第十話 マタヲの秘薬

「ぼくの最初のお師匠は昔くすり売りに飼われとった猫やったんや。それが長生きしてネコマタになったわけやけど、お師匠は薬草や珍薬、それにまつわる効能、病気についても詳しかってん。だからぼくも薬の知識をわけてもらった。そのあとも、ぼくは独自に研究して、『マタちゃん特製なんでも秘薬』を開発した」

「秘薬?」

「せや。病気によって多少の調合はかえるんやけど、こいつはどんな病気にも効果あんねん。風邪や腹痛、腰痛や筋肉痛にも効く。他にも悲しいときや落ち込んだときに飲んだら、たちまちハッピーになるんや」

 マタヲは得意げにピンと張ったひげを前足でなでた。

「トモキくんがもし、調子わるいなー、元気ないわー、いうことがあったら、ぼくに言うたらええんや。寝不足、不眠、頭がさえないときも、ぼくに言うたらええ。それに恋わずらいにも効果ある。トモキくんが恋に悩む年頃になったときも、ぼくがそばで支えたる。的確なアドバイスもしてあげる」

 ぼくが何も言わないのを感激していると勘違いしたのか、マタヲは近づいてくると、ぼくのひざあたりをポンと叩いた。

「心強いやろトモキくん。これからの人生、きみのそばには、いつも、ぼくがおるんや。悩みがあるなら相談しい。いっしょにどうするか考えてあげるからな。任せなさい。なんせぼくは見た目はプリチーな美猫やけど、こう見えてもう百年以上生きてんねん」

 もふもふの胸を叩くマタヲ。

「ぼくの豊かな経験をきみに無償でわけあたえてやる。せやから、きみはぼくが『これほしいわー』言うたときは、黙って金を払ったらええ。簡単なことや。78円できみの人生は安泰なんやで。だってぼくらは対等のパートナーやからな!」

「ヤだね」

 ぼくはきっぱりと言った。

 棚にお徳用おやつパックを戻すと、レジに向かって歩く。

 マタヲは「なんやねーん、まってーな、まってーてー」と叫んだ。

「うるさいな。ぼくの用事はすんだんだ。帰っておやつ食べながら、今日こそ動画を観るんだから、お前は大人しくしてろよな」

 お母さんのタブレットは、やっぱり再起不能になってしまった。だから新しいタブレットを買ってきたんだけど、ぼくは「二度と乱暴に扱わないこと」を条件に、一日一時間だけ自由にタブレットを使って遊んでいいことになった。

 壊したのはマタヲだし、前は制限時間なんてなかったから不満は不満だけど、文句を言うと、全く使わせてもらえなくなる。だから、ぼくは計画的に何を観るか、下校時間もずっと考えていたんだ。

 自分が興味あること以外にも、クラスで流行っている動画も観ないと話についていけなくなるし、ネコマタについても、ネットで検索して他に見える人がいないか探したい。

 だから足ばやにレジに向かっていたんだけど、

「ひーきょうやーーーー!!!」

 耳が痛くなるほどの大きな声。

 マタヲはまだペットコーナーの前にいて、床でお腹を出してひっくり返っていた。

「ぼくは食べたい、食べたいんや」

 ジタバタと四本の足と二又の尻尾を振り回す。

「トモキくんばっかりおいしいもん買って、好きに遊べるなんて卑怯やんか。ぼくにだって自由をください。ネコマタ虐待反対!! 誰かああああ、ここにパートナー失格の子がおりますぅぅ。この子のせいで、ぼくは悲惨な境遇にいまああす」

