生存者 十二

「父さん、大丈夫かい?」

 男は、「血相を変えて」という言葉をそのまま実演するかのように、激しい動揺をその表情に浮かべていた。彼の衣服に染み付いたものを別にして、その表皮を覆う血に関しては、多少なりともは拭き取ってある。そのおかげか少しは顔色も良く見える。ただそれでも、顎下に深く刻まれた傷だけは、ムカデにも似た黒々とした裂け目をいまだ覗かせたままだった。

 その男の到着を見届けるなり、部屋中の誰もがほっと息をついた。親子の無事な再会は、その場の全員が望んでいたことなのだ。面子にしろ、立場にしろ、また愛情も含め、各々の理由がなんであれだ。

 それまでずっと難しい顔をし続けていたケインも、ようやく顔をほころばせた。

「無事だったか、アレックス」

 椅子の背もたれから身体を浮かし、真正面に息子を見据える。傲慢な支配者としてではなく、ひとりの父親として、ケインは瞳を輝かせた。

「ああ、俺のほうは心配ない。でも店はめちゃくちゃだ」

 ケインの座すデスクの前方、部屋の中央付近まで足を進ませると、男はそこで動きを止めた。その彼に対しケインが言葉を続ける。

「建てなおせばいいさ。費用は私が出してやろう。それより、相手はどうなった? 仕留めたんだろう?」

「ああ、もちろんさ父さん。頭と心臓、ちゃんとどっちも潰してある。だけど、どこのヒットマンかはわからない。見覚えのない奴だった。でも絶対に単独犯ではないよ。必ず、何かしらの後ろ盾があるはずさ。保障してもいい」

 非常時、それも負傷しているということもあり、息子が酷く興奮しているだろうことは、ケインにも容易く想像がついた。だがそれにしても、あまりにもきっぱりと断言した息子の態度というのには、さすがに意表を突かれた思いがした。

 ケインは、自らの内に生まれた動揺をそのまま声にした。

「なぜそう言い切れるんだ?」

「いや父さん、実は……」

 そこで男は自らの懐に手を伸ばした。派手派手しいテーラードジャケットの内側に、だ。やがてそこから引き出された男の右手には、鈍い光を放つ小型の自動拳銃が握られていた。

「つまり……こういうことだ」


    十二


 ゴー、ジャッカル。

 まずは正面の二人だ。ケインのすぐ背後で左右に分かれて立っていた計二名の護衛たちを、彼は優先して撃ち抜いた。瞬間、その二人は驚くほど呆気なく屍になり果てた。

 突然のことに反応を遅らせた残り三人の親衛隊らに向けて、彼は容赦なく次々に弾丸を浴びせていった。部屋の角に構えた男。ドアの横に配置された二人組。彼ら三名はその手に強力なライフルを構えていたにもかかわらず、その照準機すら使う機会を得られなかった。そうするよりも早く、眉間を射抜かれてしまったからだ。

 時間にすれば五秒ほどといったところか。一秒に一人の割合で、選りすぐりの精鋭たちは続けざまに倒れていった。これなら、ナイトクラブにいたチンピラどものほうがまだ厄介だった。

「お前……お前は何を……」

 椅子から腰を浮かせた体勢でケインは言った。驚愕の一色に染められた表情と、わなわなと震える筋肉質の腕とが、この男の内面の混乱を饒舌に物語っている。

 ジャッカルはケインの問いかけを無視した。そうしながら、さらにもう一度拳銃のトリガーを引いた。今度の標的は、彼自身の背後に見える扉のそのすぐ真横にあった。高速で射出された一発の鉛弾が、またも正確に目標を射貫く。

 着弾点にはナイトクラブのパニックルームにあった物と同種の、小さな制御盤が埋め込まれていた。つまりその出入口自体もまた、同様の機能を備えているということだ。着弾と同時に制御盤が赤い火花を散らす。するとすぐさま、合金製の防弾扉がシャッターのように下りてきた。侵入者を防ぐために、あるいは、内部での作業を邪魔させないために。

 外側の制御盤は部屋に入る直前に片付けてあった。門番の目を盗んで破壊できればよかったのだが、生憎とそのチャンスはなかった。ゆえにジャッカルは、門番ごと対処することにした。アレックスの顔のおかげだろう、たいして手間も時間もかからなかった。

