MM戦争(インタールード)

 経済史上悪名高いMM戦争。その戦いの火蓋が切られるまでにはどのような経緯があったのか。


 戦後、宮家直吉の息子である宮家陽一みやけよういちが宮家楽器とミヤケモータースの社長を兼任していた。陽一は父親ゆずりの厳しい人柄で、その下で働く者で彼の拳骨を受けなかった者はなかったという。それほど仕事に厳しい人物であるから、ついて行けずに離れていく者も多かった。そんな陽一であるが、社内には二人、目をかけている者がいた。その一人は、若嶋影わかしまかげる。持田五郎の推薦で入社した優秀な人材であり、持田工業社長となる若嶋透わかしまとおるの弟であった。もう一人は奥山勇……努力家で優秀だったが、高卒の中途採用だったことで、なかなか陽の目をみなかった。しかしひとたび陽一に才能を認められると、どんどんと異例の出世を遂げて行った。

 かくして戦後景気の波に乗っていた宮家楽器及びミヤケモータースであったが、オイルショックの煽りを受けて、多角経営が仇となり業績は低迷した。

 そして一九七四年、宮家陽一は奥山勇を呼び出して言った。

「奥山君。私は退くから、君がミヤケモータースの社長となって、立て直しに尽力してもらいたい」

「ありがたき幸せにございます。不肖奥山、微力ながら全力を尽くします」

 奥山は平伏してその任を受けた。ところが、オイルショック後、二輪車の売り上げは一向にに上がらなかった。四輪車や自転車などの日用品とは異なり、〝趣味の乗り物〟という位置づけにあったオートバイは、省エネの時代においてそぐわないものとなっていた。さらに、暴走族が社会問題化し、青少年へのオートバイ禁止が叫ばれたことで、オートバイというものに対してネガティブなイメージが世間に広まった。

 一方、一九七七年には若嶋影が宮家楽器の社長に抜擢された。若嶋はアメリカでミヤケブランドを広めた実績があり、かの地で身につけた徹底的な合理主義を宮家楽器本社においても実行した。厳しくても人情の熱かった宮家陽一とは異なり、若嶋は会社の利得のためとあらば、モノでも人材でも冷徹に容赦なく切り捨てた。だが、そのおかげで停滞していた宮家楽器の業績は回復し、辣腕らつわん経営者として経済界での評価は高かった。しかし、社内での人望が厚かったとは言いがたい。

 系列会社の社長である奥山も、若嶋のやり方には眉を潜めた。人員整理で利益を上げても、長い目でみてそれが会社にプラスになるとは限らない。宮家直吉も陽一も、人や技術は会社の財産であり、一度手放すと取り戻すのは難しいと考えていたが、若嶋は人を将棋の駒程度にしか考えていなかった。その上、奥山にとって若嶋は、商売敵であるモチダ社長の親類。その思いが若嶋への反感に拍車をかけていた。


 そんなある日、宮家陽一が「静岡に行こう」と奥山を誘った。奥山は部下に車を用意させ、静岡へ向かった。そして行き着いたのは駿府城だった。陽一は銅像の前で立ち止まると、奥山に訊いた。

「奥山君、これが誰かわかるかね」

 答えるまでもなかった。「徳川家康像」と書いてあったからだ。なぜわざわざそんなことを尋ねるのかと疑問に思っていると、陽一が蕩々と語り始めた。

「徳川家康は、世を去ろうとする豊臣秀吉から二つのものを託された。それは天下を治めることと、愛息の秀頼だった。フロイスによれば、秀吉はゆくゆく秀頼を天下人にならせようとし、その橋渡しを家康に託したそうだ。ところが知っての通り、家康は秀頼を蹴り落として自分が天下人となった。奥山君、どうしてそうなったと思うかね?」

「……家康が腹の底で何を考えたのかは知る由がありません。ただ、秀吉の死後、徳川家が力をつけたのが一因と考えられるのではないでしょうか」

「その通りだ。……奥山君、が妙な動きをせぬよう、徳川家を封じ込めたまえ」

「……はっ!」

 奥山には陽一の語った隠語を瞬時に理解した。秀頼は陽一の息子・宮家茂みやけしげるを指し、家康は現社長の若嶋影、そして徳川家は持田重工業を指している。奥山の脳裏に「打倒モチダ」の文字が浮かんだ。

 それから奥山は動いた。

 モチダのバイクが値上げを続けるアメリカ市場に、ミヤケは低価格のバイクを送り込み、モチダが占めていたシェアを奪い取った。またステップの好調で勢いをつけたところで、奥山は盛んに社員たちに発破をかけ、士気を高めた。こうして戦いの気運が高まったところで奥山は大っぴらに宣言した。

「我が社はこれより、オートバイ業界盟主の座を取りに行く」

 

✴︎✴︎✴︎


(戦争と言ったって、要はお家騒動のトバッチリじゃないか)

 図書館で一通り資料を漁ってみた、草野の感想だった。だが、きっかけはくだらなく、災禍は甚大となるのが戦争というもの。そう考えると、ミヤケとモチダの争いは戦争らしい戦争と言えた。

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