 マタヲの声も姿も、ぼく以外には聞こえないし見えないはずだ。

 だから、そのままレジに行っても何の問題もないし、そうすべきだと思う。

 でも、ぎゃーぎゃー騒ぐ声をスルーできるほど、ぼくは大人じゃなかった。

「うるさいな! みっともないことすんなよな」

 ぼくは棚の前まで駆け戻り、マタヲに注意した。念のため、声は小さくしてある。

「そんなに騒いでさ。床に寝転ぶなんて信じらんないよ。毛がホコリだらけだ。そんなんじゃ、うちに入れてやんないからな」

「いやや。ぼくは好きなところに行くんや。トモキくんの部屋にも、トモキくんのベッドにも乗るんや。ふかふかのお布団で寝る。もう段ボールは拒絶します」

 いややー、いややー。

 マタヲは床に背をつけたまま、その場でぐるぐる回転する。

 このスーパー、床の掃除をしてないのかな。それとも、マタヲの毛がホコリを集めやすいのか。灰色猫になりつつあるマタヲ。

 ずっと「買うてー。ひとつだけでええから食べさしてー」とわめきつづけていた。

「わかったよ、ひとつだけな!」

 根負けしたぼくが、最初にマタヲが欲しいと言っていたパウチを手に取ると、マタヲはすぐさま起き上がり、

「こっちもー。こっちも食べたいぃぃ」

 カリカリおやつパックもパンパンと叩く。

「やだよ。なんで」

「大事に食べるからあああ。一日一袋にするからああ」

「わーかったて。騒ぐなよ。ほんとうるさいぞ、その声。頭が痛くなってきた」

「そういうときは『マタちゃん特製なんでも秘薬』を」

「いらないから!」

 妖怪が作る薬なんて、どんな材料を使っているかわかったもんじゃない。ゴキブリやクモの足、金魚のミイラとか、気持ち悪いもんばかり入ってそうだ。

「ほら、全部買えばいいんだろ。でもな、ぼくだっておこづかいに限界があるんだ。それにお母さんたちに見つかったら、こっそり猫を飼っているのかって疑われて」

「ええんやで、トモキくん」

 好きなフードを買ってもらえることになり、マタヲはすっかりいつもの調子を取り戻していた。ムフと胸をそらせて得意げだ。

「お母さんたちに、ぼくのこと話したって。必要ならあいさつもする。まあ、見えへんやろうけど、トモキくんが通訳してくれたらええんやもん」

 毛をぶるりと振るい、周囲にホコリをまき散らすマタヲ。

 ぼくは咳こみ、くしゃみまで出た。

「もー、最悪だな、お前は。まだ汚れてるぞ、帰ったら雑巾で拭かなくちゃ」

「そこはタオルでええんちゃうのん、トモキくんたらん」

 マタヲは「ウフフ」とくねくねと身をくねらせて笑っている。

「雑巾だよ、雑巾。だいたいな、お母さんたちにお前のこと話せるわけないだろ。病院に連れていかれたらどうするんだよ」

「病院てなんやの」

「頭がおかしいと思われるってこと! もういいよ。帰るぞ」

 ぼくは向きをかえ、今度こそレジに向かおうとした。と、振り向いた先で、目を見開いているおばさんとでくわす。知らないおばさんだったけど、びっくりした顔でぼくをまじまじと見ていた。

「あ」

 ぼくの声に、おばさんは無理やりといったかんじで、ぐにょりと笑った。

「楽しいわね、ぼく」

 おばさんはドッグフードのコーナーに用があったらしく、そちらに向かいながら、ぼくにニコニコと笑いかける。

 ぼくは何も返事できなくて、ただ苦笑いしたあと、走って移動した。マタヲが「なんやー、競争かいな。ぼくも走るでー」と四本足でそばを駆けていった。

 あのおばさん。ぼくがひとりごとを言っていると思ったんだ。だってマタヲは見えない。ぼくがひとり、あーだこーだ、騒いでると思ったにちがいない。

 知らないおばさんだった。でも、知り合いの知り合いとか、誰かの家族とか、そういうことはあるかもしれない。

 学校で会う誰かのお母さんてかんじじゃなかったけど、近所に住んでいるおばさんとか、そういう人ってこともある。

 もしスーパーでへんな男の子を見つけたって世間話して、それが学校でも広まる可能性だってある。そのへんな子がぼくのことだと、気づかれる危険だって。

 最悪だ。

 なるべく用心していた。家でもお母さんたちに怪しまないよう、マタヲがいるときは気をつけていたのに。

 ぼくは心臓がドクドクして、手足はしびれたみたいに冷たくなった。

 やっぱりマタヲなんていなくなればいい。ぼくはおかしな子じゃない。

 ふと、昼休みの図書室での出来事が思い浮かんだ。

 集団に立ち向かう前田リン。あの子もへんな子だ。

 陰陽師の生まれ変わりとか、クラスメイトの前で平気で口にする子。

 ぼくだったら、そんなこと冗談でも言わない。

 ぼくはへんな子じゃない。

 でも、マタヲがいる限り、ぼくはいつ自分がへんな子だと言われるんじゃないか、前田と同じ変人仲間だと思われるんじゃないかと、びくびくして毎日を過ごすことになる。

 ぼくはカゴの中のキャットフードを見て、棚に戻しに行こうかと思った。

 でも、まだあのおばさんがいるかもしれないし、マタヲがまた騒ぎ始めてうるさくなるかも。

 いまはレジの前で「トモキくん、ここすいてんでー」と声を張り上げていた。

 灰色の髪をしたおじさんのうしろにいるけど、あの人も、もちろんマタヲの声も姿も気づいていない。

 ぼくは小さくうなずき、マタヲがいるレジに並んだ。

「楽しみやわー。どんな味すんねんやろ。トモキくんも食べたらええのに」

 キャットフードなんかいるかよ。そう思ったけど、しかめっ面をするだけで黙っていた。今度はおじさんに変な目で見られたくないから。

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