「気でも狂ったか!」

 唾を飛ばしてケインが叫ぶ。どうやら、この男はいまだ「ここにいるアレックスをアレックス本人だと」思い込んでいるらしい。

 そのケインとデスクを挟んで向かい合いながら、ジャッカルは端的に言った。

「かもしれん。だが、話の続きは種明かしのあとだ」

 彼はそこで口を閉ざすと、幾分か唐突に左手を自身の首筋に添えた。ついで、裂け目のような傷に指先を食い込ませる。そうしてなおも手指に力が込められるうちに、ついに堤防は決壊した。黒々とした人工血液がオレンジのキャンバスを侵食する。鎖骨の上を、胸板を、みぞおちを、粘り気を持った滴の群れが幾本もの筋となって伝い落ちていく。

 そのうち一定の深さまで指が達すると、ジャッカルはそのまま、腕全体に力を込め始めた。彼の素顔の上から貼り付けていた、アレックスの顔面を引き剥がすためにだ。

 最初の一度で顔の半分を。続く二度目で残りの半分。それから最後に、首元から頭頂部にかけてまでの頭蓋骨を覆うすべての表皮を取り除くと、ジャッカルはようやく己自身の容姿を取り戻した。剥き出しの人工頭蓋。人間のそれを模して作られた漆黒の頭骨だ。がっしりとした顎に、バランスよく整えられた歯。二つ並んだ眼窩では、変色機能を備えた特別製の虹彩が、爛々と赤く燃えている。

 彼の頭部の変化に合わせるように、その身体もまた、やがて大きく変貌を遂げた。細長いばかりだった身体が少し縮むと、その代わりに、背中や手足の筋肉が膨れ上がる。こちらも頭部と同様、ジャッカル本来の設計に基づいた規定の体格に戻ったのだ。

 こうした体系変化を可能とする機械義肢は、あらゆる悪用を防ぎたいという政府の意向から、一部の公的機関を除きその使用が禁じられている。加えて、ジャッカルの備える卓抜した筋力、それこそヒトの限界をはるかに超えた膂力というものもまた、許可された設定値を大幅に超過する値であった。すなわち、彼がそこに存在するという事実それ自体が、合衆国に、そしてそこに住む人々の良識に真っ向から異を唱える行為だということだ。

 だからこそ彼の手はマルドネスに届き得る。街を支配するギャングのボスと、それに牙を剥く野良犬という正反対の立場にあるこの両者が、根の部分では同一であるがために、だ。

 己と同じ性質を持った天敵。縛る物のない存在。しかしケインは、そうした相手を前にしてもなお、一つの事実にこだわり続けた。

「どういうことだ……アレックスはどこだ! この化け物め、あいつに何をした!」

 ジャッカルの正体や目的、所属する派閥、戦力、さらにはデモニアスの損害。そういった疑問の数々を差し置いて、ケインは訊いた。一種、追い詰められたようにも見える状況下にあって、この男の最たる心配事は家族に関することだった。この世に残されたたった一人の肉親、アレックス・マルドネスのことだった。

 全身に怒りをたぎらせたケインに対し、ジャッカルは口を閉じたまま、喉頭のスピーカーから直に音声を出して応えた。

「奴はもういない。少なくとも、息はしていない」

 直前までジャッカルが身に付けていたあの「マスク」は、特別製の材料から作られていた。この世に二つとない特別な材料で。その事実を、彼はあえて言葉にしなかった。

 しかしケインは、さすがというべきかすぐに勘付いたらしい。と同時に、それまで激しい憎悪の刻まれていた彼の表情が、見る見るうちに色相を変えていった。新たにそこに表れたのは、見る者の魂を揺さぶるような深い哀哭の色だった。

「ああ、そんな……アレックス、そんな馬鹿な……そんな馬鹿な……」

 ケインは文字どおり崩れ落ちた。倒れるように椅子に座り込み、デスクの天板に額をこすり付けた。今日まで数多の暴虐を成してきたその両手で、年月の刻み込まれた皺だらけの顔を覆いながら、悪魔は声をあげて泣いた。老木を焼き尽くす雷鳴か、あるいは獣の咆哮にも似た咽び。それは広い部屋中に反響し、四方へと跳ね返った。

 ジャッカルは言葉ひとつ発さずに、ただひたすらその様を見つめ続けた。それ自身の嗚咽に沈む敵の背中を。小さく、また骨ばった、強大な標的の姿を。彼はそれに見入っていた。胸腔の底から沸きあがる、言い知れぬ懸念に苛まれながら。

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