたましいクラクションと視界いっぱいに広がるトラック。


 バンッ、という音とともにコウヤの意識も飛んだ。


◇◇



『ああ......。痛いーー痛いはずーーいや? なんも感じん?!』

 気がつくと真っ白な世界にいた。


『死んだのか?...... あらぁ......やっちまったか? あーーーあ、契約取れたのになぁ。

 焦ったばかりに……まぁ、仕方ない。もう怒られることもないんだ』


『さてどうなるんだ? ここどこ? って死んだんだし。そういえばーーーまず賽の河原に行くんだっけ?』

 昔おばあちゃんから聞いたことがある。


『三途の川の渡し舟があって、船頭に六銭渡すとあの世に渡してくれるとか言ってたな。ヤベェ金持ってたかな?』


 慌てて財布やらポッケの中を探す。そんな六文なんて持っている筈は無い。


 (今どき六文って誰がもってるんだよ)


 ふぅとため息を吐くと、目の前にひもがぶら下がっていた。


『一、ニ、三......十一本? なんだ? とりあえず引けってことか? このうち一本だけがあたりで当たりが出たらタダで渡すとか?ーー当たりますように』


『えい!』


 《おまけ》


『なんのこっちゃ?』


 そう思っているうちにコウヤの身体は、くるくると丸まって野球ボール大の玉になった。


 次回 コウの召喚

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