メイドA始めての仕事

加鳥このえ

出会い編

第1話  酉乃実咲

 七月二十日


「——ああもう! ついて来ないでくれよーっ!!」


 夏の太陽が朝の通行人を照りつける。スーツを着ている男に犬の散歩をする女、小学校に行くであろう小さな女。そんな中、一人奇声をあげる男がいた。その男こそ、俺である。


「なんでそんなに速いんだよーっ!」


 俺の名前は酉乃実咲とりのみさき。初々しい高校一年生である。そんな俺は今、犬に追いかけているのだ。


 これも全て寝坊した俺が悪い。


 一学期最後の日くらい、いつもより早起きしてクラスメイトを驚かせてやろう! と鼓舞したところまではいいのだが……その後、スマホを充電し忘れたのがダメだった。


 そのせいで今こんな状況におちいっている。


「わんわん!!」


「来るなーっ!」


 全速力で道路を駆け抜ける俺を、通行人達は微笑ましそうに見つめてくる。


(見てないで助けてくれよぉ)


 心の底からそう思う。


 だが、俺にはそんな勇気はない。


 なにせ、俺は平凡で普通の高校生活を満喫しているただの高校生なのだから。制服もありきたりなブレザー。髪色だって茶色だ。


 だが、個性を出そうと考えた時期もあった。中学の頃、俺は自分のアホ毛が嫌いだった。コンプレックスを治そうと、自分なりに色々やってみた。だが、全て失敗に終わった。


 そして、今も俺はアホ毛と共に生きている。


「はあ……はあ……。ヤバい、体力が」


 全速力での疾走。当然すぐに体力は無くなる。


 だが、犬は違った。


 インドア派な実咲は、普段する運動といえば『体育の授業』くらいなものだ。しかも、運動部に入っていないとなると、必然的に実咲の体力が無くなる方が先だった。俺は尻餅をついてしまった。


 その時、俺は息を呑んだ。なにせ、犬が股を広げてこちらを向いているからだ。


 俺は青ざめた。


 犬の行動がまるで、電柱にするオシッコとそっくりだったからだ!


「ワンワンワーン」


 犬は俺の気持ちを理解したかのように嘲笑あざわらった。

 

 そして、黄色い液体が射出される。


「なっ!」


 人間と動物は違う。当たり前の常識だが、俺はこの日、初めてその言葉の意味を理解した。


 そして、俺の脳は凄まじいスピードで状況を理解した。その影響は脳から眼球へと、次第には身体中に広がった。それと同時に、犬が射出したコンマ一秒、俺は次の犬の行動を予想した。


 ——


 しかし、俺を侮ってもらっちゃあ困る。


 俺は常人離れした動きで液体から避ける。


 ——いや、避けるつもりだった。


「嘘だろ……」


 黄色い液体は見事、実咲の足に付着した。


 実咲は動いたのだ。だが、動き始めるのが遅かった。


 所詮、実咲は凡人なのだ。


「コイツ……」


(俺の制服に尿をぶっかけやがった!)


「ワンワーン」


 またも、俺を嘲笑った。


 俺は激怒した。


 動物相手に情けない、と俺は葛藤したが、やはり怒りは抑えられそうにない。


「おーい、わんちゃん。それ以上煽ったらどうなるかわかるよな」


 俺は怒りを噛み締めた。


 そして、犬は素直にお座りした。


(……さすがだな。やはり動物は上下関係をしっかり理解しているな)


 そんな俺とは裏腹に、犬は立ち上がる。


「ワンワーン」

 

 にちゃあ、と犬が言ったような気がした。勿論、幻聴であるが——俺は激怒した。


「この犬! 捕まえたらーっ!!」


 怒りに身を任せ、俺は犬を追いかけた。しかし、追いつけない。五十メートル走を10秒かけて走る俺には、犬に追いつくことなどあり得なかったのだ。


(速すぎだろ……)


 俺は走った。だが、犬はもう見えない。


「はぁ……はぁ……クソ! ……もう帰ろう」


 俺は朝っぱらからの不幸を嘆いた。


 そして気づく、遅刻が確定している時間になっている事に。

 

(——遅刻か)


 またも気づく。


(あ、制服が……換えの制服が乾いていればいいが……)


 犬にやられた俺の制服。流石にこのままは不味いと思い、俺は帰宅する事にした。


 そして俺は家に着く。


「はぁ。朝から散々だ……んっと鍵は」

 

(あった! んじゃ早速)


 俺は鍵を開けた。


「ただいまー」

 

 と言っても誰もいないんだがな。


「おかえりなさいませ。ご主人様!」


 俺は目を疑った。俺は高校生デビューとして親にアパートを与えられた、二階建てのアパートで一人暮らしをしているのだ。


 なのに、俺の目には玄関で座って居る少女が見える。


「誰?」


(誰だ? 何時いつ入って来た?)


