闇医者 三

「頼む。できるかぎりでいいんだ。あんたに累が及ばないていどで構わない。どうか、どうか一人でも多く、助けてやってくれないか」

 真摯な願いだった。あまりに身勝手で非常識、かつ同時に、ひたむきな懇願だ。

 が、それでもなおザックは躊躇わざるを得なかった。

「……悪いが、約束はできない。所詮、俺の力などたかが知れている。デモニアスと警察の、両方の裏をかくような芸当は不可能だ」

「ああ、だが――」

「すまない。俺には無理だ」

 彼はわざと断定的に言った。そうすることで、自分自身にも言い聞かせようとしたのだ。たとえ力を貸してやりたくとも、これは自分の手に負える問題ではないのだ、と。

 そういうザックの明確な否定を前に、ダンフォールは「そうか」とだけ、寂しげに応えたのみだった。

 そのやり取りを最後に、病室中がじっと黙り込んだ。ザックも、ダンフォールも、またバリーも、それぞれに語るべき事柄を失ったまま、ただ静寂を静寂として受け入れた。

 突然の訪問者が姿を現したのはそんな折だった。三人が佇むその背後で、木製のドアが音を立てて開かれた。振り返ったザックらの視線の先には、複数の人影が確認できた。そのうちの一人、ほかの者を半歩後ろに控えさせたその男は、ずかずかと部屋に踏み入りながらこう言った。

「やあやあ諸君、調子はいかがかな?」

 甲高く、また幾分芝居がかった声だ。そういう声とそのままイメージを共有するかのような派手派手しいネオンオレンジカラーのスーツが、過剰なまでの存在感をその男に与えていた。

「アレックス……どうしてここに?」

 バリーは慌てた様子でアレックス・マルドネスの前に進み出た。

 アレックスはデモニアスの次期頭首だ。さらに言うなら、SLPDの警官たるスタンリーらに運び屋の捜索を申し付けた張本人でもある。全体の進行を管理するこの男が、「運び屋のリーダーがバリーのもとに担ぎ込まれた」という情報をどこかから仕入れていたとしても、それはなんら不思議なことではない。なぜならば、闇医者であるバリーをサポートするのが、種々のギャングの下っ端たちであるからだ。おそらく、ザックとダンフォール両氏の回収に携わった何者かが、アレックスに報告を寄越したのだろう。

 ザックのこうした憶測がどこまで現実に即しているのかは、このときのザック当人には知る由もなかった。ともあれ、現時点における重要な疑問はただ一つだ。それはつまり、アレックスがいったいどういう理由から、この闇医者の屋敷をわざわざ訪ねて来たのか、ということである。

 そのとき、バリーが足早に訪問者へと詰め寄った。

「待ちなさいアレックス。面会がしたいなら事前に連絡を入れてくれなければ困るんだ。彼らはまだ不安定な状態で――」

 声を荒げるバリーを、アレックスはいかにも煩わしげに押し退けた。

「まあまあ落ち着いてよ先生。乱暴な真似はしないさ。それに、僕が誰かを殴っているようなところ、見たことあるかい?」

 その自信満々の態度が示すとおり、この男が自らの手を汚す場面に居合わせたという人間は、ほとんどゼロに近しかった。アレックス本人がそうする必要のないように、側近たちが付き従っているからだ。

 それからアレックスは、一切歩調を緩めることのないまま、ダンが横たわるベッドまで歩み寄った。

 先に目を付けられたのはザックだった。むやみにキツいばかりの香水の匂いが、不愉快な足音とともに探偵に近付いた。

「やあザック、お手柄だったねえ! いい子だ、いい子だあ」

 まるで犬にでもそうするかのように、アレックスはザックの頭を両手で撫でまわした。その動作が「猟犬へのごほうび」ということを意味するのであれば、ザックはたしかに、それに値する働きをしたとも言える。

 ザックは身じろぎもせず、ただじっと相手の目を睨みつけた。よくよく注視すれば、その瞳の中に何らかの感情を読み取ることができただろう。不快感か、あるいは怒りか、もしくはより激しい憎悪というような、強い負の感情をだ。

 しかしアレックスはまるで、「そんなものには興味がない」とでも口にするかのようにさっさと踵を返してしまった。そうしながら、彼は自身の身体の正面をダンフォールの側へと向けた。両者が実際に顔を合わせるのは、これが初めてのことだった。

