北川学(きたがわ・まなぶ)

 学長の告辞が、一人の卒業生の耳を左から右へと抜けていく。そして生まれる前に流行った歌の歌詞が頭に浮かんだ。


──卒業式だと言うけれど、何を卒業するのだろう──

 

 北川学きたがわまなぶは、慶智けいち大学神学部での学びを修め、晴れて卒業式の席に参列した。

 まなぶという名前から推測されるように、彼の親は教育熱心で、子供の頃から有名大学に入れと口酸っぱく言われ続けて来た。生来勉強好きではなかった北川にとって親の期待に応えるのは容易ではなかったが、なんとかな慶智大学の神学部に辛うじて滑り込んだ。

 入学当初は、さぞ品行方正なバテレンばかりが席を並べるのかと身構えていたが、学生のほとんどは北川と同じような動機で入学していた。だがそんな俗物は学生ばかりではない。指導陣もまた似たようなものであった。

 主任教授の小野敬信おのけいしんは「私は洗礼を受けていますが、聖書に書かれている奇跡はおろか、全知全能の創造者としての神も信じておりません」などとうそぶいて高らかに笑う始末であった。

 師いわく、イエスが奇跡を行ったとか、処女から生まれてきたなどと信じるのは時代遅れの盲信者らしい。そして、大学で教えられていたことは大凡おおよそそのような内容だった。すなわち、人類……特に西洋人が数千年に渡って信じて来たことを理詰めで否定し、鼻で笑う……そのようなことに頭脳と時間を費やしてきた四年間だった。

(オレ……何やって来たんだろ)

 

🥂


「初出勤おつかれさま〜!」

 白城美紀しろじょうみきがピニャ・コラーダのグラスを北川のグラスに当てる。

「どうも」

 と言って北川はモスコミュールを口にする。ビール党の北川としてはキンキンに冷えた生ビールを豪快に飲み干したいものだが、彼女とのデートはカクテルバー「カサブランカ」が定番となっている。

「今日はオレが奢るよ」

 と胸を張る北川を、美紀は鼻であしらう。

「そういうことは初任給出てから言って」

 何となく男気を挫かれた気がして、北川は少しムッとした。

 美紀とは一年半前、合コンで知り合って以来の付き合いである。同い年であるが、短大を出て保育士として働く彼女は社会人としては二年先輩である。そういう事情でデートの費用はほとんど彼女持ちだった。

「でも、どうしてITベンチャーなんて入ったの? 慶智出てたらもっと大手狙えたでしょ」

「まあな。でも小さい所の方が自分の可能性を試せると思ったのさ」

 北川はそう言ってごまかした。

 合コンでは慶智大のブランド力が遺憾無く効力を発揮し、北川は終始モテモテだった。そして、その中で一番かわいいと思っていた美紀にモーションをかけ、交際が始まった。だが神学部であることは伏せていた。こうした出会いの場で慶智ブランドが功を奏するのは理学部や経済学部などの花形学部であり、神学部は微妙な印象を持たれがちだった。慶智で目を輝かせた女性たちも、神学部と聞くとさっと引いてしまう。それで「慶智は名乗っても神学部は名乗るな」というのが先輩たちから代々伝えられてきた不文律だった。


🏢


 その翌日、北川はいつものように出勤すると、あてがわれたパソコンを開いた。目下、近々アップデートされるというブラウザのバグをチェックしていた。無造作にいじっているうちに、妙なポップアップが出て来ることに気がついた。

(……何だこれは?)

 北川は無作為にそのポップアップをクリックした。すると突然コマンド画面が表示され、数字が目まぐるしく動き出した。そこにたまたま通りかかった先輩がその画面を見て仰天した。

「おい君、何やってるんだ!」

 彼は北川を無理矢理どかせると、そのパソコンを色々と操作した。そして受話器を取って内線電話をかけた。

ウォール破られた! 新型ウィルス・ギガントM4だ、至急対策を!」

 それから数人のシステムエンジニアがやって来て、鬼気迫る勢いで作業した。北川はただボーッと傍観しているより他なかったが、誰も気に留めることなく、咎めることもしなかった。

 システムエンジニアたちの迅速な対応のおかげでシステムは復旧し事なきを得たが、北川はその場でクビを宣告された。


💁‍♂️ 


 後日、北川は母校の就職課を訪ねた。

「……というわけで急に仕事がなくなって……何か仕事ありませんか?」

 係員は眉を潜めた。

「正直に言って、一度そういうトラブルを起こされると、紹介は厳しいんですよ」

「そこを何とか、紹介してもらえませんか」

 係員はしばらく考え込んで言った。

「北川さん、神学部出身でしたよね」

「ええ、そうですが」

「ひとつ、急募のボランティアがあるんですが……北川さん、この機会に応募しませんか?」

「ボランティア? 何をするんです?」

「教誨師です」

「教誨師い!?」

 聞き返す北川の声が裏返った。

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