 鍵は閉まっていたはずだ。


「換えの制服!用意して待ってました!」


 少女はそう言って俺に制服を差し出した。


「えっあ……ありがとう」


 俺は少女から制服を受け取った。


「って! 違うだろ!!」


(一体この子は誰なんだ! 何故俺の家に居る!?)


「あんた……誰だ?」


 少女の容姿は極めて物珍しいものであった。作り物にしてはリアル過ぎる翼を身につけており、翼と髪は綺麗な紺色で彩られていた。顔は童顔で、注意深く観察すると鳥の翼のようなものが耳にいている。


 そして——


 メイド服と言っても、中世ヨーロッパの様な物ではなく、フリルがついた、コスプレに近いものであった。とはいえ、スカートは膝丈程だった。


(翼、メイド、童顔いいな……)


 ちなみに、俺はロリコンではない。


「ふふふ、わたしですか。わたしはあなたの専属メイドになるためここへ来ました。命ある限りあなたに忠誠を誓います」

 

 少女はスカートを持ち上げた。いわゆるカーテシーというやつだ。


(……はぁ。今日は変だ、朝から尿をかけられるし、メイドは居るし)


 夢だ! これは夢だ!!


「もう俺は寝る!」


「そうですか! なら今すぐお布団用意します! ピシー!」


 少女は俺の言葉を真に受け、布団を探し始めた。ベットがあるとは知らずに……。

 

「ふんふふんふふー! って、どわ! ……いてて」


 少女は大胆に転ぶ。


(……何転んでるんだまったく)


 俺は手を伸ばそうとしたが、少女の足元に転がる宝を見て、悲鳴を上げた。


「……え、あ?——う、うわぁぁぁぁあ!! 俺の大切なフィギュアがぁぁぁぁあ!!」


 くっつけ! 首くっつけ!


 されどフィギュアは壊れたまま。体と泣き別れしたフィギュアの顔からは、心なしか涙が溢れているように見えた。


(終わったか? 終わったのか? ……あぁ終わったんだな)


「終わったんごねぇ」


 俺は絶望した。

 しかし、少女は違った。笑っていたのだ。


「……あの、どうしたのですかご主人様。ぷぷっ! 首が振り子のようになってますがっ——ぶ、ぶっはは! すいませんあまりに滑稽な姿でしてっ——ブフォ! あは、あははは! ごめんなさい。でも面白くて! あはは。あの、そ、それでなんでそんな事をしているのですか? 


「なんでってさ……そんなの——全部お前のせいだろおぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 



 ……5分後。


「はぁ、はぁ……」


 部屋がめちゃくちゃだ。ドジっ子にも程がある。

 

 俺は怒りに身を任せ、少女を追い出そうとした。しかし、この子は持ち前の俊敏さとドジっ子特有の奇想天外な動きで、俺から逃れたのだ。


「まったく……誰なんだよ——お前」


 俺は呆れながら呟いた。すると少女は耳がいいのか、こう返してきた。


「だから、言ってるじゃないですか!! 私はあなたのって!!」


「……だから、それは理由になってないんだよぉーッ!!」


 またも追いかけっこを始める実咲と少女。少女は気づかずにテレビのリモコンを踏む。



【ブチッ! ……はた……畑宮市に今日、が攻めて来ました。被害者によると「ヒーローがすぐに助けてくれて! 私幸せでした」「あの人の能力かっこいい!」「ヒーローなんてあてにしちゃダメよ、自分の力で自分くらい守らないと、ねぇ」とのような声がありました。次のニュースは……】


 そして、実咲と少女の追いかけっこは終わる。


「とりあえず、片付けしないと」


 追いかけっこにより荒れた部屋。何故ここまで……と実咲は思うが、少女がベットやテレビを踏んで逃げていた事を実咲は思い出した。


 しかし、テレビは壊れていない。相当体重が軽いようだ。


「って、片付けしないと」


 実咲は片付けを始め——。


(って、なんで俺がやってるんだ?)


 その時俺は、少女に片付けをやらせようと思った。だが、それはあまりにも恐ろしかった。


(……コイツは家に置いておくと大変なことになるタイプのヤツだ!)


 よくアニメだと、居候する展開になるのだろう。実際俺も、可愛い子と一つ屋根の下で暮らすのは憧れてはいた。


 しかし、コイツは別だ。


(家に置いておくとトラブルを起こすタイプだからだ!!)


 だから、俺は心の底からこう願った。


「とっと出てけぇぇぇ!」

「絶対! 出ていきませーん!!」

 

 まったく。 

 幸か不幸か、夢じゃなさそうだ。 


 俺は少女を見つめる。

 少女の翼はいつの間にか消えていた。





 

 

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