「ああ、やっと見つけた」

 緑色の瞳がダンフォールを捉える。スーツの色に合わせた、カラーコンタクトの色彩だ。

「初めまして、ハリスさん。このたびは大変な目に合われたそうですねえ」

「ああ、そうだな。だがそのおかげで、あんたみたいな大物に会えたわけだ」

「大物だなんてそんな、とんでもない」

「謙遜することはないさ」

 ダンフォールは皮肉とも諦めとも付かない調子で言った。

「この街では、なんでもあんたたち親子の思いどおりだ。だろう?」 

「まさか。信じられないかもしれないけど、案外たくさんいるものだよ。誰彼かまわず、むやみやたらと牙を剥くような身のほど知らずっていうのはね」

「ほう、そうかい。そいつらの顔をおがんでみたいもんだぜ」

「そう思うかい? だったら……そうだ! 連れて行ってあげよう、そうだそれがいい!」

 アレックスは通用口に振り返ると、そこで待機していた三名の側近たちに合図を出した。するとすぐさま、男らは屈強な身体を揺らしながら、一斉にダンを取り囲んだ。

「待ちなさい、何をするつもりだ!」

 バリーは大声を張り上げた。だが、それに耳を貸す者はいない。ただ一人、アレックスだけを除いては。

「やだなあ先生、聞いてなかったの? 彼の望みを叶えてあげるのさ。ちょうど、活きの良い身のほど知らずを四匹ほど仕入れたところでね」

「無茶だ。彼の外傷は軽いものじゃない。いま下手に動かせば、深刻な後遺障害が残る可能性もある」

「だったら何さ? どうせこいつはもうすぐ死ぬんだし、どうだっていいでしょ」

 それはアレックスにとって本心からの言葉だったに違いない。そういう主の態度を助長するように、側近の男たちは、身体中に傷を負ったダンフォールを腕づくに立ち上がらせた。

 ダンの口から呻きが漏れる。血に濡れたような痛々しい呻きが。

(どうしようもないことだ)

 ザックはわざと意識して、視線を自らの足下に落とした。逆らってどうなるものではない。心の底にある口惜しさに、されど目を瞑ることしかできない。友であろうと家族であろうと、記憶に刻まれた者たちが、目の前で無残にも踏み潰される。ザックはこれまで何度も、この屈辱から目を背け続けてきた。

 たった一人の傲慢さに端を発する理不尽。すべて、無念は無念のままに葬られる。これまでがそうであったように、今日も、そしてこれからも、この悲劇は繰り返されるだろう。マルドネスの名が消えないかぎり、この街の頂点には不条理が君臨し続けるのだ。

「おいザック! それ以上、動くんじゃない。それとも、この僕に逆らおうっていうつもりか?」

 突如としてアレックスが叫ぶ。その行為の裏にある意図というものを、ザックはすぐに飲み込むことができなかった。

(動くな、とは何のことだ?)

 一瞬遅れて、やっと彼は状況を理解した。ザック自身の右手が、アレックスの側近のひとりに掴みかかっていたのだ。

「大人しくその手をどけろ、この馬鹿!」

 ザックは慌てて手を離した。我を忘れるほど激昂していたわけではない。にもかかわらず、彼は確かに記憶の欠落を感じていた。

 そのときザックが浮かべた困惑の表情を、アレックスは、自身に対する畏敬の念の表れだと受け取ったらしい。直前までとは打って変わって、冷静な態度を見せながら言った。

「それでいいんだよザック、いい子だ」

 そこで一度、咳払いを挟んでから、彼はさらに言葉を続けた。

「いいかい? 誰にも邪魔はさせないよ。この男は絶対に連れて行く。無謀にも邪魔だてするつもりなら僕も父さんも黙っていない。そのことを絶対に忘れるなよ」

 無理に低くしたような声だった。

 その後、それらの言葉の最後に「それではごきげんよう、諸君」と短く付け加えたかと思うと、暴君はほどなく部屋をあとにした。無論、ダンフォールを抱えたままの側近たちを引き連れて、だ。

 敷居を跨ぐ瞬間、ダンフォールは小さく零した。

「ザック」

 鋭い視線がザックを捉える。しかし、それよりあとには言葉はなかった。一言だけで充分だったのだ。たとえ口にせずとも伝わるものはある。そのことを、ザックはこのとき改めて確信した。それでも、無言のまま届けられたそのメッセージに、彼はついぞ答えを返すことができなかった。

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